- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004315360
作品紹介・あらすじ
学校の戦後史は、実社会との関係史である。民主主義社会の担い手づくりを、高度成長を担う人材育成を、低成長時代に入ると新自由主義とグローバル化への対応を求められてきた学校は、その過程で生じた子どもとの乖離によって内側から揺さぶられている-現在の論点を、戦後七〇年のスパンで捉え、次世代の課題を見据える。
感想・レビュー・書評
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「学校は社会から要請される諸課題に対応しながら自らをつくりあげてきた。そのなかで生じた諸問題は、学校が本質的にもつ問題というよりも、それぞれの時代の社会との関係で問題として浮上したりみえなくなったりするものである」
戦前の学制から始まって、学校がどのように受容されてきたかについて、丁寧にまとめられている。
子どもは労働力で、学校なんか行かせたって意味がないというスタート地点から、今、また「学校に行く意味」に戻ってきているように感じている。
その「意味」の指す内容は大きく違うけれど、筆者の言葉から考えると、社会とのズレが大きくなっているということなのかもしれない。
「学校に行かなければスムーズに社会に出られないシステムがつくられるなかで、学校に依存せざるを得ない家庭が、学校への要求を強め、『学校不信』を抱くという状況が広がっていったのである」
地域の機能が薄くなり、家では学校教育のサポートとして家庭教育が行われている今、学校の需要自身は変わらず存在している。
というより、かつては地域や家庭が担っていた部分までシステム化してきた結果、本来的な学校という場が見えなくなっているとも言える。
学校という場が専制的で、古いだけではない。
学校しか子どもが人と触れる場所が存在しないことにも、きっと問題があると思う。
「こうした『登校拒否』を病理現象とみなす専門家の見解に対して、しだいに問題の当事者たちが異議を申し立てるようになる。学校を休む子どもやその家庭、それを支援する人びとが、管理主義的な学校を批判し、現状の学校を絶対のものとして肯定し通うことを当然とする学校への適応過剰ともいえる受け止めに対して、疑問を呈するようになったのである」
「学校で習得される知識の内容よりも、久冨善之が『競争の教育』で論じたように競争への適応的な態度であり、普通教科中心の学力偏差値に代表される一元的尺度と、それに基づく入試競争を経て優秀な大学に入学を果たすことで示される能力である。それは技術革新など企業内外での競争に対応できる『一般的抽象的能力』や忍耐力などにつながるものとされ、のちに須藤敏昭が論じたように『日本型高学力』として価値づけられたのである」
社会の変化に合わせて、学校も変わらなければならない部分は必ずある。
けれど、それはサービスとしての教育観や、就職支援としての学校観ばかりを目指すことではないように思ってしまう。
そう考える自分にも自信はないのだけれど、子ども達が学ぶことに意欲を持てなくなっているのは、学校が、学ぶことを消費の一つであり、サービスの一つとして貶めてしまっているからではないかと思う。
学びを消費の一つと位置付けることは、暴論かもしれないけれど、そうしている限り満足は来ない。
先日、松岡亮二氏の『教育格差』を読んだのだけど、その流れをより詳しく、さらに流れとして読むのに、とても良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今日、私たちの社会においてあたりまえにある(と思われる)「学校」。では、それはいつ設立され、これまでいかなる変遷をたどってきたのか。著者は学校史を概観する中で、学校が抱えてきた課題をなげかける。「学校」とは何か、そのあり方を考えるきっかけになる一冊。
(Y.M.) -
《教員オススメ本》
通常の配架場所:教員おすすめ図書コーナー(1階)
請求記号 372.107//Ki39
【選書理由・おすすめコメント】
皆さんは当たり前のように大学で学んでいるかもしれませんが、昔はそうでもなかったことが分かります。自分を振り返り大学で学ぶ意義を考え大学生活半ばで自分を位置付ける機会になるかもしれません。専門家により熱意をもって集められた学校に関する資料として貴重です。誰しも学校教育を避けて通れないので教員を目指す人に限らず一読に値します。(化学科 竹村哲雄先生) -
まとまって学校のことを知るには、役に立つ。
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勉強になりました。
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2015年5月新着
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概観はできましたが、教科書的でおもしろいものではありません。
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