漢文と東アジア――訓読の文化圏 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312628

作品紹介・あらすじ

漢文の訓読は従来、日本独自のものと思われてきたが、近年、朝鮮、ウイグル、契丹など中国周辺の民族の言語や中国語自体の中にも同様の現象があったことが明らかになってきた。仏典の漢訳の過程にヒントを得て生まれた訓読の歴史を知ることが東アジアの文化理解に必要であることを述べ、漢文文化圏という概念を提唱する。

感想・レビュー・書評

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  • 漢文の訓読は日本独自なものかと思っていたが、朝鮮半島にもあり、ウイグル、契丹等々の東アジアの地方に存在していたことが最近分かってきたという。中国の文化を吸収するためには漢文を読むことが必須であった。しかし、孤立語である中国語とは違う東アジアの言葉は語尾変化があったり助詞があったりする。そのため、語順も中国語とは違うため、自分の国の言葉に翻訳する時に返り読みをしたり、助詞を漢文の隙間に記入したりすることが共通的に発生したようだ。また、仏教経典を梵語から中国語に翻訳する時に、語順が違ったり、語尾変化のあったりする梵語からの翻訳作業時に、返り読みなどをした証拠があるらしい。これが東アジアの諸語の訓読のヒントになったという。

  • ふむ

  • 第1章 漢文を読む―日本の訓読(訓読とはなにか?
    第2章 東アジアの訓読―その歴史と方法
    第3章 漢文を書く―東アジアの多様な漢文世界
    おわりに―東アジア漢文文化圏

  •  昔の東アジアにおける、真理語と(さまざまな)俗語のお話。読みやすい。訓読にはいくつかの方法があること、訓読は周囲の各国で研究されていたことを強調している。

    【本書からメモ】
    ・アジアのいくつかの言語の類型。
     日本語・朝鮮語・モンゴル語(膠着語)
     中国語・ヴェトナム語(孤立語)
     梵語(屈折語)

    【書誌情報】
    著者:金 文京
    本体800円+税
    通し番号:新赤版 1262
    刊行日:2010/08/20
    ISBN:9784004312628
    新書 並製 カバー 248ページ
    https://www.iwanami.co.jp/book/b226049.html

    ※ルビは全括弧[ ]で示した。個人的なメモはこちらの括弧【 】。

    【目次】
    目次 [i-ii]
    はじめに 001
      駅で切符を買う――「券売」と「発券」  「改札口」の中国語・韓国語  東アジアの漢字表現  漢字文化圏の訓読現象  本書の構成

    第一章 漢文を読む――日本の訓読 
    1 訓読とはなにか? 012
      世界に例のない訓読  世界の共通語――ラテン語・アラビア語・漢文  東アジアの特殊な言語事情――孤立語と膠着語  音読み(呉音・漢音・唐音)と訓読み  訓読みの訓とは?
    2 訓読と漢訳仏典 021
      梵語・漢語・和語――漢訳仏典からのヒント  『日本書紀』の注釈法――「此云」という訓注  仏典漢訳の方法  梵語と漢語のちがいの自覚  廻文と訓読――訓読の原点  漢文訓読と仏典漢訳の密接な関係  仏典はなぜ翻訳可能か?――文字を作った三兄弟  翻訳の厳密性と訓読
    3 訓読の思想的背景 038
      梵漢同祖論から梵和同一説へ  本地垂迹説と訓読  漢文と訓読の対等な地位
    4 草創期の訓読――奈良末期から平安中期まで 042
      読むことと写すこと――記号使用以前の訓読  読み順を示す漢数字――語順符  語順符の起源(一)――陀羅尼の数字  語順符の起源(二)――科文と訓読  各種の記号を用いた訓読  送り仮名とヲコト点  ヲコト点の起源
    5 完成期の訓読――平安中期から院政期まで 059
      ヲコト点の読み方――『白氏文集』を例として  訓読文体の確立と秘伝性 
    6 訓読の新たな展開――鎌倉時代から近代まで 064
      ヲコト点の衰退と新たな訓読方式の誕生  訓読に対する新たな考え方――直読への志向  留学僧と漢文能力の向上  朱子学の世界観と訓読  江戸時代の訓読  訓読廃止論――東涯と徂徠  訓読廃止論の限界と一斎点 
    7 明治以降の訓読 080
      訓読方式の英語学習  梁啓超の逆訓読法  『和文漢読法』の功罪  ふたたび直読論  青木正児と倉石武四郎
    注 089

    第二章 東アジアの訓読――その歴史と方法 
    1 朝鮮半島の訓読 094
      現在の韓国での漢文の読み方  諺解[げんかい]――ハングルと漢字による翻訳  朝鮮語の訓読み――『千字文』の読み方  語順符による訓読――朝鮮王朝時代  漢字の略体による訓読――仮名との共通性  訓読から諺解へ  朝鮮の諺解と日本の訓読廃止論  朝鮮通信使の訓読観  高麗時代以前の訓読――『旧訳仁王経』の場合  朝鮮半島と日本に共通の仁王会
    2 新羅の訓読と日本の古訓点 114
      新羅訓読の祖、薛聰[せっそう【설총】]と日本  淡海三船[おうみのみふね]との交流  新羅伝来の仏典と一切経の勘経  日本の訓読の始まりと新羅  『華厳経文義要決』の訓点と韓国の角筆記号
    3 朝鮮半島における訓読の思想的背景 125
      新羅のインド求法僧と訳経僧  インド求法僧、訳経僧を兼ねた慧超[えちょう]  慧超の文体――『往五天竺国伝』  梵語と朝鮮語は似ている――『均如伝』の言語認識  均如と日本の因縁――高麗・日本の交流  均如の漢文訓読  朝鮮半島の国家観――朝鮮こそが震旦  震旦から震檀へ  朝鮮の開国とハングル・漢字混用文  日本からの訓読み逆輸入  それでも訓読はのこった?
    4 中国周辺の訓読現象 149
      契丹人の詩の読み方  契丹人の国家・言語観  契丹文字  高昌とウイグルの訓読  ウイグルと高麗      ヴェトナムの訓読現象    
    5 中国の訓読現象 164
      中国にもある訓読現象  『三国志』の口語訳  中国の歴史と中国語の変化  直解――漢文の口語訳  現存最古の「直解」  異民族の漢文学習
    注 173

    第3章 漢文を書く――東アジアの多様な漢文世界 
    1 東アジアの詩の世界 178
      東アジアの漢詩  共通言語としての漢詩・漢文  ホーチミンの漢詩  朝鮮の郷歌と日本の万葉歌謡  和歌・俳句と朝鮮の時調  契丹語の詩歌と漢詩
    2 さまざまな漢文 189
      中国の漢文と仏教漢文  変体漢文の分類  未熟漢文  和習(臭)漢文  朝鮮の変体漢文(一)――新羅の「壬申誓記石」  朝鮮の変体漢文(二)――新羅の「葛項寺造塔記」【758年】  日本の変体漢文――法隆寺「薬師如来光背銘」  日本と朝鮮の変体漢文の共通性――宣命体[せんみょうたい]と新羅の「教」  吏吐文による戯文  モンゴル時代の変体漢文  『老乞大』の漢児言語――口語としての変体漢文  日本の候文と中国の書簡体  実用文の広がり  福沢諭吉の通俗文と候文  東アジアの変体漢文 
    注 221

    おわりに――東アジア漢文文化圏 223
      漢字のさまざまな発音  漢文のさまざまな読み方  漢文のさまざまな文体  漢文文体の階層性  東アジアの漢文文化圏
    注 230  

    あとがき(二〇一〇年七月 金 文京) [231-233]
    図版出典・所蔵先 [9-10]
    索引 [1-7]



    【抜き書き】
    □139-141頁
     ここまでは、仏典漢訳からヒントを得た漢文訓読、またそこから生まれた梵語と自国語を同一視する 言語観において、朝鮮半島と日本はほぼ同じ道を歩んだと言える。あるいは朝鮮半島の方が時期的に早くこれらを生み出した事実から考えて、それが日本に伝わった可能性が特に訓読については高い。しかしここから、両者は別の道をたどることになる。
     日本では、すでに述べたように、梵和同一説は、日本の神はインドの仏、菩薩の化身であるとする本地垂迹説、また天竺、震旦、日本の三国世界観と密接に連動していた。しかし朝鮮半島では、これとは別の展開をとげることになる。
     『三国遺事』などに見える朝鮮の建国神話では、天上の桓因の庶子である桓雄天王が、太白山頂に天下り、熊の化身の女と結婚して生まれた子、檀君王倹[だんくんおうけん]が平壌に都を置き朝鮮を建国したということになっている。これは日本の天孫降臨神話と同じく、古代東北アジアのシャーマニズム的天神信仰を背景とするものであった。ところで、檀君の祖父である桓因とは、『長阿含経』などの仏典にみる釈提桓因、つまり帝釈天のことである。帝釈天は、もとヒンズー教の神であるインドラで、仏教に取り入れられ、須弥山[しゅみせん]山頂に住む仏法の守護神とされた。つまり朝鮮建国の祖は、帝釈天の孫ということになり、日本の本地垂迹説にくらべて、より直接的にインド、あるいは仏教との関係を説いていることになろう。
     ついで日本では、天竺、震旦という中国仏教の世界観に、日本を加えることによって、三国世界観が作られた。しかし中華世界の冊封体制下にある朝鮮半島では、中国と対等の関係に自国を置くことはできない。そこで朝鮮半島では、これまたより直接的に、朝鮮こそが震旦であるという思想が現れるのである。
     震旦とは、もともと古代インドで中国を指すCina-sthānaの音訳で、真丹、振旦などの表記もある。CinaはいうまでもなくChinaと同じで、古代秦帝国の秦に由来し、支那とも表記される。sthānaは土地を意味する。
     当初これに「震旦」の二字を当てた意図はわからないが、後になって、唐の湛然『止観輔行伝弘決』巻四に引く琳法師(慧琳)の説に、「東方は震に属す、これ日出の方、故に震旦と云う」とあるように、「震」は『易』の八卦では東方に当たり、「目」は朝であるから、朝日が出る東方を震旦というのだという一種のこじつけが行われるようになった。震旦が日の出る東方ならば、朝鮮は中国よりさらに東方にある。しかも「旦」は「朝」である。そこで朝鮮の方が中国より震旦たるによりふさわしい、というさらなるこじつけが行われたのである。
     十三世紀後半、高麗はモンゴル軍の侵入に対し、長年の抵抗のすえ、ついに降伏したが、国王の元宗は、モンゴルのフビライハーンからの召喚命令を受け当惑する。その時、風水師の白勝賢が、もし大仏頂五星道場を設けて祈れば、フビライの命令を退けられるばかりでなく、「三韓は変じて震旦となり、大国来朝す」、つまり高麗が震旦となって、大国中国、この場合はモンゴル)が逆に朝貢してくると進言した(『高麗史』巻百二十三「白勝賢伝」)。王はこの進言を受け入れ、道場で祈ったが、その甲斐もなく、結局はフビライのもとに赴いた。


    □142-143頁
     朝鮮王朝は当時の中国の明朝に朝貢しており、朝鮮という国号も明の許可を得て使用していた。それが国内では、字を変えてはいるが、我こそが中国だと主張していたわけである。朝鮮半島では、高麗末期のモンゴル侵入を契機として、ナショナリズムが勃興する。檀君神話を記す『三国遺事』や三韓震旦説は、みなこの時期の産物であった。それが次の朝鮮王朝になって、朝鮮震檀説となったのである。その後のハングル創製なども、このようなナショナリズムの延長上に考えられるであろう。そして、そのナショナリズムを支えるひとつの有力な根拠は、仏教的世界観であった。
     この点、日本でも元寇によってナショナリズムの昂揚が見られるのと似ているが、全土を征服された高麗の深刻さは、日本の比ではない。新羅から高麗、朝鮮王朝に至るまで、朝鮮半島は終始、中国の属国となる運命を免れることができなかった。日本が天竺、震旦の両大国の外に、自らを対等の国として措定できたのに対して、朝鮮半島ではそれが不可能であったため(日本の和歌に相当するものを、新羅では郷歌と言ったのもそのためである)、自らを震旦に同定するという、より屈折した飛躍的発想が取られたのである。
     もっともこの発想は朝鮮半島だけにかぎらなかったようである。高句麗が亡んだ後、その遺民が主体となって建てた渤海国(六九八-九二六)の始祖、大祚栄は、震国王と称した。この震国は、あるいは単に東方の国という意味であったかもしれない。しかしその渤海を滅ぼした契丹民族の遼王朝が、渤海の故地に一時的に置いた東丹国はそうではない。東丹とは、震旦の別表記である真丹にちなむもので、東は震であるから、震旦にほかならない。
     しかし朝鮮震檀説はむろんのこと、日本の三国世界観もまた、結局はきわめて独りよがり、かつ観念的なものにすぎなかったであろう。それらは中国では通用しない、というよりそもそも中国人には知られていない国家観、世界観であった。ましてインド人が知ったら、それこそインド人もびっくりであろう。にもかかわらず、あるいはむしろそれゆえに、このような国家観は近代以降にも、なおその影をとどめている。韓国には、韓国史をもっぱら研究する震檀学会が今なお存在する。震檀学会は、日本の植民地時期の一九三四年、自らの歴史を研究し、民族的覚醒をうながす目的で設立された。ちなみに日本という国号もまた、「震旦は東方、日の出の方」という説に由来することは、想像に難くない。そういう意味では日本もまた、ひそかに自らを中国に比していたのである。

  •  日本の訓読の歴史、仏典漢訳との関係。また、訓読は日本だけで行われていたと考えられていたが、朝鮮、ウイグル、契丹、ベトナム、また中国自体における、それぞれの文化・言語に合わせた訓読現象が認められる。漢文文化の受容の仕方が興味深い。

     大変興味深い本。もう少し読み込みたいです。

  • 変体漢文の存在は知っていたが、具体例は知らなかった。冒頭に、「券売機」という日本語の語順と「発券」という中国語の語順を例に出していて、(昔の変体漢文とは異なるだろうが)、わかりやすかった。漢文訓読は朝鮮でも行われており、著者は、「漢字文化圏」ではなく「漢文文化圏」に注目している。

  • 第1章は評価できる。日本以外における漢文による典籍への加点が知られることは良いこと。
    でも、第2章と第3章は明らかに初めに結論ありきの論展開で全く評価できない。「~かもしれない」「~かもしれない」「~の可能性がある」「~かもしれない」「だから~だ!」では無理がありすぎる。
    例えば「仏教は朝鮮から日本へ伝来した」「日本と朝鮮の漢文への加点方式は似ている」「だから漢文訓読は朝鮮から日本へ伝来した」という状態。
    日本の加点は時代による変遷が考慮されているのに、朝鮮ではずっと変わらないかのよう。漢数字による語順表記は影響されなくても思いつくのでは?
    これを読んだ東アジア漢文加点の知識がない人が(学会でも意見が割れているにも関わらず)漢文訓読は朝鮮発祥である、と思い込んでしまうのが心配。

  • 東アジアの国のことばと漢文との関わり(訓読)を歴史的に考証する一冊。「訓読」とは漢文を自らの国語の一部として読む工夫のこと。契丹、高昌、ウイグル、高麗、ヴェトナムでも独自に発展し、日本だけではない。漢文文化圏を捉え直す良書。

  • This book is about the history of kundoku which is a style of interpreting classical Chinese. It focuses on that in Japan, but also covers other areas. It reveals that kundoku is not uniquely Japanese.

  • これはめっちゃいい本! 古訓点を実際に読み解いてみせる入門書はなかったし、東アジアの問題としての訓読をきちんと押さえて見せた構成があざやかですばらしい。
     細かい問題には触れてないのでやや不満ものこるけれど、漢文好きはかならず読むべし。活字で漢文読んでますなんてジマンすると、コロサレチャウゾ☆

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著者プロフィール

元鶴見大学教授
著書・論文:『漢文と東アジア―訓読の文化圏―』(岩波新書、2010年)、『李白―漂泊の詩人その夢と現実―』(岩波書店、2012年)など。

「2024年 『古典文学研究の対象と方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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