プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)

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著者 : 納富信留
  • 岩波書店 (2015年7月23日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315568

プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 本書は、『ソクラテスの弁明』『饗宴』『国家(ポリティア)』など、プラトンの代表作を読み考えながら、
    個人の生や美、社会はどうあるべきかという問題に対して、読者の思索を引き出すような構成となっている。

    著者の納富氏は、過去に国際プラトン学会の会長も務めた
    西洋古代哲学のエキスパートであり、その緻密な研究は信頼に足る。
    また、本書の構成は巧みで、紙幅が限らている中でも、
    プラトン思想のエッセンスが漏れ落ちなく、またわかりやすく紹介されている。西洋古代哲学の優れた「門前書」(=入門の入門)と言ってよいだろう。

    しかし、著者が真摯に議論を積み重ねれば積み重ねるほど、(西洋)哲学の限界をはしなくも露呈する結果になると、私には思われる。
    以下、少し長いが、説明したい。

    プラトン思想の特徴は、言うまでもなくイデア(=普遍的な理想)論であり、目の前に広がる現実世界と隔絶したところに普遍的な理想世界を設定し、その理想世界の原理をもとに現実世界の在り方を考える、というある意味で極めて特殊な考え方である。

    このプラトン思想の影響力は絶大で、西洋思想の歴史においては、理想自体は時代によって「イデア」(プラトン)、「純粋形相」(アリストテレス)、
    「神」(キリスト教神学)、「理性」(デカルト、カント)、「精神」(ヘーゲル)と変遷してきたものの、
    「理想から現実を説明する」という発想そのものは連綿と受け継がれてきた。
    この中で、「自由意志はあるか」「普遍的な道徳はあるか」といったいわば「永遠の課題」も議論されてきた経緯がある。

    このイデア論的考えに対するアンチテーゼだったのが、ハイデガー、そして本書の中でも取り上げられているニーチェの思想だったのである。

    このように、西洋哲学がプラトンのイデア論に始まり、
    その後の哲学史がプラトンのイデア論的考えを敷衍するか否定するかのいずれかだったという状況を指して、
    ホワイトヘッドという哲学者は「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」とズバリ切り込んでいる。

    ところが、このイデアは科学的に論証できる性質のものではない。

    プラトン(もとは彼の師匠であるソクラテス)が説いたのは、絶えざる内省と対話によって永遠なるものを追い求める、その探求プロセスの重要性なのだが、これはどちらかというと「人生哲学」、すなわち「生き方」「人生に対する態度」の問題である。

    そして、西洋哲学が取り組んできた種々のアポリア、
    すなわち「自由意志はあるか」「普遍的な道徳はあるか」あるいは「美とは何か」といったものは、哲人たちが生きた時代と比べて目覚ましい進歩を遂げた自然科学によって、そう遠くない将来に(旧来のアプローチとは全く違うやり方で)解明されるだろう。

    (すでに、自由意志の問題については、脳科学者の間で
    「自由意志は存在せず、あるのはveto(拒否権)だけ」というのが通説になっているらしい。
    また、後の2つについては、脳科学・生物学的観点から説明できる日が来るのではないかと、
    私は勝手に推測している)

    かつてドイツの哲学者・ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の中で、「語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外は何も語らぬこと。
    そして誰か形而上学的なことを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あなたはその命題のこれこれの記号にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない」
    「語りえぬもの(=論理と倫理)については、沈黙せねばならない」と、哲学の問題がそもそも思考不可能であり、ナンセンスなものであると強調した。

    また、70年代に『利己的な遺伝子』でセンセーションを巻き起こした生物学者のドーキンスは、同書の中で、「哲学と、「人文学」と称する分野では、今なお、ダーウィンなど存在したことがないかのような教育が行われている」
    と述べ、自然科学の知見の集積を顧みない人文諸科学の旧態依然としたあり方を皮肉った。

    そしてこうした状況は、この文のすぐ後に「こうしたことがいずれ変わるであろうことは疑いない」と続けたドーキンスの推測とは裏腹に、同書の刊行から40年経った今でも、基本的には変わっていないように思われる。

    相対主義と自然科学の驚異的な進展を目の当たりにして、
    哲学に「生(もしくは学問)に対する真摯な態度」
    (むろん、これが非常に重要であることは論を俟たないが)以外に残されたフロンティアはあるのかどうか、私自身にも、まだ答えはない。

  • プラトンとの哲学 納富信留 岩波新書
    対話篇を読む

    プラトンもソクラテスも答えを用意して臨むわけでなく
    問い掛けによって自問自答を引き出そうとしていることに
    強く共感を覚える
    答え在りきの質問か一つの確かな答えを求めようとする
    数学的な学問と違い
    哲学や倫理学あるいは文学や音楽などには対話と
    自問自答のプロセスしかないということだ

    多分物理学や数学も現象面から距離を置くと
    具象的な枠を超えて抽象的な形のぼやけた答えに近づくのだろう
    究極の全体で見ればどの学問からスタートしたとしても
    この世の真理を目指している同じ方向に辿り着くはずだ

  • 哲学の本にしては妙に情緒的で、特に倫理を論じるところなんかすごい飛躍を感じた。
    が、最後の辺りはちょっと感動的でもある。

  • いろいろ考えた。自分の考えをまとめるべきと思ったし、行動しようと思う。

  • 流し読み。心に刺さろうとする文章がなかった。

  • プラトンの代表作を幾つか取り上げ、そのものよりもそこに根付くプラトンの意識というものを掘り出して対話するというスタイル。
    プラトンは、真の哲学者であったはずのソクラテスの刑死に対して生涯どうして起きたのかという不条理に対する疑問を持っていたと思われる。正義や真実に対して真摯に生きるということの価値を追求してこその人生だという結論に至るまでの対話を、著者とプラトン(仮想)と読者で行う。

  • プラトンの主要な対話篇を取り上げながら、ニーチェ、カール・ポパーら近現代の批判を踏まえながら、プラトンとの対話を試みる実践の哲学の書。

  • プラトンの作品の解説。あらすじにはじまり、ソクラテスとの対話、思索について解説。わかりやすい。

  • 正座して読むべし。身も心もしびれる。

  •  倫理を授業でまなんだときには、それほど自分のなかにしみ込んできたものとは思えないが、これを読むとプラトンの哲学が自分にこれほど共感するとは!と思う。
     とはいえ、これは入門編。
     入門編ながら、そんな傲慢な自分さえも赤裸々にさらけだしてでも真理を追究したくなる【哲学】って、おもしろい!

    ~抜粋、覚書として。P162~
    「支配者層における「家族制廃止」という提案。「私の子ども、私の家」と思う心が私利私欲の牙城となり、他人より家族を贔屓することで不正が助長されます。家族という狭い枠組みが廃止され、ポリスの同胞が互いに親兄弟として接する共同体ができれば、私たちが私欲によって他者を虐げたり、不正に分け前を取ったりすることはなくなるのかもしれません。
     ~中略~
     プラトンさん、あなたはおそらく私たち一人ひとりの魂は独立の存在であり、親であれ子であれ、それぞれが個人としてこの世界で偶然につながりを持ったに過ぎない、そう見ていたのではないでしょうか。家族とか家とかいう思い込みを離れて、人間が個人を尊重する社会、あなたの発想は究極の「個人主義」にも見えます。尊厳とは、そのような個々の存在と人格を認めあうことにあるからです。」

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プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)の作品紹介

ソクラテスを中心に、数々の登場人物が言葉を交わし、思索を深めていくプラトンの対話篇。「君はこの問いにどう答えるか?」。作品の背後から、プラトンが語りかけてくる。『ソクラテスの弁明』『国家』『饗宴』などの代表作品を読み考えながら、永遠の問いと対峙する。二千年の時を超え、いまも息づく哲学の世界へ。

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