- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313854
作品紹介・あらすじ
漱石が自筆原稿で用いた字体や言葉の中には、すでに日本語から「消えて」しまったものがある?-百年前の書きことばが備えていた、現代では思いもつかない豊かな選択肢。活字印刷が急速に発達した時代の、私たちが知らない"揺れる"日本語の姿を克明に描き、言葉の変化の有り様を問う、画期的な日本語論。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか
-
著した原稿を本にする
本にする原稿を書く
変体仮名 -
明治が日本語表記の「揺れ」の時代だったのではなく、それまでずっと揺れていた表記が明治以降に収束の方向に向かった。明治期までの日本語と現代の日本語で、表記の幅以外に本質的に異なるのは、漢語と和語の区別が曖昧になってきたこと。漢語が外来語として意識されなくなってきて和語の中に溶け込んでしまった。
教育の標準化による常用漢字表などの制定、新聞などの出版物によって不特定多数が読む文章が、表記法が統一されていく背景にあった。
古くは「手で書くように印刷する」もので、崩し字や続け字の活字まであった。それがいつしか「印刷するように手で書く」方向へ変わっていった。
振り仮名でもって和語、外来語に漢字を当てることで、非常に多様な表記(同語異表記・異語同表記)がされた。なるべく漢字で書きたいという欲求があった。
→日本語の音素の少なさによるか。平仮名ばかりでは読みにくいから。
「康煕辞典」。漢字の標準形。
唐音は主に江戸時代以降に中国から伝わってきた漢字の音で、白話(話し言葉)的な中国語の音。漢音、呉音とは区別されて、正統的な漢語の発音ではなかった。
ある漢語が、意味のつながりによりまた異なる漢語の表記に流用される。「基礎」と書いて「どだい(土台)」と読ませたり、「平生」と書いて「ふだん(普段)」と読ませたり。
→和語に漢語を当てるなら分かるが、もともと漢語であたものにわざわざ別の漢語を当てるとは、かなり不自然に感じられて面白い。が、著者は、漢語が和語化してきているのが分かるとするくらいで随分とあっさりとした解説。こういうところをもっと掘り下げてくれれば。
あとがきによると、細かい事実を丹念に拾い上げる「虫瞰」を旨としているそうで、それはなるほど納得。やたらな大風呂敷や声高な主張より、個人的にもそちらが好みである。しかし、もう少し考察面の踏み込みがあると楽しいかも。 -
P.82
明治期とは、「和語・漢語・雅語・俗語」が書きことば内に一挙に持ち込まれ、渾然一体となった日本語の語彙体系が形成された「和漢雅俗の世紀」であった。
100年前の日本語」というより「表記、語種が統一されていない明治時代の新聞」という感じになるのかなー。旧字新字「憺」「舊」や、変体仮名「志」「ハ」といった表記の話が多かった。
夏目漱石の直筆原稿や、明治時代の新聞、辞書などの写真が多用されていて、これからこういう情報が読み取れるのか、当時の「感覚」が伝わるし、参考になりました。明治時代の新聞の、振り仮名の活用されぶりがすごい。
一般人向けにわかりやすい、かもしれないけれど言葉遣いや語が論文を読んでる気がした。とても理解しやすかったですが。 -
日本では漢字、ひらがな、カタカナを自由自在に使って文書を作るのですが、世界のなかでこのような国があるのでしょうか。小学校から英語を教えるということですが、日本語教育のほうが大事であると思います。今回のノーベル物理学賞を受賞された教授が仰られたと記憶するのですが、日本語のほうが深く物事を考えることができたようです。日本語は素晴らしいと思います。柳瀬尚紀著『日本語は天才である』を読んだ時もそう思いました。
-
【書き方の選択肢が幾つも存在した時代】
について当時の辞書や文学作品をもとに考察されている。
この時代を「豊か」と捉えるのか「乱れている」と捉えるのかは読者に任すと書かれている。
私は「揺れ(書き方の幅)」を面白いと感じた。 -
非常に興味深く読んだ。<揺れる>こと・多様であることを捨ててきた結果、現在の日本語が失ってしまったものについて考えさせられる。明治の人がもっていた漢語に対する鋭敏な感覚には驚いた。「普請」を『言海』は漢語と見てなかったなんてね。しかし、漱石は手書き原稿までこれだけ緻密に分析されて大変だ。混淆(ごたまぜ)、動揺る(ゆすぶる)のようなるびの振り方は、なんとぜいたくな・豊かなことばの使い方だろう。日本語は”るび”標準装備で教えて、解答文には”るび”を自由に振っていいよ、っていう大学入試が現れるとおもしろいかも。