日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

  • 1260人登録
  • 3.82評価
    • (69)
    • (138)
    • (90)
    • (14)
    • (3)
  • 132レビュー
著者 : 原研哉
  • 岩波書店 (2011年10月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313335

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 日本の文化を踏まえ、日本人の強みを生かして、今後の世界における日本の立ち位置や進むべき道を説いた一冊。

    「デザイン」とは単なるファッションの創造のみならず、生活を作り上げていくもの。

    デザイナーの仕事とは建築も含め、色んな工業製品だけではなく、生活様式や社会生活まで「デザイン」すること。

    改めてスゴイと思いました。

    目から鱗です。



    また原氏の文章がとても秀逸で説得力を伴うものであったことも驚きました。

    物書きの人よりよっぽど綺麗な言葉を駆使し、時に熱を帯びた文章に感動を覚えます。



    ポイントポイントをノートに控えましたが、少し目の前が開けた感じがあります。

    これは繰り返し読んで自分の中にしっかりと植えつけたい本です。

  • ■なにもないことの豊かさ
     足利義政が東山に築いた東山御殿は、いわば、義政が練りに練った美意識の集大成であった。応仁の乱の直後のことであるから、予算的にはさぞや逼迫していたであろうと想像されるが、義政とはそういうことを理由に何かを倹約するような人ではない。世や民のことはさておき、あり得るだけの予算を投入して、自分の晩年の居場所を構築したのである。
     しかしながら、そこに現れた表現は決して豪奢なものではなく、簡潔・質素をたたえる美であった。敷き詰められた四畳半の畳。外光をなめらかな間接光へと濾過する障子。たおやかな紙の張りをたたえる襖。書き物をする帖台と飾り棚が一面にぴしりと端正に収まり、帖台の正面の障子を開けると、庭の光景が掛け軸のようなプロポーションで切り取られて眼前に現れる。まるで数学の定理のように美しい。義政はつつましく謹慎するためにこのような表現を選んだのではない。おそらくは権力の頂点で美を探求し、さらに応仁の乱の壮絶な喪失を経ることによって、何か新しい感性のよりどころを掴んだのであろう。
     それまでの日本の美術・調度は決して簡素なものではなかった。ユーラシア大陸の東の端に位置する日本は、世界のあらゆる文化の影響を受けとめてきた。世界の末端で、各地の強大な力が生み出す絢爛たる表象物の伝来をほしいままにし、「唐物」と呼ばれる渡来品に魅了されながら、日本は案外と絢爛豪華な文化の様相を呈してきていたはずである。仏教の伝来やそれに起因する仏教文化の隆盛、大仏の開眼法会に象徴される壮麗華美な文化イベントなどはその象徴だろう。渡来ものの装飾の精緻さや珍しさを尊び、そこから多くを学び吸収して日本文化は織り上げられてきていたはずだ。
     それらの文物を集積してきたメトロポリス京都の焼失を目の当たりにした人々の胸に、どのようなイメージが渦巻き、どのような達観が生成したかは今日知るよしもない。しかしおそらくは、華美な装飾のディテイルをなぞり直し復元するのではなく、むしろ究極のプレーン、零度の極まりをもって絢爛さに拮抗する全く新しい美意識の高まりがそこに生まれてきたのではないか。渡来の豪華さの対極に、冷え枯れた素の極点を拮抗させてみることで、これまでにない感覚の高揚を得ることができたのではないか。そんな風に想像することができる。
     なにもないこと、すなわち「エンプティネス」の運用がこうして始まる。そういう美学上の止揚あるいは革命が、応仁の乱を経た日本の感覚世界に沸き起こったのである。
     茶を喫する習慣は世界中にある。温かく香りの良い茶を飲むという行為や時間の持ち方は、普遍的な生の喜びに通じているのだろう。この「茶を供し、喫する」という普遍を介して、多様なイマジネーションの交感をはかるのが室町後期にその源流を持つ「茶の湯」である。誤解を恐れずに言えば、茶を飲むというのはひとつの口実あるいは契機にすぎない。空っぽの茶室を人の感情やイメージを盛り込むことのできる「エンプティネス」として運用し、茶を楽しむための最小限のしつらいで豊かな想像力を喚起していく。水盤に水を張り、桜の花弁をその上に散らし浮かべたしつらいを通して、亭主と客があたかも満開の桜の木の下に座っているような幻想を共有する、あるいは供される水菓子の風情に夏の情感を託し、涼を分かち合うイメージの交感などにこそ、茶の湯の醍醐味がある。そこに起動しているのはイメージの再現ではなく、むしろその抑制や不在性によって受け手に積極的なイメージの補完をうながす「見立て」の創造力である。
     エンプティネスの視点に立つなら「裸の王様」の寓話は逆の意味に読みかえられる。子供の目には裸に見える王に着衣を見立てていくイマジネーションこそ、茶の湯にとっての創造だからである。裸の王様は確信に満ちて「エンプティ」をまとっている。何もないからあらゆる見立てを受け入れることができるのだ。
     空間にぽつりと余白と緊張を生み出す「生け花」も、自然と人為の境界に人の感情を呼び入れる「庭」も同様である。これらに共通する感覚の緊張は、「空白」がイメージを誘いだし、人の意識をそこに引き入れようとする力学に由来する。茶室でのロケーションは、その力が強く作用する場を訪ねて歩く経験であり、これによって、現代の僕らの感覚の基層にも通じる美の水脈、感性の根を確かめることができた。西洋のモダニズムやシンプルを理解しつつも、何かが違うと感じていた謎がここで解けたのである。

  • クルマは「ドライブ」系から「モバイル」系へ。
    移動は個人から都市インフラへ。
     道路の白線という約束を頼りに運転の全てを委ねていた時代は過ぎ去るが、
     根源的な欲望としてのクルマも趣味性の高い乗り物として残る。
     
    「シンプル」が生まれたのは150年前。
     世界が「力」によって統治され、せめぎあって流動性をつくっていた時代には、
     人工の複雑さが威嚇の象徴だった。
     近代化という名のもとに、自由に生きることを基本に再編され、
     物は「力」の象徴である必要がなくなった。

    家を輸出する。
     テクノロジーにより家が制御され始めている。
     テレビもスピーカーも照明も壁と一体化していく。床がセンサーになる。
     靴を脱いで入る住環境は体と環境の新たな対話性を生み出す。

    世界で「評価される」より「機能する」
     日本独自の情報の流れを主体的に生み出していくこと。

  • 原研哉の最近の仕事、考えてること、これからやりたいこと。岩波の「図書」に連載されていた内容、ということで、「デザインのデザイン」よりは軽い印象。自身の概念や考えてることをここ最近はどう落とし込んできたか、みたいな。
    僕もその一人やけど、新書でなくて作品集ぐらいのレベルで図版もたくさん交えつつ、がっつり原研哉と向き合いたいって人は多いんではなかろうか。
    自らコミュニケーション・デザインが専門、というだけあって、相変わらず「モノが書けるデザイナー」さんだなぁと思う。

  • 新刊書なのにこれだけの人数が登録し、レビューも多い。それだけ期待された新書なのだろうか。それともこのデザイナーが有名なのだろうか。
    「安直にファッションという既存産業の仕組みにすり寄ってはいけない」
    西洋・アメリカに追従するのではなく・・・という視点が必要なのでしょう。今こそ、日本の「未来」のデザインを政府や行政がしっかり持ってほしいものだ。
    評価されることを期待するのではなく、主体性を持つことなのだ。

  • ナショナルブランドならいざしれず、世の中の中小企業にとってデザインとデザイナーはお金をかけてまで注力するジャンルではないのが実情、と最近感じていたタイミングでこの本を読んだ。
    第2章の室町時代の阿弥衆の話が目から鱗だった。空間全体の美をしつらえる彼らはデザイナーの始祖であり、時の権力と近い距離にあるゆえに政治と美意識の間の葛藤に悩まされていたのではないかという内容。通史ではあまり深く語られることのない室町時代が、美術史の視点だとこんなに画期的な時代だったなんて。
    日本賛美だけではなく世界にいかに日本のデザインを広めるか、さらに未来につながる活動をデザインを通じて行えるか、について様々なアイディアが語られていてデザインの可能性に希望が感じられた。

  • 今後の日本のあり方、可能性を示した一冊。デザインという手仕事よりな発想ではなく、俯瞰的に、日本をどうプロデュースしていくかという観点から述べられている。
    特に秀逸な前書きは日本という国の素晴らしさを再認識させてくれる。

  • 原研哉氏のエッセイ連載をまとめたもの。
    デザイン、ものづくりで日本を語るとき、表現はどうしても保守っぽい雰囲気になるんだな、と思った。
    それとも、敢えて、国の文化方面にウケの良さそうなネタにしているのか。
    それでも大陸や西洋のいい部分、参考になるところはきっちり紹介してあるし、日本礼賛部分も当然著者の広い経験と実績、深い知識に基づくもの。
    日本の文化を守る、伝えるというのはこうあるべきと思った。

  • 日本を代表するデザイナーのひとりである原研哉による、岩波書店の月刊誌『図書』における「欲望のエデュケーション」という題名の連載(2009~2011年)をまとめたものである。
    著者は、連載の題名「欲望のエデュケーション」について、「製品や環境は、人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」である。よい製品や環境を生み出すにはよく肥えた土壌、すなわち高い欲望の水準を実現しなくてはならない。デザインとは、そのような欲望の根底に影響をあたえるものである・・・よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊饒で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである」という。
    また、本書の題名については、「こうなりたいと意図することがデザインであり、その姿を仮想・構想することがデザインの役割である。潜在する可能性を可視化し、具体的な未来の道筋を照らし出していくこと、あるいは多くの人々と共有できるヴィジョンを明快に描き出すことこそ、デザインの本質なのである」と語る。
    著者は、「ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続していくための不断の資源である」とした上で、日本の「美意識」の中心は、「繊細」、「丁寧」、「緻密」、「簡潔」を旨とし、簡素さや空白に価値を見出していく感受性にあると言い切る。
    そして、今後、日本に求められるのは、西欧中心の既成の価値観において「評価される」ことではなく、日本発の価値観において「機能する」ことであり、日本が如何にして世界で「機能する」べきかについて、移動手段、家、観光、素材などについて具体的に語っている。
    著者のいう“デザイン”の意義・価値に大いに共感するとともに、その未来について考えさせてもらった。
    (2014年3月了)

  • 資源が不足しているからこそ、日本は「美意識」という資源を手にした…というところから話は始まる。シンプルという美、そしてシンプルを先駆けしていた足利義政、繊細で丁寧で緻密で簡潔な日本のデザインなど、日本の美意識という観点から我々を勇気付けてくれる一冊。
    様々な小話が盛り込まれているが、リノベーションに関する提案、世の中が丸と四角ばかりワケ、新素材を使った笑う車などまさに目からウロコの情報ばかりだ。

全132件中 1 - 10件を表示

原研哉の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
深澤 直人
ウォルター・アイ...
デール カーネギ...
ウォルター・アイ...
有効な右矢印 無効な右矢印

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)に関連する談話室の質問

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)はこんな本です

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)を本棚に「読みたい」で登録しているひと

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)を本棚に「積読」で登録しているひと

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)の作品紹介

まさしく歴史的な転換点に立つ日本。大震災を経てなおさら、経済・文化活動のあらゆる側面において根本的な変更をせまられるいま、この国に必要な「資源」とは何か?マネーではなく、誇りと充足への道筋を-。高度成長と爛熟経済のその後を見つめ続けてきた日本を代表するデザイナーが、未来への構想を提示する。

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)のKindle版

ツイートする