親米と反米: 戦後日本の政治的無意識 (岩波新書 新赤版 1069)

著者 :
  • 岩波書店
3.63
  • (6)
  • (17)
  • (18)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 166
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004310693

作品紹介・あらすじ

日本社会は、特異なまでに深く親米的であり続けたのではないか。その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか。戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本社会は、特異なまでに親米社会である。それが、どのように形作られてきたか、戦前戦後に渡って、大衆的レベルでの構造を明らかにしようとする。

    しかし、記述は、表層を小難しくなぞるのみ。がっかり。

    例えば、以下はまあ、表層的にはその通りだとは思う。

    こうして50年代半ば以降の東アジアでは、社会主義圏に対する軍事的基地の役割を韓国と台湾、そして沖縄が負い、日本はもっぱら経済発展の中枢としての役割を担って行くことになった。(略)この時、日本の中の「アメリカ」は、ある構造的な変質と隠微の構造を含んでいった。すなわち、軍事的な暴力と消費的な欲望が表裏になった占領者としてのアメリカが、ナショナルな消費生活のイメージを全面に出しつつ日常生活に深く浸透していくアメリカへと変容を遂げたのである。(15p)

    しかし、そのように「しかけた」アメリカ並びに日本政府・財界を無視しているか、見えていないので、そういうアメリカを支持した国民が、「主体的」にそれを選んだ事になってしまっている。

    占領期の天皇とマッカーサーの「抱擁」が予感させた二つの帝国の談合的な関係が、60年代までには広範な国民の日常意識によって積極的に支えられる様になっていたことを示しているのである。(206p)

    全然「主体的」ではなかったとは言えないかもしれない。しかし、それを批判的に見るのか見ないのかでは、天と地程の差があると私は思うのである。

  • ふむ

  • 森山さんより

  • アメリカ文化の大衆、カジュアルが現地のどの層に支えられているか起因してるか

  • 卒論書くときに読んでおけばよかったと激しく後悔。
    アメリカがさまざまな表象をとおして日本に入りこみ、いつしか日本人の自意識をつくるうえで欠かすことのできない要素となっていったことを描いている。
    その切り口は多種多様にわたり、非常に鮮やか。それだけに、この本に収まらないだけのもっと多様な断面があるのではないかとも思ってしまう。
    戦後日本にかんして何か書くときは、外せない本ではないだろうか。

  • 【要旨】
    ・何故日本はこんなに親米的なのか?という問いを、単純な親米VS反米といった二項対立を問い直す。

    ・暴力としての「アメリカ」と消費としての「アメリカ」の構造的結びつき

    ・「アメリカ」の需要と反発の歴史

    ・戦前の植民地主義との連続性

  • [ 内容 ]
    日本社会は、特異なまでに深く親米的であり続けたのではないか。
    その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか。
    戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する。

    [ 目次 ]
    序章 戦後日本は親米社会?
    第1章 アメリカというモダニティ―「自由の聖地」と「鬼畜米英」
    第2章 占領軍としての「アメリカ」
    第3章 米軍基地と湘南ボーイたち
    第4章 マイホームとしての「アメリカ」
    終章 「親米」の越え方―戦後ナショナリズムの無意識

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •  本書は一般的な日米の政治経済関係ではなく、主として戦後の日本国内において可視化され、日本国民に無意識的に受容されてきた<アメリカ>について論じている。

     分析の対象は、マッカーサー、米軍基地、占領軍兵士の相手をするパンパンなどにはじまり、米軍基地周辺に形成されるアメリカ文化を受容した空間、さらには放送開始したばかりのテレビ番組などである。

     つまるところのエッセンスは、占領軍という暴力的な<アメリカ>が、独立以降のアメリカへの反発を醸成した一方で、占領(軍)がもたらした豊かな生活スタイル・モダニティの象徴としての<アメリカ>が重層的に折り重なったところに、戦後日本の文化的無意識としての「親米と反米」がある、というところだろう。

  • 異質なものを排除するのではなくうまいこと取り入れる日本の性質がより分かった気がした。

  • 【戦後日本社会は、基本的に深く親米的であり続けたのではないか.その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか.戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する】

    かゆいところに手が届く…まではいかないにしても理解は深まった。

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

吉見俊哉の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×