子どもと本 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315339

作品紹介・あらすじ

財団法人東京子ども図書館を設立、以後理事長として活躍する一方で、児童文学の翻訳、創作、研究をつづける第一人者が、本のたのしみを分かち合うための神髄を惜しみなく披露します。長年の実践に力強く裏付けられた心構えの数々から、子どもと本への限りない信頼と愛が満ちあふれ、読者をあたたかく励ましてくれます。

感想・レビュー・書評

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  • 児童図書館員の必読書。

    子どもを本好きにするには、生活の中に本があること、おとなが本を読んでやること。子どもにとって本が快い記憶とともにあれば、それだけで十分である。
    赤ちゃんの時期には、身近な大人たちと十分な関りをもち、たくさんのことを共有しながら体験の量を増やしていくのがいちばん。ことばの土台である関係が育っていないのに、早期教育を意図して絵本が持ち込まれるのは良い結果を生むとは思えない、と語る。

    図書館の仕事は
    ①文化・教育機能を担う公的機関として、古典的価値を持つ著作を次代に伝える
    ②良書の出版を促し、社会の知の水準を高く保つ
    ③情報へのアクセス権と言論の自由を守る砦
    ④学ぶ意欲を育て、読書が実りある体験になるように助ける
    ⑤良い読者、良い市民を育てる。

    「私たちは、本は良いものであると信じる人々の集団に属している。私たちの任務はできるだけ多くの人をこの集団に招き入れること。」

  • 「昔話と子どもとの関わり」が知りたくて読んだ本

  • 財団法人東京子ども図書館を設立、以後理事長として活躍する一方で、児童文学の翻訳、創作、研究をつづける第一人者である著者が、本のたのしみを分かち合うための神髄を綴る。ブックリストなども収録。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40222705

  • 902

    松岡享子
    公益財団法人東京子ども図書館理事長。1935年神戸市に生まれる。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科を卒業。ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立

    本が好き。幸いなことに、これも、理由や、きっかけ抜きに、気 がついたら好きだったというふうでした。父が本好きで、家には、 ふつうの家庭よりは本がたくさんあったと思います。八歳年上の姉 のためには、ガラスの開き戸のついた本箱があって、それに子ども の本が並んでいました。でも、とりたてて親に本を読んでもらった り、お話をしてもらったりしたことはありません。ただ、かなり小 さいときから字は読めたようです。

    ひとりでいることは、本を読むた めにも、本を読むのに必要な力を育てるためにも、本を読んだあ と、その内容を消化するためにも、欠かせない大切なことだと思い ます。

    それは、わからないところは気にせずに 読む、ということです。"とばし読み"は、子どもの特技なので す。考えてみれば、これは自然なことでもあり、必要なことでもあ ります。何も知らないで生まれてきた子どもは、まわりにあるもの すべてわからないのですから、一々気にしていてはやっていけませ ん。持ち前の好奇心、探求心と、子どもらしい論理で、膨大な「わ からないこと」のなかから、少しずつ「わかること」を増やしてい くのが、子どものやり方です。ことばの習得だってそうです。はじ めは、無意味な音の羅列にしか聞こえなかったもののなかから、ひ とつ、またひとつと特定の音を意味のあるものとして認識していく のですから。知識や経験の足りない分、子どもは、独特の直感力を もっています。それによって、事柄の本質をまっすぐとらえてしま うのです。第六感というべきか、第七感というべきか、そのふしぎ な感覚なしに、どうして幼いわたしが、あの小さな物語にあれほど 強い感銘を受けたかを説明することはできません。

    考えてみると、ロビンソン・クルーソーや、ガリバー、あるいは ドン・キホーテなど、本来子どもの本でなかった作品が今日まで生 きながらえているのは、子どもたちが、これらの作品を直感による "とばし読み"をしたから、といえそうです。子どもたちは、これ らの作品に盛りこまれた、当時の宗教や政治に関する饒舌な説教や 論評などの「わからないこと」をすっとばして、おもしろいところ 4だけを読み取っていったのです。子どもたちがおもしろがったの は、もしかしたら作者がそれと意図していたのではないところだっ たのかもしれません。が、実は、そこに作品の生命が宿っていた。 子どもたちは、それを直感でさぐりあてたのです。とすれば、これ は、子どもたちの世界文学への貢献だといえるのではないでしょう か

    昔話のなかでは、それは明々白々です。親切な行いが よい報いを受ける満足感や、邪悪なこころがもたらす結末のみじめ さを物語のなかでたっぷり味わった子どもたちは、生来もっている はずの道徳感覚を確かなものにすることができるでしょう。

    読書は、つまるところ"代経験 "です。物語を読むとき、子どもは主人公と一体化して、あたかも それが自分の身に起こったように感じつつ読むものですが、そのと きことばを体験に変えるのは、自分がからだに受けた感覚と運動の 記憶、すなわちイメージの力なのですから。

    わたしは、「一日一冊」を日課にかかげ、せ っせと本を読んですごしました。この「一日一冊」は、そう簡単な ことではなく、アップアップしそうになると、岩波文庫星一つ、つ まりいちばん薄い文庫本を読んで、なんとか切り抜けました。 つであったために、ふつうなら手に取らないだろう本を読むことが できたのは、読む本の範囲を広げるという意味ではよかったのかも しれません。

    公共図書館の存在理由、図書館員の任務 と責任についても、認識を新たにすることができました。行き届い インサービストレーニング た現 場 研 修のおかげで、児童図書館サービスに必要な知識を増 やし、技能を磨くこともできました。図書館員スピリットに満ちあ ふれた上司や同僚たちに出会い、この職業への愛着と忠誠心を深く しました。ほんとうに、イーノック・プラット公共図書館ですごし た、「児童図書館員一年生」の一年は、わたしにとって、何ものにも代えがたい、密度の濃い時間でした。

    わたしのような立場にいる者は、「子どもを本好きにするには、 どうすればよいか」というお尋ねを受けることがよくあります。わ たしの答えは、いつもきまっています。生活のなかに本があるこ と、おとなが本を読んでやること、のふたつです。実際、子どもを 本好きにするのに、これ以外の、そしてこれ以上の手だてがあると は思えません。 子どもが最初に本と出会う場所は、家庭です。家庭であってほし いと思います。うちのなかに本があり、親が本を読んでいる姿を見 る。それが、子どもには、本への第一歩です。この世の中には本と いうものがある。紙でできていて、外側は固く、味はあまりよくな い。開くと、なかにうすい、ひらひらしたものがあって、それには 黒い点々がある。ときどき、絵も入っている。おとなたちが、それ を手にしていることがあるが、そのときはおおむね静かだ、といっ たことが、本がある家庭に育つ子どもたちの、本というものに対す る最初の認識でしょうか。


    それは、ことばの土台をつくることです。本は、所詮ことばでで きているのですから、本を読むためには、ことばの力が必要です。 ふつう赤ちゃんと呼ばれる時期は、生まれてから一年乃至一年半、 歩くことができず、ことばもまだ出ていない時期を指します。この 時期、赤ちゃんはめざましく成長しますが、「本を読む」という視 点から考えると、それにいちばん深く関わる「ことば」の土台がつ くられるときなのです。

    アメリカの図書館学校で学んでいたとき、子どもたちの読書興味 は、四段階を経て発達すると教わったことがあります。すなわち、 第一は韻律のある物語や詩を喜ぶ時期、第二には生活に根ざした現 実的な物語をたのしむ時期、つづいて空想的な物語に向かう第三の 時期、そして、最後は、神話、伝説、英雄物語などに興味を示す第 四の時期です。

    現在、子どもたちをかりたてているいそがしさの故に、中学、高 校と、いちばん充実した読書生活をしてほしい時期に、十分本が読 めていないという状況はたしかに深刻な問題ですが、それでも、幼 い日に本と出会い、本がたのしいものだという体験をもって育って さえいれば、人は、ほんとうに必要になったときには、自分が必要 とする本に手をのばすはずだと、わたしは信じています。

    から だの成長に食べものが必要なように、知能や感情の発達には刺激が 必要ですが、本は、何よりも上質の刺激を提供することができるの です。

    本を借りることをおすすめします。家に本がたくさん ある家庭、欲しい本は全部買うことのできる家庭でも、図書館を利 用することをすすめるという、ある方の意見を読んだことがありま す。その理由は、「共同でものを所有することの喜び」を、子ども に体験させたいからだ、というのでした。なるほど、と納得しまし た。

    日常の生活の中では、こころの深みにふ れる会話をすることはめったにありませんが、本を通してなら、さ ほど気恥ずかしい思いもせずに、真面目な話題も口にすることがで きます。また、とりたてて話し合わなくても、本を共有するだけ で、通じ合うものを感じることができるでしょう。 そのようにして、親子で大好きな本をわかちあいながら育った子 どもが、大きくなって、何か問題に突き当たったときなど、本棚か ら幼い日の愛読書を取り出して、じっと眺めていたりする姿を、 人ものおかあさんたちが目撃しています。思春期のむつかしい時期 に、まったく親と口をきかなくなった息子が、子どものとき親子で いっしょに読んだ本のことを話題にしたときだけ表情がなごんだと おっしゃったおかあさんもいました。幼いこころに深くしまいこま れた、親子でともに読んだ本の記憶は、成人したあとも、人が安心 してこころの錨をおろすことのできる港になっているようだとは、 おかあさん方からわたしがよく耳にすることばです。

    長く文庫をつづけている人は、小さいときから本が好きだったの だろうときめてかかっていたのですが、そうではなかったのです ね。子どもができて、子どものために本を読んでやっているうち に、自分がおもしろくなってやめられなくなったという人が何人も いたのです。

    読後の発酵、熟成ということについていえば、わたしが強く願っ ているのは、子どもたちに、本を読んだあと、たっぷり遊んだり、 ぼんやり空想したりする時間が与えられてほしいということです。 読んだ本から遊びが生まれるのは、子どもにとってはごく自然なこ とです。

    本を読む時間があっても、こうした遊び と空想のための時間がないことが、実は、現在、子どもの読書を実 りの少ないものにしている原因ではないかと思われ、このことのほ うが、読書離れ云々より重大な問題ではないかと感じています。

    大勢の子どもに喜ばれている本がかならずしも「その子にとっての一冊」になると は限りません。そんなに大げさに考えずに、どんな出会いが生まれるかたのしみに、 してみるくらいの気持ちでお選びになるといいでしょう。

    わたしたちは、「子どもによい本を」などと気軽にいいますが、「よい本」とは いったいどんな本をいうのでしょう?わたしは、本それ自体に「よい」「わるい」 いうレッテルをはることはできないと思っています。本は読まれてこそ意味が生じるも のです。ですから、読む人、すなわち読者がその本をどう受け止めたかによって、よ」 わるいの評価も生まれるのだと思うのです。

    あまり大した本ではないと一般に思われている本でも、そのなかの一節、あるいは 枚の挿絵が、読む人に忘れがたい印象を残すということもあるでしょう。子どもの場 合、それほどよく書けていない作品でも、想像力で大きくふくらませて読むので、満足 のいく読後感を得ることもあります。

    図書館の蔵書は、書店の品揃えとは違います。読者の要求に応える本を備えて提供す るという点では同じですが、書店が対象にするのは、現時点の読者の要求です。今出版 されている本、今読者が読みたがっている本が中心になります。図書館が対象にするの は、もっと長い時間を見通した、潜在する要求をも含めた幅広い読者の要求です。

    図書館には、過去の読者が大きな恩恵を受けてきた本、わたしたちの知識が今日の水 準にまで発展してくるのに大きな役割を果たした本が保存されているべきですし、これ から先、三十年、五十年経って現れるかもしれない読者のために、その時点でも価値を 失わないであろう本を備えるべきだからです。すなわち、図書館には、書店と違って、 時代、時代が生み出したもっともすぐれた本が失われてしまわないように保存して、次 の世代へ伝えていく役割があり、現在だけでなく、将来を見据えた本の選択をする責任 があるのです。 美術館が美しさの水準を示す役割を担っているように、図書館はわたしたちの社会が もっている知とたのしみの水準を表す場所でなければならないのです。

    子どものとき、近くにある子ども文庫に通っていたという女の人が、あるとき、こん な話をしてくれました。自分は本が大好きで、文庫だけでなく、少し離れた公立の図書 館にも通っていて、両方かけもちで本を借りていた。もちろん、公立図書館の方が、本 はたくさんあって、つぎつぎといろんな本を借りることができたけれど、でも、文庫に は、数こそ少なかったけれど、図書館にない本があった。それに、ときどきおねえさん (文庫の世話人が、自分からは決して手を出さないであろう本をすすめてくれることが あった。ところが、それを読んでみると、とてもおもしろくて大好きになった。そし て、それに似た本を探して読むようになって、自分の読む本の範囲が広がったように思 う、と。このことばは、わたしをいたく喜ばせました。これこそ児童図書館員の仕事の実りを 表している例だと思ったからです。どの図書館にも、こんなふうに、子どもたちがそれ まで自分のなかにあるとは気づいていなかった「新しいたのしみの能力」を発見できる 本が備えられていたら、そして、それをすすめてくれる児童図書館員がいたら、どんな にいいでしょう。

    わたしの働いていた分館は、経済的にも恵まれたとはいえない家庭の多い地域で、 親の教育水準も高くなく、子どもたちの読書能力も平均的、本の好みも素朴でした。ま た、本の扱いが荒いのでしょうか、ほかの分館に比べて本の傷み、汚れがはやいのでし た。

    読書が生涯にわたる自己教育の基本であるこ と、図書館がそれを支える中心的教育機関であること、その活動の成否が図書館員の質 にかかっていることをくりかえし述べ、児童サービスの重要性、各種図書館問の連携の 必要性を強調しています。このままで、今でも、公共図書館サービスの教科書にしても いいと思う内容です。

    しかし、直接、カーネギーにインスピレーションを与えたのは、イーノック・プラッ トでした。ちなみに、わたしが図書館員としての最初の一歩を踏みだしたイーノック・ プラット公共図書館は、金物商として成功をおさめたこのプラット氏の寄付によって創 設された図書館なのです。カーネギーは、プラットが市に寄贈したこの図書館に非常に 感銘を受けました。向上心をもち、自助努力をする人を助けることこそが真の「富の運 用」だとの信念をもっていたカーネギーにとって、読書によって自助努力をする人の集 まる場である図書館への寄付こそが、将来、社会に実りをもたらすことを期待できる、 正しい富の運用だと思えたのです。

    ところで、アメリカの公共図書館でも、最初のうちは、子どもはサービスの対象では ありませんでした。騒々しいという理由で嫌われたのでしょう。いつだったか古い図書 館の写真で、「犬と子どもおことわり」のサインが写っているのを見た記憶がありま す。変化が起きたのは、十九世紀も終わりに近くなってからのことでした。

    図書館がなければ、本が好きにはならなかった。図書館の本で新しいたのしみを 見つけた。必要なことが学べた。図書館の資料でヒントを得て、事業が成功した。図書 館のおかげで本を読む習慣がつき、自分の生活が豊かになった等々、図書館の恩恵を身 にしみて感じ、その必要と役割に理解をもつ人が地域のなかに一定数いてこそ、図書館 は存在できるのだと思います。よいサービスをして、そのような支持者を着実に増やし ていくことが、これからの図書館存続と発展の鍵になるでしょう。

    新書を、とのお話をいただいたのは、実はもう三十年も前のことになりますが、そ のときは、日の前にある仕事を追いかけるのに精いっぱいで、とてもその余裕がありま せんでした。ようやくそのことを考えはじめたのは六年ほど前、当時新書の編集者でい らした坂巻克日さんの強いおすすめによるものでした。

    難航したのは、ほかの仕事の合間を縫って書かなければならないという事情のためも あったのですが、やはりいちばんは岩波新書という重圧でした。わたしの本棚には、岩 波新書ばかりで埋まっているところが二段ほどあります。その一冊一冊にこれまでどれ ほど刺激を受け、助けられてきたことでしょう。それを考えると、自分の書くものがそ の横に並ぶなどとはとても畏れ多いことに思えて仕方なかったのです。ちょっと行きづ まると、その気持ちが頭をもたげてブレーキがかかり、乗り越えるのに、我と我が身を なだめすかし、叱咤激励しなければなりませんでした。

  • 文字をもたない民族は口承で伝える力があるため、いくつかの物語を暗誦できる。しかし文字を覚えてしまった途端、それができなくなってしまう、という話が印象的でした。アイヌ民族もそうだったなと。

    "文字を習得することで失う力"。
    そこから筆者は、早いうちから読み書きを学ばせることの危惧と、子どもたちへの読み聞かせの重要性を説くわけですが、考えが斬新で、新しい視点を得ることができました。

    「昔話」のくだりもとてもよかった。


    ただ全体が筆者の「伝えたいこと」や「思い」にフォーカスされてしまっていて、ある種、かたよった育児ハウツーっぽくなってるのが、少し違和感でした。

  • 「財団法人東京子ども図書館を設立、以後理事長として活躍する一方で、児童文学の翻訳、創作、研究をつづける第一人者が、本のたのしみを分かち合うための神髄を惜しみなく披露します。長年の実践に力強く裏付けられた心構えの数々から、子どもと本への限りない信頼と愛が満ちあふれ、読者をあたたかく励ましてくれます。」

    「コンパクトな新書だが、内容は極めて充実している。児童サービス論のテキストとしても使用できるほど、扱っている範囲も広く、わかりやすく書かれている。」

  • 最後の1年ちょっとのお付き合いでしたが、優しく愛らしい人柄そのものの語り口で「子どもと本」を語る著者の眼差しが感じられます。
    一度でも、読み語りを聞きたかった。

  • 大学で図書館学科を専攻し、渡米。
    アメリカで働いた後帰国し、公立図書館に勤めるも退職し自身で私立図書館を開館し長きに渡り運営される筆者の考える「図書館」や「子どもと本」の在り方について書かれた一冊。


    心理学的な本を読んでも何でもそうだ。
    結局は日本という国の制度が人を育てる組織形態になっておらず
    それぞれの文化的ジャンルにおいて、人が育っていない現状。
    その上でこれからの時代を生き抜く私たちはどうすることがよいのか。考えさせられた。

  • やや時宜は逸したが、追悼の意も込めて読んでみた。
    いかに子どもと本を愛しているかが伝わってきた。
    私も子ども時代に読んだ本や図書室の匂いなんかを思い出して、なんだか胸がキュっとなりながら読み進めた。
    子どもの名前を使った創作語り聞かせ、娘がもう少し大きくなったらやりたいな。

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著者プロフィール

兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後、渡米。ウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学んだ後、ボルチモアの公共図書館に勤める。帰国後、子どもの本の普及に努め翻訳、創作など多方面で活躍。

「2015年 『新・小学校国語の教科書に出てくる読み物セット 全11巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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