大学とは何か (岩波新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784004313182

感想・レビュー・書評

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  • 中世ヨーロッパで誕生した大学がどのような変遷をたどって現代の姿になっていったのかを丁寧に紐解いた1冊。
    世界の流れ、日本の流れをたどりつつ、現在の大学を取り巻く数々の問題にも言及しています。

    過去にも大学は瀕死の危機に追い込まれ、再び蘇り、今日に至っていました。
    その最初の危機は、グーテンベルグによる印刷術の発明というメディアの大革命の影響を受けており、現代の大学もまたインターネットの世界的な普及というメディアの大きな転換点に立たされています。
    歴史的な背景を知ることで、大学の現状や将来の大学像について考えるための材料を得ることができたように思います。
    大学をメディア、すなわち「知を媒介する集合的実践が構造化された場」として見る…この視点は意識しておきたいと思いました。
    消化不良の箇所もあるので、集中できる環境で再読したいです。

    図書館で借りて読んだのですが、かなりくたびれた外観だったので随分前に出版されたものだと思っていました…が、奥付を見たら2011年刊行とのこと。
    くたびれた姿は、多くの大学人が本書を手に取りタイトルの問いに向き合った証のように感じました。

  • 半分が西洋の大学の歴史で、残り半分が東大中心の帝国大学の話である。教員養成大学についてはほとんど説明していないので、東大生向きの大学の説明となろう。

  • 大学の歴史をなぞるのに役立った。大学は普遍的なようであって実はそうではなく、時代や環境の変化とともに変わっていることは大事な事実だと思う。これからの大学がどうあるべきかは過去の延長上からは定義できないことだけはハッキリしたかも。

  • ・読み終わって感じたこと
     中世と現代が似ている点について、人の動きやグローバル化の視点から考えるることは面白く感じた。浅い感想になってしまうが、少しずつ変わりながらも大きな流れとしては歴史が繰り返されているように思えた。
     様々な国・時代で理想とした教育や国家像があったことを知ることができた。
     人類的普遍性への意志、というものが、大学を始めとする学問の本質だと理解した。
     

    ・面白かった点
     大学という機関を軸に、中世から近代、近代から現代にかけてのヨーロッパやアメリカ、日本の歴史を知ることができ、歴史物としても面白かった。
     学生運動により、学生が真面目になったという話も面白く感じた。
     

    ・好きな文章
     大学再生の原点に位置するカントは、〜神学部、法学部、医学部の三つを上級学部、哲学部を下級学部と名付け、〜その両者の間にある緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならず〜
     
     今後数十年、それどころか数百年にわたり人類が取り組むべき重要課題は、すでにどれも国境を越えてしまっている。〜地球史的視座からこれらの人類的課題に取り組む有効な専門的方法論を見つけ出すことや、それを実行できる専門人材を社会に提供することが、ますます大学には求められていくであろう

     次世代の専門知に求められているのは、まったく新しい発見・開発をしていくという以上に、すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知である。


    ・おすすめする人
     文系や理系というくくりにもやもやを感じている人
     日本の大学に疑問を持っている人

  • 骨太な大学の歴史。世界と日本に大きく分けられるが、特に日本の歴史がリアルだ。自由に問いを発する大学の存在は稀有。それを制度的、財政的な、裏付けを持って、長期的な計画を立てることが必須。

  • 大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
    大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的な知の再構造化をはかる場としての「ポスト中世的国家モデル」が大学のあるべき姿ではないかと主張している。そして、エリート主義の「教養」ではなく、専門知をつなぐリベラルアーツが重視されるべきとしている。
    著者の考える「大学とは何か」という問いへの答えには、共感するところが多いが、その理念を、今、爆発的に増殖している大学のすべてに適用しようというのは無理があるのではないかと思う。G型大学、L型大学の議論はいきすぎとしても、今よりも数を絞った本来のあるべき姿の「大学」を目指す大学と、職業訓練に主眼を置いた大学(大学という名称を残すかどうかは検討が必要)への分化を軸に高等教育機関の再編成が必要ではないかという感想を持った。
    本論とは外れるが、本書で紹介される大学の歴史におけるエピソードには興味深いものが多かった。例えば、東京大学の前身となりうる組織には、儒学を主とした大学本校、洋学を主とした大学南校、医学を主とした大学東校があったが、本来、メインとなるはずの大学本校は、儒学派と国学派の内部抗争で自滅して、大学南校と大学東校の合同だけで東京大学が誕生したといったエピソードといったものだ。
    本書は大学について考えるうえで、なかなかの良書だと思うが、やや議論が観念的・理想論的に過ぎる気はした。本書の議論を実際の大学改革などに活かそうとすれば、もう一段階のブレイクダウンが必要だろう。

  • 中世の大学の起源から、フンボルト型大学、帝国大学、戦後型大学と、その設置形態、目的、理念の変化をたどる。現代の大学がいくつかの改革を経てなお、70年代に提起された問題に完全に答えられていない、という指摘に頷かされる。

  • 中世の大学の思想的核心がアリストテレスにあったとするなら、近代の大学の思想的核心をその発展に先駆けて示したのはカントである。カントは1798年、晩年に書いた「諸学部の争い」で、その後の近代的大学に長く影響を与えることになる未来の大学についての見取り図を示した。彼によれば、大学とは、神学部、法学部、医学部という「上級学部」と、哲学部という「下級学部」の弁証法的統一体である。三つの上級学部は、大学外に、そこで教える内容を方向づける上位の審級を持つ。すなわち、神学部は教会を、法学部は国家を、医学部は公衆医療を目的に成立している。「聖書神学者はその教説から理性ではなくて聖書から、法学者はその教説を自然法からではなくて国法から、医学者は公衆に施される治療法を人体の自然学ではなくて医療法規から汲みとる」のだ。これに対して哲学部は、「みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由は持たないが、すべての命令を判定する自由を持つような学部」である。(「諸学部の争い」)つまり、三つの上級学部が営むのは外部の要請に応える他律的な知であり、下級学部が営むのは外部から独立した自律的な知である。p81

    19世紀の後半になってもドイツの大学に比べるべくもなかった米国の主要大学だが、その半世紀後には経済力を背景にドイツの諸大学と並ぶ水準となる。そしてやがて、あれほど世界の知の中心であったドイツは、その座をすっかり米国に明け渡すのである。つまり、19世紀末から20世紀半ばまでの数十年間で、高等教育の中心はドイツからアメリカに移動したのだ。
    この変化を大学制度の側からみるならば、米国の大学に決定的革新が起きたのは、1876年、イェール大学出身のダニエル・ギルマンが、新設のジョンズ・ホプキンス大学の学長に就任し、より高度な研究型教育を旨とする「大学院=グラデュエートスクール」を、新しい大学モデルの中核としてカレッジの上に置いた時からであった。これはいわば、それまでハイスクール的なカレッジ状態からなかなか抜け出せずにいた米国の大学が、ドイツ型の大学モデルに「大学院」という新規のラベルを貼って「上げ底」する戦略だったともいえるのだが、「大学」と「大学院」に分けてしまえば、旧来のカレッジ方式にこだわる教授陣を安心させ、しかも真に超一流の教授たちを大学院担当に据えていけば、米国全土から向学心に富んだ秀才の大学卒業生を集めることができたから、まさに一石二鳥のアイデアであった。p104

    60年代末の学生叛乱で問われたのは、高度成長に同調して事業拡大路線をひた走る私立大学の利益第一主義と、総力戦期に由来する理工系の研究体制、さらには旧套から抜けだそうとしない大学アカデミズムの権威主義であった。p207

    《終章 それでも、大学が必要だ》p237
    ①キリスト教世界と中世都市ネットワーク、それにアリストテレス革命を基盤とした大学の中世モデルの発展
    ②印刷革命と宗教改革、領邦国家から国民国家への流れのなかでの中世的モデルの衰退と国民国家を基盤とした近代的モデルの登場
    ③近代日本における西洋的学知の移植とそれらを天皇のまなざしの下に統合する帝国大学モデルの構築
    ④近代的モデルのヴァリエーションとして発達したアメリカの大学モデルが、敗戦後の日本の帝国大学を軸とした大学のありようを大きく変容させていくなかで、どのような矛盾や衝突、混乱が生じてきたか。

    <メモ>
    「国民国家」と「大学」は一蓮托生なわけではない。

    【ポスト中世的大学モデルへ】p240
    Cf. 「ボローニャ・プロセス」

    今後、ナショナルな認識の地平を超えて、地球的視座からこれらの人類的課題に取り組む有効な専門的方法を見つけ出すことや、それを実行できる専門人材を社会に提供することが、ますます大学には求められてくるだろう。

    Cf. マックス・ウェーバー『職業としての学問』

    【あとがき】p258
    大学とは、メディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのである。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。
    本書は、「大学」という領域へのメディア論的な介入の試みである。大学を、所与の教育制度として捉える以前に、知を媒介する集合的実践が構造化された場として理解すること。

  •  「大学は今後とも意味を紡ぎ続ける。それが可能であるためには、大学は「エクセレンス」と同時に「自由」の空間を創出し続けなければならない」(256p)。

     「大学とはメディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ」(258p)。

     18歳人口の5割が大学など高等教育機関に進学する時代。それをユニヴァーサル時代と呼ぶらしい。
     その大学が揺れている。デジタル情報時代を迎えたこと、学生の習熟度が低下したこと、少子化時代を迎えたのに大学の増設が続いていること、大学教育が私学によって支えられながらも多くの大学が定員割れで存続の危機にあること。

     大学の現状を肯定したうえで「大学の未来」を論ずるのではない、書いている。
     そのうえでキリスト教との緊張のうえに誕生した中世の大学は、一度、死んでのち復活したのだと、述べる。

     その契機をルネッサンスと広範な印刷術の普及のその後で、出版を教官が書き、学生が読み、大学のもつ専門的な図書館が出版の半永久的収蔵庫となる役割、さらには大学自体が出版社をてがける(246p)ように、大学の存在と出版は密接な関係を構築している、とする。

     そのうえで、圧倒的なデジタル情報時代に転換する時代の局面で、多チャンネル情報時代に研究・教育・地域貢献は大学のみの専管事項でありつづけるのか、どうか。大学人である著者自体が自問自答しているように思える、が(岩波書店 2011年)。

  • 新書を読んで、知的好奇心を味わいたい人には
    ぜひ読んでもらいたい作品です。

    僕自信、新書を読んで久しぶりに興奮しました。

    「大学」の歴史的な変遷を丁寧に辿りつつ、
    いま現在抱える問題、その未来像まで語られた本書。

    いわゆる「大学問題」自体はメディアを通じて得る程度の知識しかない
    僕のような人間でも分かりやすく、かつ面白く読みました。

    特に、中性以降、存在意義を見失ってゆく大学が
    近代国家成立とともに価値を見いだされ、復活してゆくくだりや、
    大学の没落と新しいメディアの誕生の関係性などの部分が
    とても印象に残ってます。

    また、僕はこれまで、なんとなく今自分達の目の前にある
    大学のスタイルが古くから連綿と続いているイメージを
    持っていました。なんの疑問も持たず。

    本書を読んで、同じ「大学」という言葉でも
    それが現す状況というものは時代・地域によっても
    違うという、極めて当たり前なことに気付きました。

    安易に言葉のイメージに流されてはいけない、
    ということも、本書を読んで得た教訓でした。

    今年読んだ新書の中では有数の面白さでした。

    おすすめです。

著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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