清朝と近代世界――19世紀〈シリーズ 中国近現代史 1〉 (岩波新書) (岩波新書 新赤版 1249 シリーズ中国近現代史 1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312499

作品紹介・あらすじ

いったんは存亡の危機に直面しながらも、近代世界のなかで自己変革を遂げていった一九世紀の清朝。そこにあった苦しみや迷い、努力や挑戦とはいかなるものだったか。何が体制の立て直しを可能にしたのか。その矛盾に満ち、しかも創造的な過程について、統治や社会の動向、周辺部の状況などもみながら、多面的な世界を生き生きと描く。

感想・レビュー・書評

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  • 日本の近代史を学ぶ過程で中国の近代史を併せて学ぶ。

    ・清という少数民族が、なぜ中国を統一することができたのか?
    ・中国の近代化の遅れの理由は?
    近代化に関しては、当時、中国は欧米諸国との接点が日本よりも厚く、人材の層も厚かったはず。

    清が、中国という広大な地を統一していた、という実態はそもそもなく、分権化が相当に進んでいた、ということなのだろう。
    歴史を見ると、どうしても時の権力者しか表面的には出てこないので、このあたりの実感を得ることが難しいような気がする。
    清朝が潰れても、新たな勢力が取って替わって出てくるという状況からも、それが説明できる。(国家が破綻したわけではない)

    また、強い地方分権と共に、個人主義の強さがあるのだろう。(華僑もその文脈で説明できるのだろう。彼らは国家を信じない)
    個人主義には家族主義や民族主義は入ってくるのかもしれない。何れにしても国家の概念は異なる。

    李鴻章にしても、国家を代表しているとは言い難い。
    国家として富を蓄え、それを国家として投資に回す、という発想、仕組みがなかった。
    この点が、日本の近代化と大きく異なるところ。
    中国は、清朝後半に反植民地化となるのだが、国家としては衰退するも、個人として懐を厚くしてケースは幾らでもあったと思う。

    これは現在の中国にも当てはめることができる。
    共産党一党独裁政権ではあるものの、経済活動は日本よりも自由に活発に行われている。起業家精神も旺盛だ。
    中国のこの二重構造を理解しないと、状況を読み誤るし、中国は近代化が遅れた、と安易に結論づけるのは正しくないと思う。

    以下抜粋~
    ・清朝の人材登用のすぐれた点は、科挙の成績や旗人の家柄だけでは必ずしも高い地位が保証されず、これらの人材の集まりのなかから、仕事のできそうな者を皇帝が適宜に使ってみて昇進させていくという点にある。

    ・清朝の版図についてみれば、その拡大の経緯からして、多様な人々を各様の仕方でつなぎとめることで成立し、広大な内陸を含みこんでいた。19世紀中葉の危機を乗り越えた清朝は、イギリスが覇権をにぎる近代世界に対応するなかで、新局面を沿海部で開いていった。

  • 「シリーズ中国近現代史」第1巻で、日清戦争直前までの19世紀を扱っている。歴史を見る時は「史観」から無縁ではいられない。当の中国では、辛亥革命後はこの時代の清は無能扱いだろうし、加えて現在では太平天国は「農民革命」だ(洪秀全は肖像画では美形扱い)。日本でも、明治維新と近代化に成功した自国との対比では、清は失敗したという見方だろう。しかし本書では、基本を押さえつつ、グローバル化の端緒の中で「苦労しながら頑張った」、近代の始まりとしての姿を描いている。円明園焼き討ちに参加した英軍人ゴードン(後で太平天国鎮圧に参加)の手紙には突っ込み。「僕たちが焼き払った建物の美しさ、壮大さ…焼き払うのは本当に痛ましいことでした…ざっと見て略奪することしかできませんでした。」

  • 後書きに「清朝の後半期について、その生き生きとした時代像を描き出したいというのが、本書執筆の最大の動機だった。ともすれば単に衰亡の過程とみなされがちな歴史をとらえ直したい。」(231頁)とあるように、康煕・雍正・乾隆3代の聖君の時代が終わり、白蓮教の乱とともに18世紀を終えた清朝は、まさに坂を転げ落ちるように19世紀を通過したような印象を持ちます。アヘン戦争と南京条約、虎門寨追加条約に望夏条約・黄埔条約、アロー戦争(第2次アヘン戦争)と天津条約・北京条約でヨーロッパ勢に蚕食され、頼みのロシアもアイグン条約・北京条約で東北地方に進出してきます。同治の中興・洋務運動と入っても後人からみれば不徹底な改革で清朝の限界を感じ、西太后が政治の混乱に拍車をかけ、極めつけは日清戦争による敗北とその後の列強による中国分割。高校世界史に登場するこの頃の中国の事項を並べたら、まさに19世紀の清朝は「衰亡の過程」です。しかし、中央政府の混迷は必ずしも国全体の衰退というわけではありません。この時期の中国における「地方分権」的性格は溝口雄三先生が『中国の衝撃』(東京大学出版会 2004年)などで述べているところですが、会館・公所や郷勇など地方による自助・自衛など地方の動きはむしろ活発な動きをしています。さまざまな立場の人が、それぞれの状況に応じてヨーロッパの「近代」と対峙または適応しようとし、そして激しく移りゆく流れにのまれ、逆らおうとする、19世紀の中国とはそんな時代だったのでしょう。
    それにしても、この時期における世界の一体化は近年授業でも必ず取り上げられるテーマですが、この本を読みそれをつくづく感じました。フランス革命に対し対仏大同盟を提唱したイギリスのピット首相は実はマカートニーを清朝に派遣した人物であったり、アメリカの黒人奴隷使用によるプランテーションで栽培された綿花を購入する際の決済として発行された手形が巡り巡って中国貿易を行っているイギリス地方貿易商人の本国への送金手形になっていました。アヘン戦争には自由党の大人物グラッドストンが反対し、アロー戦争には穀物法廃止で授業でも登場するコブデンが反対しています。同治の中興の背景に、オーストラリアやカリフォルニアで金鉱が発見されたことによる銀余りがあったことも目からウロコでした。

  • 清朝末期というと、国難よりも自己の利益を優先させたとされる西太后を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし、清朝は、近代西洋に立ち向かうために、さまざまな努力をした。本書からは、これまでの清朝観をうちやぶろうとする姿勢が感じ取れる。版図の拡大と民族問題、海外へ向かった華僑、海外労働力となった苦力、四方の隣国との関係等現代中国がかかえるさまざまな問題の源流がここにはある。その中で大きくなっていく日本の存在等、アジアのみでなく世界史の中で清朝をとらえようとする意欲的な著書である。

  • 清朝末期の事実をおさらいするのに良い。
    アヘン戦争以降、下り坂一色で捉えていた清王朝だが、実は四方で自国の勢力圏を守るため列強と戦い、それなりに成果も収めていた部分もあるという事実が勉強になった。この時手放したモンゴルは独立国となり、そうではない新疆やチベット等が中国にとどまっていることからも、現代史に繋がる重要なポイントと思われる。
    19世紀は、中国的価値観に基づく勢力範囲と、西洋のネイション概念が衝突した時代であり、この時の矛盾を今なお中国、世界は引き摺っており、これが中国に対する違和感の深淵かと。
    中国の四方への広がりという奥深さ、ダイナミックさを考えると、日本から見た中国と、中国から見る日本の比重が当然違ってくるということに思い至る。
    また、清朝末期においてなお、社会の規範として儒教の影響力が強く、歴史が長い国、文化であるがゆえに変革は困難だったのであろうと理解できる。

  • この本では清朝の繁栄とそれに隠された苦難について記載されている。その苦難というものは欧米との外交と国内での反乱に分けられると思う。外交についてはアヘン戦争、第2次アヘン戦争後の南京条約や北京条約によって清朝から利益を貪りとる列強たちに手を焼いた。
    国内での反乱については18世紀の人口増加に伴い、豊かな暮らしを手に入れた人々がいた一方でそうではない人々もいた。後者にとって洪秀全の教えは光り輝くものであり、後には太平天国の乱を起こした。それに連鎖する形で他の省でも動機は違えど反乱が起き、大地は荒廃していった。

  • 中国とはどんな国かを知りたかった。
    米ソ冷戦時代が終わり、「眠れる獅子」と呼ばれた中国がついに眠りから覚めた。日本を追い越し世界第二位の経済大国にのし上がった。
    歴史学者アーノルド・トインビーは「世界政府ができるとすれば中国のリーダーが世界政府のリーダーになるだろう」と言った。
    その中国とはいかなる国なのか。
    中国を理解するために、清の成立から没落までの歴史を知る必要がある。
    1840〜1841年:アヘン戦争(清vs英)
    1856〜1860:第二次アヘン戦争(清vs英・仏)

  • 2010年初版の岩波新書。
    中国の近現代史をざっくりと把握し直したい、というときに、
    大変に意外なことに手軽な本というのがなかなか見つからなかった。
    あったとしても初版が1960年代だったりすると、ちょっと躊躇ってしまう。旧社会主義国家の歩みというのは、ソ連崩壊を機に価値観そのものがひっくり返ってしまっているので。
    色々物色して、結局岩波新書の「シリーズ中国近現代史」を手に取ることに。その第1巻。吉澤誠一郎さんという学者さんは全く知りませんが、巻末のプロフィールを見ると1968年生、若い。毛沢東中国への憧憬と無縁の世代であることは悪くないのでは、と。あとは矢張り、「岩波」という編集機関への信頼感。
    #
    「清朝と近代世界」というタイトル。
    なんとなく清朝が安泰な時代の雰囲気から語って、日清戦争手前くらいまで。
    読んだ僕の理解で言うと。
    もともとは、満州地域の民族であり勢力であった人々が、明国が崩壊した間隙を突いて南下。いわゆる「中国全域」に王朝を築いたのが「清朝」。1616年の成立なので、大まかは江戸時代の始まり時期です。関が原が1600、江戸幕府開始が1603、大阪の陣豊臣滅亡が1615、徳川家康没が1616。
    もともと、他民族が漢民族を征服した国家。
    そこに上乗せとして儒教朱子学で体裁を整えた。
    科挙による官僚制度で国の仕組みを作っていた。科挙の背骨は儒学である。
    更に琉球や朝鮮など、「清の属国なのか、只の隣国なのか」みたいな微妙な周辺地域を抱えていた。
    そして、日本と大まか同じような限定地域で、外国との交流貿易を行っていた。
    #
    もう、1700年代には外国からアヘンが入ってきています。
    産業革命を経て、国家的簒奪事業として貿易と威嚇を行っていたイギリスを筆頭とする「列強」は、膨張の必然としてインドに続いて清の領土に徐々に侵略してきます。
    清朝は早い段階でアヘンを非合法指定していましたが、貿易現場での腐敗収賄などによって、どんどん流入してきます。
    ちなみに列強は中国でお茶や綿織物などを買っていきます。
    この清が経験した、「国家的規模の麻薬汚染」というのは恐ろしいものです。
    善悪は別として、大規模な腐敗収賄などを含めて、列強のような「近代国民国家」という仕組みや意識を作れていなかったことが最大の原因なんだと思います。
    一方で日本では、この清の阿片漬けの悲惨を見聞したことで、「こりゃ近代国民国家にならんと、うちもやられてまうで」という危機感が出来たんだと思います。
    アヘン戦争以前、で言いますと、膨張する列強の冒険的商人や政治家からすると、中国は旨味がある市場なのだけど、とにかく儒教がんじがらめの社会の仕組みが邪魔くさかった。よそ者には習慣が分からないし、行政も社会の仕組みもとっかかりが悪い。
    その上、清朝全体に「俺達が世界でいちばんだもんね」という高慢さがあるわけです。礼儀問題だけで、まともな外交がはじまらない。
    でも一方で、どうみても近代国民国家に程遠い社会の仕組み。
    軍隊兵士が、清朝を守るために本当に必死で戦うのか、というとそうではないでしょう、と。
    さらに、自国第一主義で工業化以前のために、兵器や科学の分野で遅れている。
    どこかで、実力で圧倒して貪る機会を狙っていたのでしょうね。
    #
    結局はアヘンを持ってくるのは列強なんです。(ただ、儲かる、となると、清国人も多くがその事業に加担したのですが)
    些細な個人同士の喧嘩殺し合いに等しい事件から、「アヘンの没収禁止」に奮闘努力していた林則徐の勢力とイギリスの間に武力衝突が。
    これに、イギリス議会でぎりぎり過半数で派兵が決定されて、1940年アヘン戦争。1942年には清が敗北を認めて条約を結びます。
    つまりこの戦争は、まあ簡単に言うとどんな理由でもいいから一度武力でマウンティングをして、いいなりの都合の良い条約を結ばせて、アヘン貿易もやりやすくすることが目的だったんですね。「アヘン戦争」というのは極めて妥当なネーミング。ひどい話です。
    なにしろ、様々な不平等条約の中には、「林則徐が没収して焼却したアヘンの賠償」まで含まれています。焼却したときには、アヘンは中国では違法薬物だったんです。無茶苦茶ですね。このときに香港も割譲します。
    もう、ここからはアレヨアレヨと諸外国に同じような不平等条約です。
    #
    長年鎖国の国が、圧力で開国する。不平等条約の中で貿易が始まる。まず外交面において、政府が無能を見せてしまう。一方で旧態依然の内政制度で、18世紀に膨張した人口のお陰で地方の格差などの問題が堆積されている。
    というわけで、いろんな種類の反乱が各地で起こります。
    1851−1864の「太平天国の乱」が有名ですが、インド方面の国境地帯でイスラム教徒による反乱がやはり20年位続いていたのは知らなかったです。杜文秀の乱。
    こういう戦乱が各地で起こります。長引きます。
    もうこうなると、中央の「朝廷」がどうこうよりも、各方面で「うまくやることができる」実力者が台頭します。例えば李鴻章。
    このあたりはみんな、「列強は強いから精神論じゃ勝てないよ」ということを知った上で、利害の合うところは列強も巻き込んで、その軍事力を利用して反乱を鎮圧します。たくましいものです。
    1857年には、またしてもいちゃもん近い「アロー号事件」で第二次アヘン戦争と呼ばれる、列強vs清朝の戦争が起こります。
    ほぼ北京近くまで攻め込まれて、また降参です。ここでもはや完全に武力に脅されて、アヘンの貿易を合法にさせられます。痛ましい。
    そんなこんなで国内は無茶苦茶です。さすがに清朝も政治改革を迫られます。一部では仕組みなど改革が行われます。
    なんだけどそんな時期に皇帝が死んで、次の皇帝が幼かったので、生母である西太后さんの時代がやってきます。これが1861年。不幸でしたね。
    西太后さんがどれだけ「悪い人」だったのかは知りませんが、ともあれ「西洋科学文明にある程度リスペクトを払わないともうあきまへんで」という時代に、相変わらずの「清朝がナンバーワンで、大事なのは儒教の礼節です」という価値観で立ちはだかったのは確かなようですね。朝廷の中枢は現実への対応能力をほぼ失ったまま漂うことになります。
    そうこうしているうちに、1868年には日本で明治維新が起こって、泥縄ですがとにかくアジアで先進的な「近代的国民国家」が発生。言ってみれば老舗のお隣のヤクザが代替わりして、仁義もクソも無い近代経済を踏まえた暴力団に生まれ変わって、義理人情関係なく縄張りに襲い掛かってきます。台湾に色気を見せて出兵。琉球を二重所属から日本だけの領土に編成。朝鮮にも食指を伸ばします。国内では工業化をがむしゃらにすすめます。
    無論、同時代の清朝でも、それを全て理解して、清朝もやらねば、という発言はありました。あったけど、行政の仕組みに乗り切れず。もはやどこに主権があるのかすら、たがが緩み始めています。ほとんど、李鴻章が清朝を体現しているかのよう。
    李鴻章は、どんどん清朝も近代化しなくちゃ、と、列強から軍艦を買って配備したり、いろいろと進めています。
    明治日本政府と清朝、という二項対立で言うと、やはり朝鮮ですね。朝鮮は複雑な時代で。清朝の属国のような、でも自主国家のような。。。という漂い方で何百年もやってきました。そして清朝以上に儒学朱子学に絡め取られて国家を運営していました。
    この「朝鮮」という土地を、「明治日本」という振興ヤクザが、善悪も仁義も関係なく、列強の真似をして自分の縄張りにしたかった、というのがどうやら日清戦争の動機と言えるようですが、その辺からが次の巻になるのでしょう。第1巻終わり。
    #
    全体としてはディティールが豊富なのはありがたいのだけど、若干多すぎて混乱もしました(笑)。もうちょっと、「解釈」「まとめ」的な語り口が多いほうが、読み進む上では面白かったかも知れません。
    あと、アヘンを持ち込んで売る、ということに列強が恐ろしくこだわったのに、それが末端の消費者の生活にどのような様相と意味を持ったのか、というあたりの記述がゼロ。そこは読みたかった。
    と、言うような不満はありますが、ともあれこの中国近現代史っていうのを客観的に通史としてざっくり見せてくれるライトな本がなかなか無い中では、実にありがたかったし、落ち着いた大人の語り口であることには安心しました。さすが岩波さんです。

  • とてと読みやすい。徹夜して読んでしまう面白い歴史新書。取り上げられているエピソードが本当に面白い。

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著者プロフィール

1968年、群馬県に生まれる。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授、博士(文学)。著書、『天津の近代――清末都市における政治文化と社会統合』(名古屋大学出版会、2002年)、『愛国主義の創成――ナショナリズムから近代中国をみる』(岩波書店、2003年)、『清朝と近代世界――19世紀』(岩波書店、2010年)ほか。

「2021年 『愛国とボイコット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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