治療文化論: 精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫 学術 52)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000523

作品紹介・あらすじ

何を病気とし、誰を治療者とし、何をもって治療とするのか。普遍症候群/文化依存症候群の構図に個人症候群の概念を導入し、精神病理と文化を多角的に考察する。治療の仕方、患者‐治療者関係をはじめ無数のことがないまぜになっている「治療文化」から精神医療を根源的に問い直し、人間理解への新たな視点を開く画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 一読して本書を咀嚼しきったとはとうてい言えないが、それでもすこぶる刺激的な本だった。

    中井久夫氏の著作を読むといつも、こんこんと水の湧き出す汲み尽くせぬ水源を覗き込んでいるような気持ちになる。
    気品ある文章はこちらの心を洗う。

    治療経験に基づいた本書の記述を簡単に要約してしまうのはおこがましい。用いられている比喩ひとつひとつまでが、じっさいの経験とその後の熟考ののちに咲いた花のようなものだ。中井氏の経験おそらく本書をじっさいに読むことでしか伝わらないたぐいのものだろう。

    それでも、本書で用いられている三項が明確にある。
    個人症候群、
    文化依存症候群、
    普遍症候群、
    だ。

    いわば、個人レベル、あるいは国や風土、文化、習俗、あるいは近代精神医学という3つのどの観点から見るかによって、病者/非病者の境界もかわってくるし、治療法も、なにをもって治ったとみなすかもそれぞれである。

    こうした3つの文脈を、中井氏の生い立ちや人生、インドネシアでの経験などをもとに、"人生を賭けて"分析したのが本書。
    精神医学の書のみならず、これは人類学の書でもある。

    (あとがきがまた、惚れ惚れするような文章だ)

  • 精神科医、中井久夫の著書。精神疾患を独自の見方で論評している一冊。統合失調症の第一人者と謂れている。この著書は精神科医からの視点で書かれていることが多く、治療の一貫として書かれているわけではないので、わかりづらさは感じるかもしれない。どちらかというと、病気の理解というよりは、難解なものを今までにないアプローチで解読するという所に意味があるのかもしれない。



  • 岩波現代文庫
    中井久夫 「治療文化論」

    精神医療の異文化間の違いをテーマとした専門家向けの本だが、著者の自虐や皮肉は面白い


    精神科医を、傭兵や売春婦と似ているとしたり、マージナルな存在で社会改革の挫折者と言ったり、精神科医は、蛸壺のような狭い世界で働いているとしたり、かなり自虐的


    理解できたテーマは少ないが、文化精神医学者の7タイプ、同性愛ショック、中山ミキ論、イエスの治療論は、社会学や民俗学のようで面白い


    「夜な夜な妖精が訪れて対話する〜空想虚言症か〜最終的には分らないことだが、分からないままでよいことにした」

    「私がしたことは、患者に半歩遅れてついてゆき、きずなを張りつめも、緩むこともしないと心がけただけであった」

    は、著者の精神科医としてのスタンスをよく現していると思う



  • 治療とは
    それぞれのために心をこめて、
    その人だけの一品料理を
    作ろうとすること

  • 本書は、精神医学の分野において、何を病と位置づけるのか、そして治療するという行為や病が治るとはどういうことなのかといった精神医学のディシプリンの土台を問い直し、より広い視野から人の心と社会の関係性のあるべき姿を再構築しようとした試みである。

    精神医学に関する原論であると同時に、医療とは何か、医者と患者の関係性と何かといったことにも広がる論点を含んでいると感じた。


    この本の中で筆者は、精神病を普遍症候群、文化依存症候群、そして筆者が新たに提唱する個人症候群の3つの視点から捉える。普遍症候群とは西欧精神医学において観察・記録され、標準化されたさまざまな精神病である。そして文化依存症候群とは、主に非西洋のある特定の文化にしか存在しない、その文化に深く結びついた精神病を指している。

    この類型化についても、「西欧-非西欧」という「中心-周縁」概念に捉われた見方ではないかという問題は指摘できるし、「普遍-文化依存」という視点ではなく「都市型-田舎型」といった視点で捉える方が良いという考え方もある(実際筆者もそれらの議論を紹介している)。

    しかし、筆者はこのような二元論の中で議論するのではなく、ここから新たに、「個人症候群」という考え方を展開する。筆者の考えるこの個人症候群とは、精神病のプロセスをパースナルな病の経過として捉えるという見方である。


    個人症候群という視点を導入するにあたり、筆者はエランベルジュ(エレンベルガー)のいう「創造の病」を足掛かりにしている。これは、抑うつや心気症状から「病い」を通過して、何か新しいものを摑んだと感じ、それを世に告知したいという心の動きへと至る、一連の過程である。

    そのような事例として、科学や芸術の分野における天才の創造の過程、天理教の創始者となった中山ミキの物語、そして(恐らく筆者自身であろうが)困難な課題に圧倒された状態から超覚醒の状態を経て軽い抑うつ気分へと至り回復する知己のことなどを挙げて説明をしている。

    個人症候群と筆者が呼んでいるものに見られるこれらの症状には、普遍症候群や文化依存症候群の症状と共通するものもある。それは、個人症候群という概念が、この精神的な「病い」を「パースナルな病い」という角度から眺めたときに、異なった捉え方ができるようになるのではないかという、「見方の違い」を表したものだからである。

    そして、このような見方を取ることは、精神病の治療に対しても、新しい可能性を開くことになる。

    筆者は個人症候群は直接(自らが)熟知しているか、(患者を)熟知している治療者によって認知され、治療される、と述べている。しかし一方で、現代の精神医学においては、熟知者を治療することは禁忌とされている。それは、客観性や患者との距離を保つことが必要とされているからである。しかし、個人症候群の治療はそうではない世界において成り立っているという。

    そのような個人症候群の治療の例として(これも筆者を含む集団なのであろうが)、敗戦直後の青年期から中年後期に至るまで続いた10人前後の男性の集団が「治療集団」としてその構成メンバーの精神的な危機をどのように救っていったかという事例を紹介している。また、近代以前の社会や先に上げた中山ミキの事例においても、個別性はありながらも家族や友人など熟知者が大きな役割を果たしている。

    このような「患者」と「治療者」の関係性は、これまでの精神医学では捉えてこなかった領域であり、いわゆる「医学的な」処置以外にも、人間の心の問題を考える上で重要になってくる要素があるということを、教えてくれる。


    精神病とその治療に対する視点を(広義の)患者と(広義の)治療者をはじめとする関与者に拡げ、さらにそれらを包含する世界をひとつの文化と捉えることで、筆者はこの本のタイトルでもある「治療文化論」という概念を提唱する。

    この「文化」というのは、何を病気と捉え、誰を病人とし、何を以って治療、治癒とするかという体系であり、さらに「患者」と「治療者」だけではなくその周りの社会がそれらをどう位置付けるかという点にまで及ぶ、包括的なものである。

    そしてこのような関係性の持つ多様性に応じて、「一人治療文化」、「家庭治療文化」、「小コミュニティ治療文化」、「シャーマニズム」、「アルコーリック・アノニマス(匿名アルコール症者の会)」、「修道院」、「メスリズム・催眠術」など、”正統”精神医学以外のさまざまな治療文化のあり方(本書ではこれらを「力動精神医学」と呼んでいる)を位置づけることができる。


    多様な治療文化の存在ということを考えると、精神医学は何か1つの方向に収斂していくべきなのかという問いが必然的に生まれてくる。筆者は、体系化された”正統“精神医学は必要ではあるが十分ではなく、力動精神医学という多様性を持った「こころ」のモデルの存在も、精神医学における治療のコスモロジーの中で、当然に位置を与えられるべきであるという結論を述べている。

    そしてまた、治療文化という概念を用いることで、社会の変化、新たな治療文化との遭遇(異文化との接触や科学の変化などによる)において、どのような文化変容が起こり、病いや治療のあり方がどのように影響を受けるかといったことを考えることができるようになる。


    本書は、治療文化という概念を打ち出すことで、精神医学のこれからの方向性を考える視点を確立した本であると思う。そして、このような視点は、精神医学が症例の分類に偏り、また「治療者-患者」の関係性が固定化した医学へと一元化されることを抑制し、こころの問題により多くの人たち、そして社会の関与を促していく、大切なものであると感じた。

    精神医学の領域から、このような社会性のあるメッセージを発信した著者の貢献は、非常に大きなものがあると思う。

  • 普遍的な病と文化と個人の病

    痩せ=美とする文化が拒食症に
    対人恐怖症は日本特有の病
    まわりにはわからない病もある

    治療はこころのこもった一品料理
    どんな病にもまず個人に向き合うことから

    当事者研究にも通じるはなし
    100分で名著。録画しておいてよかった


  • 中井の主著の一つということで手に取った。

    少なくない患者は、その住まう文化に依存する形で病む。文化圏に依存しない普遍的な病み方、文化特有の病み方(例: 狐憑き)があり、さらに個人的な病み方(個人症候群)があると中井は言う。

    精神医学の理論だけでなく文化人類学の豊かな知識と臨床経験をもつ中井ならではの視野の広さで様々な検討が行われる。

    とはいえ精神医学の実際のところを知らないため、素人にはなかなか議論の深みがわからない部分も多い。冒頭の方の、明治以降に現れる新興宗教の教祖たちについての洞察がもっとも面白かった。

  • 専門的内容なのに不思議と読み進めることができました。古今東西の人文知を引用し、その文体がとてもエレガントだったからでしょうか。
    最近ではこのような領域を大きくまたがる論考を書く人が少なくなっているような気がしました。

  • 100分で名著の番組を見てからこの本を読んだために、番組で照査記されている場所を探しながら読む、あるいは番組で紹介されたところと一致する箇所で理解するという読み方になってしまった。
     ポイントとしてはいいのであろうが少し疑問が残る。

  • 「治療文化」という包括的な観点を提示し、精神医学のありかたについて考察を展開している本です。

    著者はまず、文化精神医学の観点から、「普遍症候群」と「文化依存症候群」の区別をめぐる問題についての考察をおこない、精神医学の西洋中心主義を相対化しています。さらに「個人症候群」というカテゴリーを提唱し、中山ミキの宗教的な覚醒を例にとりあげて、精神医学上の症状を、患者を取り巻く環境との関連のなかでとらえなおす視点を提示します。

    そのうえで著者は、「治療文化」を「三つの症候群とそれにかかわる治療的アプローチと、それらを問う人間的因子すなわち(広義の)患者と(広義の)治療者をはじめとする関与者とこれらをすべて包含する一つの下位文化」と定義しています。そして、このような包括的な観点から、「普遍症候群」「文化依存症候群」「個人症候群」の三つのカテゴリーを統一的にとらえなおすという著者の構想が提示されています。

    レインの反精神医学など、精神医学そのものを相対化する試みは、これまでにもさまざまなものが提起されてきましたが、著者はそうした視点を取り込みつつ、より広い観点から精神医学のありかたそのものを見なおそうとしています。さらに、こうした本書の中心的な構想のみならず、議論のなかで多くの興味深い論点が提出されており、さまざまな思索が触発される読書体験でした。

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著者プロフィール

中井久夫(なかい・ひさお)
1934年奈良県生まれ。2022年逝去。京都大学法学部から医学部に編入後卒業。神戸大学名誉教授。甲南大学名誉教授。公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構顧問。著書に『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982)、『中井久夫著作集----精神医学の経験』(岩崎学術出版社、1984-1992)、『中井久夫コレクション』(筑摩書房、2009-2013)、『アリアドネからの糸』(みすず書房、1997)、『樹をみつめて』(みすず書房、2006)、『「昭和」を送る』(みすず書房、2013)など。訳詩集に『現代ギリシャ詩選』(みすず書房、1985)、『ヴァレリー、若きバルク/魅惑』(みすず書房、1995)、『いじめのある世界に生きる君たちへ』(中央公論新社、2016)、『中井久夫集 全11巻』(みすず書房、2017-19)

「2022年 『戦争と平和 ある観察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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