- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004314141
作品紹介・あらすじ
言葉、風景、人たち、本…。この国の未来にむかって失われてはいけない大切なもの。二十世紀の終わりから二十一世紀へ、そして3・11へという時代に立ち会いつつ、再生を求めて、みずからの詩とともに、NHKテレビ「視点・論点」で語った十七年の集成。
感想・レビュー・書評
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仕事で疲れた身には、TVの「視点・論点」の短さと簡潔さが心地よかった。
数少ない好きな番組で、長田さんが登場されると嬉しくて、じっと聞き入っていた。
この本は、あの頃を懐かしく思い出させる。
読んで驚くのは、17年間に渡って実に48回も出演されたということ。
ああ、たぶん私は半分も知らない。。
初回は95年の8月28日。「国境を超える言葉」というタイトルで最初に登場する。
その後は時系列に並べられ、忘れているものもかなり多いという事実にもう一度驚く。
初版が2013年2月20日。亡くなられる2年前の本ということだ。
折々に自作の詩が差し挟まれ、より説得力を増している。
不思議なもので、何十行もの文章よりも、数行の詩の方がより雄弁だ。
言葉を大切にする生業の詩人らしく、言葉に出来ないものを愛おしく思う気持ちが端々にあらわれている。習慣、風景、時間、会話、そして何よりも本の話。
しかし詩人の言葉は、時に鋭い社会時評にもなっている。
私の好きなエミリー・ディキンソンの詩が載っている章もある。
「他山の石」「不文律を重んじる」「文化とは習慣である」「一日を見つめる」が心に残る。
すべてが、「ほら、わすれものだよ」と、そおっと差し出されたかのような文章。
「ああ、ここにあったんだ。良かった、見つかって」と、読みすすめた。
前述した「玉虫厨子」からの流れで、「美しいもの」に出会いたくて読んだ一冊。
まとめて下さった岩波さん、ありがとう。長田さん、ありがとう。 -
NHKテレビ「視点・論点」で1995年から17年にわたって語った48回の元原稿を初めてまとめた全篇に別の3篇を加えたものだそうです。
「なつかしい時間」とは日々に親しい時間、日常というものを成り立たせ、ささえる時間のことであり、誰にも見えているが、誰も見ていない、感受性の問題をめぐるものであるそうです。
他には、ことば・時間・風景・本・対話・自作の詩などを中心に語られています。
1995年に放送された第1回目の「国境を越える言葉」では、「言葉以上におたがいを非常に親しくさせるものはありません。にもかかわらず、その言葉を共有しないとき、あるいはできないとき、言葉くらい人をはじくものもありません。国境を越える言葉というものは、ないものについて言うことのできる言葉ではないだろうかと思うのです。自由。友情。敵意。憎悪。そういった言葉は誰も見たことがないけれども、そう感じ、そう考え、そう名づけて、そう呼んできた、そういう言葉です。国境を越えそれぞれの違いを越えるのは、言葉でなくて、言葉が表す概念です。おたがいを繋ぐべき大切な概念を共有することが、じつは言葉を異にするおたがいの共生を可能にしてゆくのだ、というふうに思うのです」
という話を宮沢賢治とペルーのセーサル・バジュッホという二人の詩人が共有していた、死者への深い祈りと沈黙とを例にあげて語られています。
人間にとって大切なことを忘れそうになったとき、繰り返して読みたい一冊であると思いました。 -
1995年から2012年までの17年間、NHK「視点・論点」で著者が担当した48回分と同じ時期に話した別の3篇をあわせて収録したエッセイ集です。
現代において「時代の影」へと追いやられてしまった尊いものに目を向けるような問題提起のエッセイ集といったふうでした。「そこが問題なのではないですか」にいたるまでの分析や感じていることが細やかです。だから読んでいて「うん、たぶんそうなんだろうなぁ」とこちらが思えるという、理解する上での納得という土台に乗っかるような問題提起なのです。少なくない章でその具体的な答えを探し実行するのを読者に委ねていましたが、その問題提起に至るまでのなかで、近代の古典などを引いたり紹介したりしながらですから、読んでいてもなかなかおもしろみがあるのです。文学世界の碩学の話を聞いている気分になります(著者は詩人です)。
どういった事柄を問題として提起しているか。たとえば、発信力ばかり叫ばれる今、受信力だって同じくらいいやそれ以上に大切ではないか、というようなことを述べていらっしゃる。これは98年の時点でこう考えておられるのでした。受信力については、リテラシーを磨こうという言説が今、これに対応しだしていますが、本書の後半で著者もリテラシーについてしっかり書いています。
また、風景の中で自らの小ささを感じる経験がとぼしいから、尊大な人が増えたのではないかという説にも、そうかもしれないと思いました。「風景の中にいる」ってことをしないですよね、なかなか、自分も含めて多くの人がそうなのではないでしょうか。
といったように、本書では言葉や記憶や風景や対話、そして時間といったものを、温故知新のように、かつての在り方を知り今また再び確かめることの大切さを問い、訴えたものだと言えるでしょう。とはいえ、説くとか訴えるとかの言葉を使ってでは本書の感想としてはズレてしまいます。もっと、解きほぐされた言葉で、言葉にならないものがあることを見据えた上で語りかけてくれています。
著者自身の豊かな世界観から発せられる数々の考察は、現代人の貧しい世界観を自問するきっかけとなるものだと思います。世界観なんてものを俎上に載せると、正しいか正しくないかでの二択で世界観が語られたり、散文的に乱立する世界観をイメージしたりしがちかもしれません。でも、この本から学べることはそういった種類の見方ではなく、その世界観が豊かなのか貧しいかです。
僕がそこから感じたのは、まず豊かな世界観を持つようになってから、たとえば経済を考えてみてはどうなのだろう、ということでした。多様性といわれますが、多様性の前段階に豊かであること。そうした豊かさの基盤が、多様性だって根付かせてくれるのではないか。同じフィールドで共存しうるというのはそういうことなんじゃないでしょうか。
……などなど、きっと何度も本書を読み返せば、いっとき豊かな気分になったその効果が板についてきそうな気がするのでした。 -
やはり、本に興味があるので、読書のページでつい手が止まってしまう。
〇挨拶という言葉の本は、アイは「押す」、サツは「押しかえす」という意味の、相手あっての言葉です。(p15)
☆相手を見て、笑顔で挨拶したい。
〇自分の日常のなかに、とにかく一冊の本がある、なければ置く。(p103)
☆読書の原点。だから、本の内容が分からなくてもいい。こういう話を読むと、小学6年生のときの担任が「モモ」を読んでくれたことを思い出す。あんな分厚い本読んでもらわなければ親しめなかっただろうよ。
〇人を人たらしめるのは、「習慣」の力なのだ。(p161)
☆日々、何を重ねるかが大事
①自分に嘘をつかない。
②おいしいものを作る。
③自分が本当に好きなことをする。
この辺りを大切にしたい。 -
著者が言葉を大切にする詩人のゆえか、心に響く、あるいは留まる箴言、名句等々、が散りばめられており、じっくり味わいながら読みおえた。
例えば「読書というのは、振り子です。たとえ古い本であっても、過去に、過ぎた時代のほうに深く振れたぶんだけ、未来に深く振れてゆくのが、読書のちからです。P31」
例えば「『退屈』こそ、じつは万物の母なのではないでしょうか。『退屈』を、ゆっくりした時間、ゆったりした時間としてすすんで捉えかえすことができれば、『退屈』のない多忙、興奮のみをよしとする日々の窮屈さに気づくはず。P56」
例えば「本を開くということは、心を閉ざすのではなく、心を開くということです。・・・本に親しむという習慣を通して、わたしたちは、言葉を大事にすること、本を読むということへの信頼を、自ずから手にしてきたし、これからも手にしてゆきたいというのが、わたしの希望です。P106」
本書を読んでいる間は、表題通り「なつかしい時間」を過ごしているようであった。 -
長田弘は詩人である。ともすれば難解なイメージをもたれがちな現代詩の書き手の中で、難しい言葉を使わず、易しい言葉を使って、言うべきことを短く語る、そんな詩人だ。
その詩人が、NHKテレビ「視点・論点」で毎回語った元原稿に手を入れた四十八篇に、同時期に別の場所で話した三篇を加えたものである。もともとが放送原稿であるため、いつもの文体とは異なる「です・ます」調で書かれていることに若干の違和感を持つものの、内容はいつもの長田弘。
『深呼吸の必要』という詩集を行きつけの書店で見つけ、買って帰ったのが、この詩人とのつきあいの始まりだった。ありふれた日常の風景に眼をとめ、吟味された日常語を駆使して、たしかな思考を紡ぐ、その詩篇をことあるごとに読み、口の端に上せた。
その方向性に、いささかの変化もなく、言わんとすることは同じなのだが、番組視聴者の年齢層を配慮してか、詩人自身の年のせいか、インターネットその他現代の諸相に感じる違和感の表明が多くなり、挨拶言葉など失われつつあるものに寄せる愛惜の言葉が増えているのが気になった。
また、古今東西の文献からの引用や、世界を旅して見てきたことの紹介に、いつも新鮮な驚きを感じさせられたものだが、引用は日本近代の文人、露伴、杢太郎、龍之介などよく知られた文人中心に選ばれているようだ。テレビ番組ということもあり、耳で聞いて覚えやすいものが選ばれたということもあったのかもしれない。
十七年、四十八回という長きにわたっているのに、言葉の大切さ、本というもの、読書の持つ意味、と言いたいことに全くブレのないのが、いかにもこの人らしい。
忙しく動き回っているときには忘れていても、何かがあって立ち止まることを余儀なくされたときなど、ふと思い出されて、読んでみたくなるような言葉があふれた一冊。本のもつ質感までも大事にする詩人ではあるが、そんな時には、新書という手軽さが生かされていい。 -
よい!!
人との関係、対話について、場づくりについて、とても共感できる。
視点論点のまとめだそうで・・・そんなの出演していたなんて、知らなかった・・ショック。。。
長田弘は大学生の頃に出会って、当時は鬱々すると、詩をよく書き写していた。
内田樹、外山滋比古などの言っていることに通じるなーと、思い出した。
日々の中で、学びと気づきと生きる力、指針を見出す感性と思考を持つことを思った。詩人なので、言葉がとても美しい。
下記引用
「この世界の子どもたちである私たちに必要なことは、一か八かといった一発勝負ではなく、創造というのは再創造であり、発見というのは再発見なのだという考え方、受け止め方を、毎日の生活のなかに、自分の生き方、感じ方のなかに、蘇生させてゆく努力なのではないでしょうか。」-
akaneirosoraさん、はじめまして
私も本書を読んで、語りかける言葉の深さを感じていました。今でも折に触れて読み返します。
akaneirosoraさん、はじめまして
私も本書を読んで、語りかける言葉の深さを感じていました。今でも折に触れて読み返します。
2013/11/09
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いろんな、本が紹介されてる
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自分の中にはない感覚が取り込まれて行くのがよくわかる。
価値観とか、世界観とか、ものの感じ方とか色々見えてくる。
こういう本大好き。
図書館で読んだのですが、後日購入しました…!! -
私の詩人長田弘のイメージは、いつも大きな樹と寄り添う物語の人があります。樹はその人の原風景であり、自然とのつながりでもあります。NHK視点・論点で長い間語られた物語の終結として、今の時代を深く振り返る鏡でもあるようです。
一人一人の生きてきた証としての原風景、良き時代という安易な表現ではなく、人と人、人と自然が相対して寄り添ってきた記憶をもう一度手に入れたい。
3.11以降に人々の中に生まれてきた、本来の繋がり、人と人とのつながる社会への思索として、読み返してみたいと思う。-
「大きな樹と寄り添う物語の人」
そうですねぇ、、、木の幹に耳を当てて静かに、木の音を聞きたくなります。「大きな樹と寄り添う物語の人」
そうですねぇ、、、木の幹に耳を当てて静かに、木の音を聞きたくなります。2014/03/10 -
nyancomaruさん こんばんは。
コメントありがとうございます。
深い森や、明るい林で、木の音や鳥の声を聴くのもよいですね。nyancomaruさん こんばんは。
コメントありがとうございます。
深い森や、明るい林で、木の音や鳥の声を聴くのもよいですね。2014/03/11
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長田さんはいいですね。心を浄化してくれる力があります。
私は昔も今も読んでおりますよ。
小説を...
長田さんはいいですね。心を浄化してくれる力があります。
私は昔も今も読んでおりますよ。
小説を読むとものすごく疲れるので、そういう時の癒しアイテムです。
でもそんな読まれ方は、たぶん長田さんは不本意だと思います・笑