宮本武蔵: 「兵法の道」を生きる (岩波新書 新赤版 1167)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311676

作品紹介・あらすじ

誰もが知る存在でありながら、じつは信用できる史料がきわめて少ない武蔵。小説や伝説に隠されてきた実像はいかなるものだったか。すべての勝負に勝ってなお生涯追求し続けた、「兵法の道」とは何か?新史料も用いながら生涯を追うとともに、きわめて合理的かつ具体的に書かれたその思想を、『五輪書』を核に精細に読みとく。

感想・レビュー・書評

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  • 宮本武蔵の実像に迫る書。五輪書の解説も素晴らしく、武術の奥義書のようである。
    他の著作も読みたい。

  • (2016.07.09読了)(2016.07.03借入)
    副題「「兵法の道」を生きる」
    Eテレの「100分de名著」で『五輪書』が取り上げられました。担当は、この本の著者でした。『五輪書』の現代語訳も読んでみました。宮本武蔵の気迫が伝わってきます。
    図書館でこの本を手に取ってみると、歴史上の宮本武蔵に触れているようなので、借りてきました。
    吉川英治の『宮本武蔵』は、面白く読ませてもらいましたが、ある程度伝承に基づく部分もありますが、ほとんどは、史実ではなく、作家の創作なんですね。
    武蔵は、関ケ原の合戦に参加していると思っていたら、黒田官兵衛の軍に従って、九州を転戦していたらしい。小次郎との戦いでは、約束の刻限にわざと遅れて行ったことになっていますが、ちゃんと約束に時刻に行っているようです。
    この本の、後半は、『五輪書』の解説になっています。

    【目次】
    はじめに
    序章 「巌流島の決闘」の虚実
    一 「宮本武蔵」の誕生-「天下一」の武芸者へ
     1 武蔵の生い立ち
     2 少年期の武蔵
     3 関ヶ原の戦いと廻国武者修行-実践の中で生まれた感覚
     4 『兵道鏡』を記す-円明流の樹立
    二 「ふかき道理」を求めて-幕藩体制確立期の社会で
     1 大坂夏の陣とその後
     2 姫路藩・明石藩の客分として-「遊寓の名士」
     3 「兵法の道にあふ」-島原の乱の頃
    三 「兵法の直道」を伝えん-後世に遺したもの
     1 二刀一流の展開-熊本細川藩にて
     2 晩年の境地-水墨画と『五方之太刀道』
     3 『五輪書』の成立-「天道と観世音を鏡として」
     4 『独行道』と武蔵の終焉
    四 『五輪書』の思想
     1 地の巻-剣術一通りにしては、まことの道を得がたし
     2 水の巻-身も足も心のままにほどけたる
     3 火の巻-兵法の智徳を以て、万人に勝つ所を極める
     4 風の巻-他の事をよく知らずして、自らのわきまへ成りがたし
     5 空の巻-おのれと実の道に入る
    終章 「道」の思想の中で-「常に兵法の道をはなれず」
     1 「道」の思想
     2 剣術の「道」の展開
     3 武蔵の「兵法の道」
    宮本武蔵関連略年譜
    宮本武蔵関連資料
    あとがき

    ●吉川英治作(ⅱ頁)
    お通や又八は、もちろん小説家・吉川が作った架空の人物であり、沢庵との関係も事実ではない。
    ●後半生(ⅳ頁)
    武蔵は、大阪の陣では徳川譜代大名の下で出陣し、その後は播磨に入った譜代の二つの藩(姫路藩・明石藩)と関係し、二人目の養子の伊織は小笠原藩の家老にまでなっている。
    壮年期からこれらの藩の客分となり、晩年の熊本の細川藩でも客分として、大名や家老から非常に丁重に遇されていた。
    ●生れ(23頁)
    伊織の資料からすると、武蔵は播磨に生まれた後、やがて美作(作州)の新免氏の家を継いだのは確かなようである。
    ●黒田官兵衛(31頁)
    『武州玄信公伝来』は、関ケ原の戦いのとき、九州でも戦闘があり、武蔵は父の無二と一緒に、黒田如水孝高の下で戦ったとして、詳しく書いている。(慶長五年、十九歳)
    ●小次郎(49頁)
    『五輪書』の記述に拠れば、小次郎との勝負は、武蔵が二十九歳の時で、天正十年生まれと考えると、慶長十五年(1610)ということになる。
    ●明石から小倉へ(67頁)
    寛永九年(1632)12月、小笠原藩は、明石十万石から、九州の小倉十五万石に加増され移封された。
    伊織は、このとき二千五百万石を下されたという。
    新領の治世の開始に奔走する伊織を後援するため、武蔵は寛永九年に行を共にして小倉に赴いたはずである。
    ●島原の乱(71頁)
    寛永十五年(1638)2月、武蔵は伊織と共に島原の乱に出陣している。
    ●敵を切る(161頁)
    受けると思い、張ると思い、粘ると思い、さわると思っているから、切ることが不足になる。「何事も切る縁と思ふ事、肝要也。よくよく吟味すべし」
    ●見届ける(185頁)
    勝っても、まだ敵の下の心が負けていないこともある。敵が完璧に負けたと心底思うところまで見届けなければならない。

    ☆関連図書(既読)
    「五輪書」宮本武蔵著・神子侃訳、徳間書店、1963.08.01
    「五輪書の読み方」谷沢永一著、ごま書房、1982.10.05
    「宮本武蔵「五輪書」」魚住孝至著、NHK出版、2016.05.01
    「宮本武蔵 一」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.01
    「宮本武蔵 二」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.01
    「宮本武蔵 三」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.30
    「宮本武蔵 四」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.30
    「宮本武蔵 五」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.30
    「宮本武蔵 六」吉川英治著、講談社文庫、1971.07.30
    「随筆 私本太平記・随筆 宮本武蔵」吉川英治著、講談社文庫、1990.10.11
    「それからの武蔵 Ⅰ」小山勝清著、集英社文庫、1980.10.25
    「それからの武蔵 Ⅱ」小山勝清著、集英社文庫、1980.10.25
    「それからの武蔵 Ⅲ」小山勝清著、集英社文庫、1980.11.25
    「それからの武蔵 Ⅳ」小山勝清著、集英社文庫、1980.11.25
    「それからの武蔵 Ⅴ」小山勝清著、集英社文庫、1980.12.25
    「それからの武蔵 Ⅵ」小山勝清著、集英社文庫、1980.12.25
    「宮本武蔵」津本陽著、文春文庫、1989.02.10
    「決闘者 宮本武蔵(上)」柴田錬三郎著、新潮文庫、1992.07.25
    「決闘者 宮本武蔵(中)」柴田錬三郎著、新潮文庫、1992.07.25
    「決闘者 宮本武蔵(下)」柴田錬三郎著、新潮文庫、1992.07.25
    「謎の剣聖・宮本武蔵」加来耕三著、祥伝社文庫、1995.10.30
    「宮本武蔵」司馬遼太郎著、朝日文庫、1999.11.01
    「宮本武蔵」光瀬龍著、廣済堂文庫、2002.04.01
    「謎解き宮本武蔵」久保三千雄著、新潮文庫、2003.01.01
    (2016年7月10日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    誰もが知る存在でありながら、じつは信用できる史料がきわめて少ない武蔵。小説や伝説に隠されてきた実像はいかなるものだったか。すべての勝負に勝ってなお生涯追求し続けた、「兵法の道」とは何か?新史料も用いながら生涯を追うとともに、きわめて合理的かつ具体的に書かれたその思想を、『五輪書』を核に精細に読みとく。

  • 宮本武蔵のことを余りにも知らなさすぎたので、
    ダイジェスト的に知れるかと思い一読。

    前半は宮本武蔵の人生を小説などで脚色されていない、
    真の宮本武蔵の人生を探るパート。
    あまりこういう本は読まないので、
    色々な文献から武蔵の生き様や考えを推察していく展開は、読むのに多少忍耐はいるものの割と面白く読めた。

    後半は宮本武蔵の五輪の書、他の著作をもとに。
    彼の哲学を探るパート。
    こちらに期待して読んでいたのだが、
    正直何となくは分かったものの、
    現代の我々に参考になるかというと?だった。
    そういう目的で解説した本ではないので、
    作者からすると期待違い何だろうけど。

    最後の方は力尽きて流し読み。。。。

  • ぬた~ん。

  • いろいろと不明な点やイメージだけで語られることが多い武蔵の生涯と五輪書について、様々な角度からの考察を経てとても丁寧に記述されている。

  • 五輪書を中心に武蔵の生涯をよくまとめてあった。常に兵法の道を離れず。新たな発見があった。

  • [ 内容 ]
    誰もが知る存在でありながら、じつは信用できる史料がきわめて少ない武蔵。
    小説や伝説に隠されてきた実像はいかなるものだったか。
    すべての勝負に勝ってなお生涯追求し続けた、「兵法の道」とは何か?
    新史料も用いながら生涯を追うとともに、きわめて合理的かつ具体的に書かれたその思想を、『五輪書』を核に精細に読みとく。

    [ 目次 ]
    序章 「巌流島の決闘」の虚実
    1 「宮本武蔵」の誕生―「天下一」の武芸者へ(武蔵の生い立ち 少年期の武蔵 関ヶ原の戦いと廻国武者修行―実践の中で生まれた感覚 『兵道鏡』を記す―円明流の樹立)
    2 「ふかき道理」を求めて―幕藩体制確立期の社会で(大坂夏の陣とその後 姫路藩・明石藩の客分として―「遊寓の名士」 「兵法の道にあふ」―島原の乱の頃)
    3 「兵法の直道」を伝えん―後世に遺したもの(二刀一流の展開―熊本細川藩にて 晩年の境地―水墨画と『五方之太刀道』 『五輪書』の成立―「天道と観世音を鏡として」 『独行道』と武蔵の終焉)
    4 『五輪書』の思想(地の巻―剣術一通りにしては、まことの道を得がたし 水の巻―身も足も心のままにほどけたる 火の巻―兵法の智徳を以て、万人に勝つ所を極める 風の巻―他の事をよく知らずして、自らのわきまへ成りがたし 空の巻―おのれと実の道に入る)
    終章 「道」の思想の中で―「常に兵法の道をはなれず」(「道」の思想 剣術の「道」の展開 武蔵の「兵法の道」)

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著者プロフィール

放送大学教授。1953年兵庫県生まれ。放送大学教授。83年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は日本思想、実存思想、身体文化。国際武道大学教授を経て現職。著書に『宮本武蔵―日本人の道』(ぺりかん社)、『定本 五輪書』(新人物往来社)、『宮本武蔵― 「兵法の道」を生きる』(岩波新書)、『芭蕉 最後の一句』(筑摩選書)、『道を極める―日本人の心の歴史』、『文学・芸術・武道からみる日本文化』、『哲学・思想を今考える-歴史の中で』(以上、放送大学教育振興会)、『日本の伝統文化6 武道』(山川出版社)、訳書にE・ヘリゲル『新訳 弓と禅』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2021年 『NHK「100分de名著」ブックス 宮本武蔵 五輪書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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