時間の比較社会学 (岩波現代文庫 学術 108)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006001087

作品紹介・あらすじ

原始共同体、古代日本、ヘレニズムとヘブライズム、近代社会-文化と社会の形態によって異なる時間の感覚と観念を比較検討し、近代的自我に特有の時間意識がどのように形成されたかを、自然と人間、共同体と都市、市場と貨幣等々の関係のなかで解明する。近代世界の自己解放の運動の一環を担う比較社会学の深い洞察に満ちた労作。

感想・レビュー・書評

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  • 一口に「時間」といっても考え方や捉え方がたくさんあるんだなと思った。私がなんとなく感じている虚無感の原因が見えたような気がした。とにかく難しかったので数年後に再読したい。

  • 名著「気流の鳴る音」に続いて、1980年に書かれた本。今年4月に亡くなった東大教授・見田宗介氏がペンネームで書いている。

    用語に硬いところがあり、読むのに最初、骨が折れるけれど、それを乗り越えるととても興味深い。原始社会や古代社会、近代社会の時間意識について述べた本は他にもあるけれど、この本では、それらを人類史の総体を見据えた社会システムの変化(=自然からの離脱と、共同体の崩壊)と関連づけて構造的にとらえ、「時間」と「貨幣」の相似性にも触れながら、近代を越える未来の充実した生のあり方まで展望しているところにある。
    人類学から聖書や和歌、マルクスやプルーストまでカバーする幅広さと、追求するテーマの愚直なまでの一貫性に感心する。
    この長い探究を貫くのは、10代の頃に著者をとらえたという「死の恐怖と虚無感」から解放されたいという問題意識だ。僕自身も子供の頃に「自分が死ぬとどうなるのか、その後も世界は続くのか、人類がいずれ滅びるならなぜ勉強とかするのか」などといった問いに悩まされた時期があった。それを学問の対象にして、そこから人間社会のダイナミズムを総体としてとらえるという離れ業は、著者にしかできない仕事だったと思う。そして結語で著者の熱い思いに触れて感動する。

    著者は、生きる意味を未来に先送りし現在を疎外する近代の生き方から、「現在充足的(コンサマトリー)」な生き方へのシフトを提唱する。本書で紹介される人類社会の歩みをみれば、将来そのような生き方が一般的になるとすれば、自然から離脱し共同体を失った近代から、ふたたび新たな形の自然との交感と共同性の獲得がなされるはずで、それは地域分散の循環型社会になると思われる。著者が生きておられたら、そのことを確認しておきたかった。

    この本に興味を持った方は、ぜひ著者の他の本にも手を伸ばしてほしい。「気流の鳴る音」や「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」「現代社会の理論」あたりはもっと読みやすく、しかも本質的な問題意識は通底していることがわかる。

  • 真木悠介になると途端に文体の精度が緻密になるのは気のせいだろうか。
    原始共同体、日本の古代社会、ヘレニズム、ヘブライズム、近代、それぞれの時間意識について骨太な考察をする。
    参考文献を巧みに駆使し、真木流の社会学に仕上げていく様は圧巻。
    時間からの疎外、と時間への疎外 共同態と集合態へのシフトによる時間意識の変遷。
    そして最後に至るニヒリズムからの解放。最後まで読むと感動します。
    時間論、終末論、社会学が好きな人は必携の一冊。

  • アチェベ『崩れゆく絆』を時間意識に注目して読んでみたい


    memo
    ●アフリカからみた近代人
     はるかな子孫のこととか百年もあとの歴史の問題を、客体視された「時間」の延長線上に幻視して思いわずらう奇妙に神秘主義的な文明、無限につづく「時間」の実在性というフェティシズムにとりつかれた集団
    →ここにない時を崇める
    →年齢に準拠して容貌の老若を判断するのも、「具体的なものを取り違える間違い」
    →そのような共同体における言語は?アチェベ『崩れゆく絆』
    →異なる生態をもつ集団とコミュニケーションするときにはじめて、つねに出来事に結び付いた時間関心が破れて、時間が抽象化・物象化されはじめる(社会構造として共同態(ゲマインシャフト)から集合体(ゲゼルシャフト)に変わったとき、<生きられる共時性>から<知られる共時性>への移行がはじまる)

    ●アフリカの近代化
     土地から引き剥がされて未来の観念が輸入された、未来を渇望するようになってしまう
     近代、自分はここからきたという存在の根拠がない、自分を自分として生きることが難しい、分裂症的
     分裂症患者の時間意識→未来志向(アンテ・フェストゥム) (『時間と自己』木村)



    p. 240
    個我はみずからの主体的な行為を唯一の根拠として存在しうる。近代的自我の、存在論的な自立の宣言。
    →かつて原始共同体の人々が自然のなかに祖先の営為を見てとったのと同じように、近代の人々は自分のまわりに過去の自分の行為を見てとる?
    →近代の人々は、自分がつねに他者化されていくということを前提として(分裂病)、自分の外のモノに自分を読み取る?そのことで自分を保たせている?だがこのとき(かけがえのないものでなくて)頼りないものに頼らざるを得ない?

  • 真木は厖大な資料を博捜し、古(今)東西の様々な共同体・社会における時間了解の形態を比較、そこでの個人が「共同性と自然」それぞれに対し「超越的であるか内在的であるか」により4つの類型に大別する。すなわち反復(原始共同体)・線分(ヘブライズム)・円環(ヘレニズム)・直線(近代)である。直線的な時間感覚は、線分的な時間の「現在を帰無してゆく不可逆性」と、円環的な時間の「数量化・抽象化された無限性」という性質を継承しており、これが近代人を苛む死のニヒリズムを支えている。

  • 冒頭、鼻血出るぐらい衝撃。
    その事実に唖然。
    え、それ、まさに、変えられない真実じゃん
    ってなる。
    一気に読んでその世界に浸っちゃった方が読みやすい

    • kozikasanさん
      冒頭で、鼻血出るぐらいの衝撃
      その事実に、唖然、みたいな
      一気に読んで、この独特の考え方に、浸かってしまった方が良い
      冒頭で、鼻血出るぐらいの衝撃
      その事実に、唖然、みたいな
      一気に読んで、この独特の考え方に、浸かってしまった方が良い
      2021/05/27
  • メルカリで、思ったより高く、しかも早く売れた。意外だった。

  • 当然私たちの寿命は有限だが、私たちの移動に必然的に伴う空間的な制約に比べたとき、寿命のような時間的な制約は過剰なほどに重要視されてきたといえそう。それを思えば一昼夜という標準を設けて時間を計量してきた近代への本書の批判は妥当に思える。終章ではあえてアカデミックな議論から離れたような印象を受けたが、時間の問題から自我の問題への橋渡し的な役割を果たしているようだ。同じ著者の『自我の起源』も読もう。

  • 表現が難解。内容は興味深いのだが、理解しづらい。
    各時代、宗教などによって異なる時間の捉え方を比較している。

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著者プロフィール

見田宗介。1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻。著書に、見田宗介名で『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(1996年)『社会学入門―人間と社会の未来』(2006年)『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(いずれも岩波書店、1986年)などがあり、真木悠介名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)『時間の比較社会学』(1981年)『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(ともに岩波書店、1993年)及び本書『現代社会の存立構造』(初版、筑摩書房、1977年)などがある。『定本見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年、毎日出版文化賞)『定本真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年、ともに岩波書店)には、半世紀に及ぶ業績が、著者自身による新編集を経て体系的に示されている。本書『現代社会の存立構造』は上記著作集に含まれない。

「2014年 『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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