- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310815
感想・レビュー・書評
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2014年の憲法解釈変更の時にはほとんど興味がなかったが、最近のトランプ発言(日米安保は不平等だから廃棄したい)を聞いて少し勉強してみたくなった。随分専門的な内容だが、素人にも十分理解できるよう懇切丁寧な解説で読みごたえあり。
安部やその取り巻きが説明する集団的自衛権のあり方が、まったくデタラメであることは本書から十分に伝わった。意図的に間違った情報を流して世論誘導したいのか、本当に理解できていないのかは知る由もないが、米国の日本防衛義務と基地の自由使用権はセットであることを日米両国の指導者層はどこまで認識しているのか?仮に米軍が日本から出て行けば日本も同程度の戦力を持つことを選択せざるを得ないが、それが米国の国益にかなうとはとても思えない。
唯一残念なのが最終章のオルタナティブの提案である。机上の空論を地で行くポエムである。日本にそんなことができるならアメリカの属国状態を自ら望んで選択したりはしない。日本には東アジア諸国を束ねていくだけの経験も実力も信頼も備わっていない。悔しい事ではあるが、吉田茂、小泉、安部の米国お追従路線しか採りようがないのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
選挙の前に理解を深めようとして借りた本。
確かに、日本には集団的自衛権よりも特徴的で1番平和なやり方ができる国のような気がする。
なんとなく自分の意見をまとめることができて良かった。 -
力作。よく書かれている。
集団的自衛権とは、一言で言えば、自国が直接攻撃されていなくても実力をもって阻止すること、かな。
アメリカの為に集団的自衛権を発動する。憲法上許されない。アメリカの作った憲法を改正したい。この矛盾。
日米地位協定とか、本当に日本は独立国家なのかと疑問に思うことがある。 -
今流行の集団的自衛権について知るために読んだ。そもそも集団的自衛権がアメリカのいうがままに必要性が議論されているということがわかる。
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別名「アメリカとの付き合い方」だろうか。村上春樹ではないが、「アメリカ?やれやれ」といった面倒さを再確認した。まあ、主権国なんて、善悪で捉えるものでなく、手なずけるしかないのだが。煮ても焼いても食えない。したたかだからね。
逆に、テロ組織と違って、どんなならず者でも、国家ならば対処のしようがある、との視点は新鮮だった。
タイトル通り、日本にとっての集団的自衛権を考えるにあたっての良書だ。
・ダレスにとっては、日本が集団的自衛権を行使して「米国を守る」ことよりも、米国が日本の基地を特権的に維持し続けることの方が、米国の戦略にとってはるかに重要な意味を持っていた。(P61)
・P118からの江畑と小川の分析。劣等感を抱くどころか、米国に対する「対等の立場」が強調されている。
・「土着テロ」と「革命的テロ」を混同してはだめ。(P138)
・ムスリム急進派というテロリストをアフガニスタンに集結させたアメリカ。(P158)
・「友・敵」設定のあり方こそが、集団的自衛権の核心に位置している。(P171)
・「ならず者国家」「悪の枢軸」といった国家であっても、テロリストとは違い、最重要の課題は「体制の生き残り」にある。(P205)
・2007年1月11日に中国が、850キロの高度にある自国の気象衛星を弾道ミサイルで破壊する実験に成功した。宇宙の軍事化(P213) -
序章にあるように「国際上保持、憲法上行使不可」という集団的自衛権に関する政府解釈は、法律論として議論される問題ではなく国家が採るべき基本的な選択にかかわる問題である。安倍政権は日米安保における日本の米国、に対するプレゼンスを対等にもっていくために内閣法制局長官を集団的自衛権行使の容認派に強制的にすげ替えたのであろうか。そうであったならば、政権の交代ごとに政権の圧力によって解釈が変更されるという異常事態が生じることになるのだ。
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『安保条約の成立』(岩波新書、1996年)を著した豊下楢彦(関西学院大学教授)の新刊である。
構成は以下の通り
序章 憲法改正と集団的自衛権
第一章 憲章五一条と「ブッシュ・ドクトリン」
第二章 第一次改憲と六〇年安保改定
第三章 政府解釈の形成と限界
第四章 「自立幻想」と日本の防衛
第五章 「脅威の再生産」構造
第六章 日本外交のオルタナティブを求めて
本書の第一印象は、「反米的」な思想だということである。タイトルにある集団的自衛権そのものについて論じているのは、最初の2章分ぐらいなものである。全体を通して見れば、「対米従属外交の危険性と欺瞞」というようなタイトルがふさわしいように思える。
本書において最も重要で興味深い部分は、序章と1章において論じられる「集団的自衛権」の定義である。
よく混同されがちな「集団的安全保障」とは全く別の概念であることを指摘しているのは、一般向けの書物としては妥当な判断だろう。
そして、国連憲章に成文化されている国家の固有の権利としての「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の論理と生成が1945年の憲章制定過程において記述されている。歴史畑の研究を続けてきた著者の面目躍如といったところだろう。
さらに第2章から第3章にかけては、その「集団的自衛権」の解釈をめぐる政府答弁をめぐって、<狭義>と<広義>の「集団的自衛権」あるいは「中核」的な意味合いの「集団的自衛権」の範囲が分類され、語義を正確に定義して議論を整理しようという著者の意向が伝わる。
しかしながら、後半の4~6章はいただけない。特に5章と6章は蛇足だとも言える。前半の精緻な史料分析も、この後半に入るとただの時事論評に堕している。歴史家が現在のことにまで言及する不格好さがにじみ出ている。最後に提言しているオルタナティブも、とても現実的とは思えない。
全体を通して、安倍首相や保守層が言及する「集団的自衛権」の危険性・違憲性を説明するあまりに、一見かなり実証的に論じられている議論のあちらこちらに欠陥があるのも事実である。歴史家にあるまじき軽々しい断定も気になるところである。
巷間の議論に比べれば、かなり水準の高い著作であると言えるが、(期待の裏返しでもあるが)やや不満が残る -
憲法改正は本当に必要か?
アメリカと対等な発言力を得ることができるようになるのか?
答えはこの本の中に。