やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316176

感想・レビュー・書評

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  •  たとえば2060年。日本に暮らす外国籍の人々は、今よりはるか増えていることだろう。労働の現場でも地域でも、私たちは、国籍を超えた「多文化共生社会」を粘り強く、前向きに構築していく必要がある。

     その共生社会で使われる共通言語は何か。著者は、英語ではなく、〈やさしい日本語〉であることを、実例を挙げながら丁寧に説得している。

    〈やさしい日本語〉とは、外国籍の人々にも十分理解され、情報共有しやすいように調整された日本語のことである。

     そのような日本語を、著者は、外国人労働者受け入れのためだけに提唱しているのではない。最も核にある対象者は、未来を担うすべての子どもたちである。その把握の仕方に、共鳴した。

     子どもたちが、努力さえ続ければ自己実現が可能になり、安定した職業生活を送れるようになる―その意味での社会的流動性の保障こそが、目指すべき多文化共生社会の姿のはずだ。

     だからこそ著者は、日本が「子どもの権利条約」に批准していながら、外国籍の子どもたちは義務教育の対象ではないことも問題視している。

     さて、〈やさしい日本語〉は、外国籍の人々を対等な市民として受け入れる心構え、具体的な方法でもあるが、それは単に外国人に譲歩することではない。著者は、日本語母語話者にとっても、自分の日本語を調整するという行為は「聞いてもらい、相手を説得する」という言語運用能力の訓練の場になることを強調してやまない。

     確かに、相手を説得するディベートのような訓練は、日本の教育では必ずしも十分には行われていない。日本語を改めて見直す機会にもなるはずだ。

     多文化共生社会実現のためには、自分を「普通」と考え、異なるものを排除しようとする発想を改める姿勢も必要となる。

     著者の噛んで含めるような注意深い筆運びそのものが〈やさしい日本語〉の実践例であり、大切なヒントがいくつも提示されている。必読の書と思う。
    (2016年10月9日 北海道新聞「ほん」欄掲載)

  • 「やさしい日本語」で日本語から日本語に訳すスキルは、日本語を母語とする子どもにとっても有効だろうなと思いました。訳すといっても、その「言葉」を分かりやすい「言葉」に置き換えるということだけがそれではない。置かれている状況を想定し、文の構成や文書のレイアウト(イラストを入れるかどうかも含め)まで考えることが大切、というのは発見でした。

    ・加点方式で相手の言葉を聞く。
    ・多言語との接触によって日本語の体系に変化が生じるとすれば、それはその変化が日本語の(潜在的な)変化の方向に合致していたからである。そうでなければ変化は起こり得ない。
    ・「普通」ということは言語学的には「無標」ということ。言語は認識を規定するものであるため、社会的に「有標」な存在とされるマイノリティーを無自覚に追い詰めていることがある。そのことに自覚的であるべき。

    〈話し手〉
    ・文を短く、終わりを明確にする。
    ・理解しているかどうか確認する。
    ・積極的にことばを言い換える。

    〈聞き手〉
    ・あいづちをたくさん打つ。
    ・相手の話を理解したことをはっきり示す。
    ・繰り返し、かくにんする。
    ・相手が困っていたら、積極的に助ける。

  • 「やさしい日本語」の使い方を学ぼうと手に取ったら、ガッツリ庵先生の論文を読んでる気分になった。やさしい日本語の実例や先生の体験談はほぼなく、日本を取り巻く環境、マイノリティへの必要性などを言語の側面から、なぜこのような形態の言葉が必要なのかを説明しています。
    外国人向けのわかりやすいチラシを作ってもらう実験などの例示や、冒頭に読者へのサンプルの問いかけなどがあると新書っぽくなるのかなー

    モダリティやテ形やチョムスキーや手話母語者などは、全く日本語学をやったことがない人には、日本語学の話がてんこ盛りなのでは。
    これで卒論を書こうと思う人には、必要な文献や例がバランス良く書かれてて良いと思うのですが。

  •  本書読了後の率直な感想を一言で述べるなら,誰しもが一読すべきだということです。多くの外国人が日本で暮らす現代の日本において,非常に大切な視点が示されていると思います。その視点は2つあり,1)日本における非日本語話者とのコミュニケーションで最も必要なのは「日本語」であること,そして2)日本人であっても「日本語」が必要な人がいることです。ここでいう「日本語」が「やさしい日本語」であり,本書はその啓発書です。
     現代の日本では外国人とのコミュニケーションというと猫も杓子も英語,英語の一点張りですが,冷静に現実に即して考えると,日本に暮らす外国人が英語のみで生活していくのはほぼ不可能です。英語や他の自分の母語で押し通して日本で生活できると考える人はほぼいないでしょう。さらに言えば,好んで日本へ来て暮らす人はほぼ確実に日本語学習に意欲的です。
     しかしながら,そういう人たちが日本語がものすごくできるかというとそんなことはないというのが現状です。韓国語やモンゴル語などの一部の言語を除き,非日本語話者にとってハイレベルな日本語を習得することは極めて難しいことです。したがって日本人が使っている日本語と同じレベルの日本語で公共のサービスを提供されても,それが十分に機能することは期待できません。そこで登場するのが「やさしい日本語」です。
     本書はやさしい日本語の啓発書ですので,やさしい日本語がどういうものかについては,その姿は体系的には示されていません。これについては別書にあたる必要があります。ですが,やさしい日本語の背景にある考え方や満たすべき要件については詳細に書かれていますし,もちろん実例もいくつか示されていますので,その意味では有用です。
     本書ではまた,日本に定住する外国人とその子供たちに対する言語の問題だけでなく,日本人でありながら異なる言語(日本手話)を母語とするろう者に対する言語の問題についても取り上げられています。日本手話を母語とする方々にとっては日本語は第二言語なのにも関わらず,社会においてろう者が日本語が不得手であることによる不当な差別を受けています。筆者はこのような事態は留学生に対する日本語教育の知見,すなわちやさしい日本語の考え方が使えると述べます。やさしい日本語は何も外国人だけに有用なのでなく,日本人にも必要とする人がいるということです。
     本書に通底する考え方は「多文化共生社会」です。異なる言語や文化的背景を持つ人々が日本で尊厳を損なうことなく暮らしていける社会を作るには,やさしい日本語が不可欠です。これには納得です。
     私は日本の大学の英文科と言われるところで言語学を教えていますが,本書に示されている視点は外国や外国語を勉強している人にこそ必要な視点であると思います。外国語を学習している人は日本や日本語,日本的なものにそれほど興味を示しません。しかし自分が日本人である限り日本や日本語,日本文化から逃れることはできないし,外国人と接する際にもそれは前提となります。この意味で,外国語を学んでいる人こそ日本語が外国人とのコミュニケーションツールになりうることを強く認識し,やさしい日本語の考え方を学ぶ必要があると強く感じました。
     
     

  • 外国人実習生の受け入れをしているにもかかわらず、外国にルーツを持つ子供たちへの手当の薄さには、日頃から腹を立てていた。現実として、言葉の問題に端を発して、さらに進学の問題まで述べられていたのは素晴らしいと思った。
    やさしい日本語は決して外国人だけのためではなく、我々みんなにも関わることだとさらに思う。というのも、行政で使われる用語は難解で、我々日本語ネイティブですら、わからないことも多々あるからだ。様々な手続きをする際にわからずにそのままにしてしまったり、窓口で聞かなくてはならなくなったりすることも多い。
    やさしい日本語はみんなにやさしいはずである。これからの文書はやさしい日本語で書かれているのがいい。

  • 70年前に国語審議会が「やさしい敬語」として敬語のあり方を変えた。いま使われてる敬語は調整された敬語。
    封建が崩れた近代に合う形で、いまも敬語は変化してる。
    いろんな原因や狙いがあって言葉は変わる、変えられる。

    あと30年もしたら、日本語は面白い形に変わってると思う。楽しみ。


    この本で大収穫だったのは、日本語手話話者の日本語書記に関する考察。
    手話は体系を持った言語だから当然、「手話が母語」になると理解していたつもりだったんだよね。理解してませんでした。「日本語手話を扱えるから、日本語を学ぶのは難しくない」って思ってたんだけど、大きな間違いだった。

    もう一点あった。
    母語を流暢に扱えるようになる前に、生活基盤が非母語圏になることがこれほどに危険な事だとは…。国語研さん、たのみます!あなた達が頼りですぅ!

  • 移民とその子どもにとどまらず、障害をもつ人、日本語を母語とする人にとって「やさしい日本語」がもつ意義とは。多文化共生社会実現のために言語を通して貢献できる問題について、日本語学・日本語教育の立場から考える。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40242240

  • 大学の公開講座で紹介されていて興味を持ったので読んだ本です。

    その公開講座でも触れられていたのですが、まず興味をもったポイントとしては、日本に住むいわゆる定住外国人のひとたちのうち、英語が母語の割合の人は少なく、むしろ英語よりも日本語のほうを解する人が多いという点でした。
    日本で「国際化」=英語対応というような風潮が強く、国際的なコミュニケーションツールとして、ビジネスや観光客・留学生対応としては確かに有用だと思います。一方で、ある意味で一番大事な「今すでに日本に住んでいる外国人のひとたち」ということについて、市役所の方とかそういう一部の人しか考えてないんじゃないかと痛感しました(もちろん自分もそうです)。
    いろいろな母語の人が日本に住んでいるので、すべての母語に対応するというのは事実上困難、そこで地域社会の共通言語としての「やさしい日本語」をこの本では提唱されています。
    英語に対して拒否感を示す人も多い日本人にとっても、また英語が母語でない定住外国人の人にとっても、お互いが少しずつ歩み寄ることで使えるコミュニケーションツール。現時点で一番いい解決方法なんじゃないかなと思いました。

    外国にルーツをもつ子供たちへの日本語教育ツールとしても使える、という点もとても興味深かったです。多くの場合、自分の意志とは関係なく日本に来る子供たち。無理やり溶け込ますのではなく、溶け込みたい・日本語をちゃんと学んで日本の学校で勉強したい、そんなニーズにこの国が対応できていないということ。そういう問題についても考えさせられました。


    日本語という普段自然に使っているツールについて、本当にいろいろな側面から考えさせてくれる1冊です。こんなに読み終わって、感動や満足感のある新書は初めてかもしれません。読んで損はないと思います。

  • 昨今、難民受け入れが国際的な課題となっている。また高齢化社会を迎えるにあたり、外国人労働者を新たなる労働力として期待する向きもある。しかし多種多様な文化圏の人間が暮らす社会を目指すにおいて、現在の日本が抱える課題は決して少なくない。
    本書は、そうした課題のうち、特に言語に関するものを、日本語学と日本語教育の観点から論じた一冊。

    言語とはもともとコミュニケーションの道具であるし、コミュニケーションとはつまり「自分の考えを相手に伝え、説得する」ことだ。美しい言葉遣いはもちろんよいものだが、コミュニケーションの手段たりえることは尚のこと重要だ。
    本書を読むことで、「言葉の美しさ」に知らず知らずのうちに固執していた自分に気づかされた。
    相手のことを思いやり、コミュニケーションのために言語レベルを調節する能力、そのためのやさしい日本語。本書で提言されているこの考えは、日本人と外国人のみならず、大人と子供、学者と一般人など、さまざまな場において不可欠だ。多様な人間が共生するうえで、重要な視点であると、本書を読んで強く感じた。

  • "やさしい日本語"という言葉自体は耳にしたことがありましたが、この本を読んだことでしっかりとその内容と意義を理解することが出来ました。
    多文化共生社会の実現においては勿論ですが、大前提として人と接する時には、相手の事を1人の人として敬意をもち尊重して関わる態度が必要だと思います。
    また、日本語をやさしい日本語へと書き換えていく作業は、本人自身にも良いものをもたらすという部分に非常に納得しました。
    改めて読んで良かったと強く思う一冊です。

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著者プロフィール

庵 功雄 (いおり いさお)
一橋大学 国際教育交流センター 教授

「2022年 『日本語受身文の新しい捉え方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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