大学とは何か (岩波新書)

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著者 : 吉見俊哉
  • 岩波書店 (2011年7月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313182

大学とは何か (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 中世ヨーロッパで誕生した大学がどのような変遷をたどって現代の姿になっていったのかを丁寧に紐解いた1冊。
    世界の流れ、日本の流れをたどりつつ、現在の大学を取り巻く数々の問題にも言及しています。

    過去にも大学は瀕死の危機に追い込まれ、再び蘇り、今日に至っていました。
    その最初の危機は、グーテンベルグによる印刷術の発明というメディアの大革命の影響を受けており、現代の大学もまたインターネットの世界的な普及というメディアの大きな転換点に立たされています。
    歴史的な背景を知ることで、大学の現状や将来の大学像について考えるための材料を得ることができたように思います。
    大学をメディア、すなわち「知を媒介する集合的実践が構造化された場」として見る…この視点は意識しておきたいと思いました。
    消化不良の箇所もあるので、集中できる環境で再読したいです。

    図書館で借りて読んだのですが、かなりくたびれた外観だったので随分前に出版されたものだと思っていました…が、奥付を見たら2011年刊行とのこと。
    くたびれた姿は、多くの大学人が本書を手に取りタイトルの問いに向き合った証のように感じました。

  • 中世のボローニア、パリ大学に始まり、イギリスのオックスブリッジ、そして19世紀のドイツでナポレオンの仏に押される中で、知の先進国としてのフンベルト大学の隆盛、そして20世紀はジョンズ・ホプキンス大学から米国の時代に。中世から近代にかけて大学が衰退し、近代知のパラダイムが浮上した時代があった!大学が学問的想像力を失い、古臭い機関に成り下がった時代があった!デカルト、パスカルスピノザなどが大学と縁があったのか!との指摘は興味深いものがある。日本の大学がドイツのフンベルト型大学をモデルに帝国大学を導入したとのこと。森有礼の理想、そして戦後は南原繁の考え方とプロテスタンティズムが日本の大学の方向性決定づけたと言うことは興味深い。市立大学の全盛から今日の市立大学の危機の時代を迎え、このように原点に立ち返って大学を考えることは重要なことだ。

  • 大学を「コミュニケーションメディア(=媒介)」の一種と捉え、大学再定義を試みる。しかし、大学は「何々である」という普遍的な定義ではない。中世の都市、活版印刷(出版)の出現、近世の国民国家の出現と共に大学の定義は揺らいできた。ネットの出現により、メディアとしての大学の位相も劇的に変化しつつある。現在の最も大きな位相の変化は「国民国家の退潮」である。そして、国民国家の中で設立された旧制大学(特に帝国大学)モデルは、大きな転換が求められている。そのキーワードは「マネジメント力」であるようだ。
    教育面でのマネジメント力の強化のキーワードは、「リベラルアーツ」である。従来の「教養」とは異なる、「リベラルアーツ」を中世のそれをモデルにして再構造化するというものある。つまり、上級学部である「神学も法学も医学も秩序の知で、様々な矛盾がひしめき合う中で、いかに秩序を保ち、その状態をマネジメントしていくかという問いに対する答えを、神の秩序と社会の秩序、そして人体の秩序の3つのレベルで提供してきた」が、ここで生じる「諸々の矛盾する要素を総合的に結びつけ、安定的な秩序を創出するマネジメントの専門知」としてのリベラルアーツに注目し、次世代の専門知として求められるのは、「すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知」であり、その再構造化としてのリベラルアーツの必要性を訴える。確かに中世の大学では、学生や教師の移動性や共通言語を有していた点も、現代の大学に通じる。グローバルな社会の中で、中世の大学の成功と失敗から学べる点は多い。

  • 2011年刊。著者は東京大学大学院情報学環教授。◆内容は、転換期を迎える日本の大学をキーワードに、大学の世界史的な起源、変遷、日本への移入、日本国内での変遷を分析し、大学の将来像を提示。大学が人・情報等の知のネットワークの媒介(ハブステーション?)役を果たす指摘は、興味深い。また、よき主権者となってもらうための国民教育は現代普選下では大学までの教育で賄うべき。一方、大学教育の期待が官僚・給与所得者養成にあるとはやや時代錯誤で、知の行き着く先が国内に止まらない点、研究者養成が大学機能の一部にすぎない。
    大学の現代的な機能を先のように解釈するのは、やや理想主義にも感じるところであるが、大規模講義形式の打破という意味でも納得の結論である。

  • 【資料ID】161828
    【分類】377/Y91
    社会科学のコーナーに並んでいます。

  • 僕の欲しい答えはなかった。

  • 骨太な大学の歴史。世界と日本に大きく分けられるが、特に日本の歴史がリアルだ。自由に問いを発する大学の存在は稀有。それを制度的、財政的な、裏付けを持って、長期的な計画を立てることが必須。

  • • P14 カント:神学部、法学部、医学部を「上級学部」/哲学部を「下級学部」
    ○ 下級学部が理性と真理にだけ従い、「みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由はもたないが、すべての命令を判定する自由をもつ
    ○ 大学が大学としてあるためには、両者の間に緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならない
    ○ 上級学部は外部の要請に応える他律的な知/下級学部は外部から独立した自律した知
    • P50 大学の知の根源的な普遍主義
    ○ アリストテレスの哲学体系による
    ○ 水平的な普遍主義とアウグスティヌス以来のキリスト教の超越的な普遍主義の矛盾
    ○ トマス・アクィナスによるアリストテレス哲学とキリスト教進学の総合
    § 理性と信仰の絆
    • P60 オックスブリッジの瀕死状態
    ○ 貴族的な規範を選ばれた若者に教える
    • P62 都市の時代→国民国家
    • P66 つまるところ、大学は宗教によってひきさかれ、国家のなかに取り込まれることによって「自由」を失ったのであり、グーデンベルクの「銀河系」が、新たな「自由な学知」を大学以上に過激に実現していく基盤として浮上していったのだ
    • マーシャル・マクルーハン:出版が最古の資本主義 手工業が機械工業に先行
    • P71 16世紀以降、このようにして出版社に媒介される知のネットワークが、中世以来の大学をも凌ぐ知的創造性の拠点となり始めたことは、そうした創造を担う主体が、都市から都市へと遍歴する学生から、むしろ書斎や書庫で大量の本を読み比べる「読者」に変化しつつあったことと対応している
    ○ イスラム地域からのアリストテレス哲学の流入→欧州内の知識の流通と蓄積
    • プラトンの教育の場であったアカデミー
    • 自律によって判断する能力、すなわち自由に判断する能力=理性
    ○ この理性の自由故に、下級学部としての哲学部は大学にとって必須である
    ○ なぜなら理性の自由こそが大学の自律性の根本だからであり、それゆえに哲学部は、自由であることしか望まないという謙虚さから、上位の三学部にとって有用なものとなり、それらを統御するのである
    • P88 フンボルトは,知識がすでに定まった不動のものであるという考えを否定し、知識は教師と学生の対話のなかで絶えず新たに生成されていくものだと考えた
    ○ 内容としての知から方法としての知
    • 帝国大学=天皇の大学

    • 消費社会文化の傾向を強める70年代以降の大学生文化からすればはるかに真摯に大学を求めていた。少なくとも当時は、大学が企業への就職のための通過点にすぎないとは考えられてはいなかった。大学はそれ自体で何等かの価値合理性を有するべきであると信じられていた。

    • P222 大学のレジャーランド化
    ○ もはや自由な対話やエリート養成の機関とは程遠く、学歴獲得をほとんど唯一の目的に就職前の若者たちが束の間の急速を楽しむ通過点
    ○ お客様たる学生を店に誘い込む客引きとなり、彼らに教育サービスを提供する労働者になった
    • P236 大学は誰のものなのか
    ○ 人類的普遍性
    ○ 社会に適応した法人の持続可能なマネジメントと普遍的価値への奉仕、この両面を未来の大学はいかに組み合わせていくべきなのだろうか

    まとめ
    • 大学とは何か
    ○ ①キリスト教的世界と中世都市のネットワーク、それにアリストテレス革命を基盤とした大学の中世的モデルの発展
    ○ ②印刷革命と宗教革命、領邦国家から国民国家への流れのなかでの中世的モデルの衰退と国民国家を基盤とした近代的モデルの登場
    ○ ③近代日本における西洋的学知の移植とそれらを天皇のまなざしの下に統合する帝国大学モデルの構築
    ○ ④近代的モデルのヴァリエーションとして発達したアメリカの大学モデル
    • 大学の再定義する上で、根底的で持続的な位相は何か
    ○ 国民国家の退潮
    • 新たなリベラルアーツ=学問上の結合と離反が繰り返す、一種のリズム
    • 無条件的で前提を欠いたその議論の場を、何かを検討し再考するための正当な空間を見出さなくてはならないのであり、それは「この種の議論を大学や《人文学》の中に閉じ込めるためではなく、逆に、コミュニケーションや情報、アーカイブ化、知の生産をめぐる新しい技術によって変容する新たな公共空間へと接近するための最良の方法を見出すため
    • 大学とは、自由への意志である

  • 大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
    大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的な知の再構造化をはかる場としての「ポスト中世的国家モデル」が大学のあるべき姿ではないかと主張している。そして、エリート主義の「教養」ではなく、専門知をつなぐリベラルアーツが重視されるべきとしている。
    著者の考える「大学とは何か」という問いへの答えには、共感するところが多いが、その理念を、今、爆発的に増殖している大学のすべてに適用しようというのは無理があるのではないかと思う。G型大学、L型大学の議論はいきすぎとしても、今よりも数を絞った本来のあるべき姿の「大学」を目指す大学と、職業訓練に主眼を置いた大学(大学という名称を残すかどうかは検討が必要)への分化を軸に高等教育機関の再編成が必要ではないかという感想を持った。
    本論とは外れるが、本書で紹介される大学の歴史におけるエピソードには興味深いものが多かった。例えば、東京大学の前身となりうる組織には、儒学を主とした大学本校、洋学を主とした大学南校、医学を主とした大学東校があったが、本来、メインとなるはずの大学本校は、儒学派と国学派の内部抗争で自滅して、大学南校と大学東校の合同だけで東京大学が誕生したといったエピソードといったものだ。
    本書は大学について考えるうえで、なかなかの良書だと思うが、やや議論が観念的・理想論的に過ぎる気はした。本書の議論を実際の大学改革などに活かそうとすれば、もう一段階のブレイクダウンが必要だろう。

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大学とは何か (岩波新書)の作品紹介

いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考。

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