ナウなヤング (岩波ジュニア新書 165)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784005001651

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  • 青年期とはなにがどうなっているのだろうか?
    どうしてこうも己を守ろうと躍起になり、外界さえもないがしろにしさえするのだろう?
    原罪に値するのは青年期に犯した諸行為故かもしれないとさえも思えてくる。

    もし仮に、人間というものを思考する際の便宜として
    Kantの言うような理性的人間を用いるとするならば
    それの例外に値するような青年や幼子は存在は認めたとしても動物と同等のもの・存在として扱われる。青年の側からしてみれば実に腹立たしいが、今その過渡期にいる身としてはその意味が次第に感じられてきている。
    何ゆえ、愚かしく浅く弱く思われてしますのか?

    青年の特権か....そう言われると口を閉じておくのが容易ではないが、特権として認めているのならばその内にいる身としてはこれを行使しなくては実にもったいない。あらゆるものを知っているように己の関心外のものを見下すのはあまりに哀しい。「世界は広うございました」なんていい年こいて自己弁解として口から出すのはみっともない、それが今の時点でわかっていたとしたら尚のこと。
    教育が何のためにあるか?というところまで抽象化させて問いを立てる程でもないが、わかったようなつらして、子供たちによい子になるように躾させるのであればこの面の存在も伝えることが肝要ではなかろうか?己のうちに優等生を持っていることもいつか益にはなろう。かといって、悪がきのほうは即断として追放し存在さえも無かったかのように、無いものであるかのように取り計らうのは全く持って憤慨極まりない。否、もはやあきれてしまう。

    我々は青年である、未だ青さを持った実存である。
    事故の変化のみならず、外界の変化も激しいことこの上ないこの現代・現在。世界を知らねばなりませぬ。己も知らねばなりませぬ。そして知ることとともに生きねばなりませぬ。青年はひとつの青き麦であると同時にひとつの人間・実存である。
    まづは変化から入るか?いや、もう入っていた。

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