- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310914
作品紹介・あらすじ
日本語は、いつ頃どのように生まれたのか。「日本精神」の叫ばれた戦時下、「日本とは何か」の問いを抱いた著者は、古典語との格闘から日本語の源流へと探究を重ねた。その途上で出会ったタミル語と日本語との語彙・文法などの類似を語り、南インドから水田稲作・鉄・機織などの文明が到来した時代に言語も形成された、と主張する。
感想・レビュー・書評
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p119
「水田稲作に関して中国の古代語は一つも日本語にかかわっていない。考古学者は地理的な距離の近さを重く見て、文明は万事、朝鮮、中国からの輸入と思い込んでいるらしいが、この21の単語はその考えに反対を表明しているのではあるまいか。」
日本語が同語系の朝鮮語由来だとする従来の説に真正面から斬りかかるような主張。中国語、朝鮮語からの影響ばかりに気を取られ解明が進んで来なかった日本語の源流研究に風穴をあけようという気概を感じた。
タミル語とのコジツケもかなり目立つが。 -
日本語のタミル語起源説。タミルは南インド。言語や文法だけでなく、五七五七七の韻律まで 共通してる
さらに 水田稲作、鉄、結婚、相続、鏡餅、神など文明まで 日本語圏とタミル語圏に共通性があるのだから、日本語のタミル語起源説は 正しいのでしょう -
日本語の厳選は南インド(?)のタミール語だというのはこの人しか言っていないけど、日本語をこよなく愛している人だというのは彼の著書を読んでいれば伝わってきます。
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言語学者、大野晋氏の著書。言語学をやる人なら大野氏の本には絶対に一度ぐらいは触れるもんなので、ちょっと懐かしいなぁと思いながら読みました。
中身はかなりがっつり言語学なので、基礎的な知識なり言語学に対する関心なりがそれなりに無いと、ちょっと読み進めるのが大変かもしれません。
日本語が、地理的に近いところに似たような言語がないというのは有名な話です。文法的にはモンゴル語やトルコ語が近いものの、似た音を持つ単語がないため、それらの言語とも親近関係にはないというのが定説。
大野氏は、似た音の単語が多いということや文法が似ているという言語学的な面だけでなく、文化や信仰、稲作や農業にまつわる風習、埋葬の方法といった民俗学的な側面から、南インドのタミル地域との相似を見出して論を展開しています。
さすがに大半が言語学の面からの例証ですが、稲作にまつわる風習や単語のあたりなんかは、言語学者がここまで調べるか?というぐらい、きちんとした理論が述べられていて、面白かったです。
ちょいちょい専門的な論も出てきますが、総じて言語学ベッタリという本でもないので、一つの論として南インドとの繋がりを、この本を通じて読み解くのも好いかと思います。 -
日本語とタミル語との関連性を切々と訴えた内容。興味深い見解だった。言語学はまじ面白いなぁ。
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日本語タミル語同族説で有名な国語学者の最新著作。今年米寿(私の祖父と同年だ)という高齢で,まだ本を出すなんてすごい。若くして広辞苑の編纂にも携わり,生涯国語研究を貫いている。この本はそんな著者の研究人生の総まとめといった内容。
少し脱線。広辞苑といえば,つい昨日改訂についての報道があった。「うざい」「いけ面」「メタボリック症候群」など一万の項目を追加するらしい。改版のたびに,こんな新語がお墨付きを得た,とばかりに大々的に報道されるけど,これってなぜ広辞苑だけなの?国語辞典なんか他にもいっぱいあるのに。岩波さんだけタダで宣伝してもらって~,なんて,商売敵は苦々しく思っているのでは。初版発行が印象的だったからか,半世紀以上経てもこの辞典の権威は一向に衰えを見せない。もはや,日本の活字文化のバロメータはこれ,と考えられているようだ。そういや,会社のPCにも,頼んでもいないのに入れられている。来春これも第六版にバージョンアップされるのかな。
広辞苑の序文には,目立たないが,ある工夫がされていておもしろい。「辭苑」の後継辞典である広辞苑の編纂・発行は戦後で,表記は現代かなづかいによった。しかし編者の新村出は,現代かなづかいには反対で,署名をつける序文にはどうしても使いたくない。そこで,現代かなづかいでも歴史的かなづかいでも同一の表記になるように,文章を練ったのだという。新旧かなづかいで表記が同じ言葉は多いし,漢字も使えるから,可能は可能だが,ある程度の長さの文章でこれを徹底するのはけっこう難しかったろう。ちょっとしたパズルみたいなものだ。
本の紹介にもどります。日本語は南インドに起源するという独自の見解を,比較言語学の方法を使って一般向けに分かりやすく解説。南インドで現在使われているタミル語と,日本語には類似点が多いのだそうだ。基本語彙や稲作に関する言葉に特に共通点が多いという。もっとも,発音については,日本語は母音で終わる開音節なのに対し,タミル語は閉音節で異なる。しかしこれは,植民地で英語や仏語が現地訛りで定着してゆく,ピジン→クレオール語の過程と同様と考えれば説明がつく。発音構造だけは土着のもののまま,外来言語を取り入れた,ということだ。水田稲作は,中国大陸か朝鮮半島から伝わったというのが定説だが,著者は,水稲は南インドから伝わり,同時に言葉も伝わって,和語のもとになったと主張する。考古学的事実や文化の共通性にも触れて自説を補強する。
この説は一般に受け入れられてはいない。日本語は,同族語をもたない孤立した言語と考えられている。読んでみて,私もちょっと眉唾だなあと感じた。日本語は音韻構造が単純すぎて,語の発音の類似なんて,どうとでもこじつけられそうな気がする。地理的にも,遠く離れた南インドから,小さな日本列島にピンポイントで来たとは考えにくい。日本に来たなら東南アジアのどこかとか,他にも同族語があってよさそうなものだ。印欧語族のような,大量に史料があってほぼ間違いなく同根の言語だといえるものとは違い,日本では文字の出現が遅くて古い史料が乏しい。だからこの大野説の正誤は,今後もはっきりとしないのではなかろうか。
読了後,まもなく著者の大野氏が亡くなったようです。御冥福をお祈りします。 -
途中ちょっと飽きたりもしたけど(…)興味深い内容でした。日本語に対する意識の高さはさすがこういう仕事してる人だなって。