宮本常一『忘れられた日本人』を読む (岩波現代文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006002800

作品紹介・あらすじ

既存の日本像に鋭く切り込む日本中世史家が、宮本常一の代表作『忘れられた日本人』を、用いられている民俗語彙に注目しながら読みぬき、日本論におけるその先駆性を明らかにする。歴史の中の老人・女性・子供・遍歴民の役割や東日本と西日本との間の大きな差異に早くから着目した点を浮き彫りにし、宮本民俗学の真髄に迫る。網野氏の生前最後の著書。

感想・レビュー・書評

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  • 読む写真 宮本常一の手法-網野善彦が読む- | 星と写真の部屋
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    宮本常一『忘れられた日本人』 - 紙屋研究所
    https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2020/06/29/000122

    宮本常一『忘れられた日本人』を読む - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b255911.html

  • 【宮本常一「忘れられた日本人」を読む】
    網野善彦著、岩波書店、2013年

    大学生だった時に、北大と早稲田で教えていた坪井善明教授のゼミに加えてもらう機会があって、毎週、課題図書が出ては感想文を書かなければいけなかった。丸山真男の「文明論之概略を読む」もその課題図書だったし、鶴見俊輔とかも読んだ。網野善彦の「東と西の語る日本史」も同様だ。

    正直、宿題で出てるから読んでいただけで、ちゃんと理解していたかどうかすら怪しい。大学生のときはもっとハウツーな本だったり、司馬遼太郎だったり、そういう本を好んでいた。

    しかし、社会に出て、特に、東北の復興の仕事に関わるようになると、なぜかあの時に読んだ本を読むようになったし、その面白さがわかるようになってきた。なぜだろう。地域というものにガチンコで関わるようになってきたからかもしれない。

    宮本常一の「忘れられた日本人」は名著で、不思議と尊敬する人はみんなこの本を読んでいる気がする。そうして、なぜかあの「古文書を宮本常一に貸すかどうかで地域のお年寄りが、3日3晩、議論をしつくす」ところで盛り上がる。

    個人的には東日本と西日本の違いがやはり興味ある。
    本書でも、「西の王権である天皇は、インカやアフリカの神聖王、王自身が神と言われるような王権に近く、東の王権である征夷大将軍は西欧の王権に近い」と二分して説明しているところなど。

    学ぶことって、学校ではほとんど学んでなくて、結局、大人になって学ぶのだが、そうして初めて、学校で聞いていたことって結構本質的だったことを知るのかもしれない。

    それはまた、宮本が以下のように書いているように時代を経ても同じことが言える。
    ーー
    村を、今日のようにするためにかたむけた先祖の努力は、大変なものであったと思います。その努力の中にこそ、のこる歴史があったのでした。

    私たちは、いつでもその人たちの前進し続けた足音がきけるような耳と、その姿がみえるような目を持ちたいものです。
    (宮本常一「ふるさとの生活」講談社学術文庫、1986年)
    ーー

    #優読書

  • 「忘れられた日本人」は戦後間もない時期の日本人の民俗学的な記録であるわけだが、それを歴史学的な立場から見ると、断層のように、過去の歴史を映し出しているのではないかという評論。歴史学・民俗学の豊かさが現れた一冊だと思う。

  • 絶対宮本常一が読みたくなる。日本像再構成の重要な指針。

  •  「百姓」が農民かというとそうでもない、「士農工商の『農』」は農民かというとそうでもないのである。
     「忘れられた日本人」を大学の講義で10年使用していた著者が宮本常一「忘れられた日本人」を解説する講演をまとめた書である。
     原典がわりと散文的にあれこれのテーマを扱っているため本書の内容も講義4回に分かれ、内容も原典の内容を越え多岐に渡っている。興味深い部分は多々あれど一つ選べば第4講「百姓」とは何か、を挙げたい。

     江戸時代の身分制度「士農工商」の中で「農」が80%だったということで、当時の日本人の8割が農業に従事していたと思われているが、百姓は常に田畑に出ていたわけではなく、それ以外の時間で石垣を積んだり、桑を育てて蚕を飼ったり、大工や木挽きをやったりしている。こと明治5年に作られた「壬申戸籍」においては、都市以外であれば漁業も職人も商売人も皆「農」でカウントされており、それが実態とイメージの乖離を招いているのだという(工、商は都市部の町人にしか使われなかった)。

     こうした話題がつれづれと続いていくわけだが、原典を読んだばかりでまたその内容も面白かったので、こうした解説によってさらに世界が広がるというのもまた楽しい体験である。ぜひ原典と合わせて読みたい。

  • (*01)
    宮本の著作や収集した記録には、まだまだ研究の沃野が広がっているが、21世紀の幕開けに網野によって(*02)切り出された「忘れられた日本人」の切り口にも、日本人のおぼろげさや列島の中世を探るヒントが示されている。本書はそれらのヒントを分かりやすくピックアップしており、教科書に記された日本史はそれとして措いておいて、本書をまず読んだのちに、続けて「忘れられた日本人」を読む事で、教科書の正統も相対化できよう。

    (*02)
    第一講に追憶された宮本と網野の距離感をスケールとして、戦後の歴史学や民俗学を計ってもよいだろう。網野は、この案内書でいくつか文書や絵図の取り扱っており、この方法論はそのまま戦後の学問への批評(*03)ともなっている。宮本が歩いて出会った忘れられていた日本人と網野のやや定量的で即物的な史料解釈から得られた過去の人々や景色がそこで結ばれている。つまり、網野は史料に現在を見て、宮本は現在に史料を見ているのである。

    (*03)
    ここで網野が宮本の著作を通じて取り上げた、女性男性、東西日本、農民と百姓という図式は非常に分かりやすいが、この中間や中性を史料や現在の民俗に見出すことで、まだまだ忘れられた日本人が次々と姿を現すようにも憶測される。

  •  知恵の継承を目の当たりにした。
     本書は,筆者である網野善彦氏が『忘れられた日本人』(宮本常一著)を題材としたセミナーで話された内容を編集したものである。
     講義をまとめたものとはいえ,日本中世史・日本海民史を専攻とする筆者の著であるため,史料や史的エピソードが多く語られており,読み応えがある一冊となっている。
     『忘れられた日本人』の解説とエピソードの補足が中心となっている本書ではあるが,中には宮本常一の論を批判し,新たな中世・近世日本の姿を描こうとする,網野歴史学の姿が垣間見られる。
     中でも,「百姓」と「農民」の語義についての論は,われわれ現代人の中世の見方をがらりと変えてくれるものである。
      P199「注目すべきは百姓のなかに,あらためて農民と言う生業の区別がある点で,江戸時代の公的な統計では百姓=農民ではなかった」
      P212「百姓は身分呼称で,決して職業呼称ではないことをはっきりと証明」
     百姓の中に,職人的技術を持つ人間が多くいたことこそが「ものづくり」に秀でた国民性を醸成したのであろう。確かに,国民の90%が農民とされた以前の封建社会観であれば,工業大国への変化は成し遂げられなかったに違いない。
     近代以前も,日本は周辺の地域から孤立してはいなかったことを手掛かりにして「明治以後,国民国家をつくろうとした政府が,海は守るべき国境であるという意識を国民にすりこんだ」といった,歴史が「作られる」という観点が説明される。そういえば,現代に生きる我々日本男児は,多くが自身を「サムライ」だとする風潮があるが,よく考えれば90%は百姓であり,農業・商業・工業に従事していた人間でしかなく,「サムライ」とは言えないはずであろう。自分を「サムライ」にした黒幕はいったい何なのか,気になるところである。
     本書で紹介された宮本の言葉の中に「常に新鮮な疑問を持ち続け新しい分野を開拓する。誤りははっきりと認めて正しい見方に従う,学問とはそういうものだと私は考えます」というものがある。本書を宮本があの世で読むことができていたとしたら,自身へ向けられた批判に対して目を輝かせていることだろう。ほほえましい巨匠の姿。少しだけ,宮本常一が身近に感じられた。

  • 古文書返却の旅あたりで2人なんとなく似てるなあとは思っていたのですが。
    中身はこれまでの網野さんの歴史観でしかなかったので、いまいち。

  • 宮本常一と著者は渋沢敬三の影響を受けたいわば兄弟弟子として著者は宮本氏を紹介している。いずれも民衆の立場に立って日本の風俗史を捉えている2人であるだけに、昭和30年代頃の日本の知らなかった姿に驚き。乱交ではないが、夜這いという制度が実はこの頃には残っていたということは本当に驚きであり、それが何ら嫌らしさを感じさせずに淡々と紹介する文章が真実味に富む。歌垣、夜這いなどの風習が健康的なエロティシズムとして語られることが素晴らしいです。また女性だけの旅(一人旅も)がかつては常識だったというのは、現在もそれに戻っただけと考えれば楽しい話です。小浜甚次・阪大教授が被差別部落の問題に触れ差別する側がむしろ朝鮮半島人に近く、被差別側が東日本人に近いということを半世紀も前に主張しておられたとのこと。皮肉な面白い話でこれも楽しい。ペルーのリマで1613年に行われた人口調査では明らかに日本人と思われる人が20人もいた!現在の人類の分布から過去の人類の動きを推察していくことも実に楽しいことです。

  • ・読み終えたときには苦笑いを禁じ得なかった。これは『忘れられた日本人』の解説書というよりも、『忘れられた日本人』を網野史観で肉付けしたものと表現したほうが正確だろう。

    ・網野は『忘れられた日本人』の中心的な問題は二つあるという。一つには、成人男性だけではなく、女性・老人・子供・遍歴民にも目を向けていること。二つ目は、東日本と西日本との間に大きな差異があるということ。この二点を中心に話が進んでいくのであるが、これらの問題は網野の得意分野でもあり、話が脱線に脱線を重ねた挙句、第三講の中盤以降はいつの間にか網野史観の披露会となってしまった様相。宮本の仕事が網野にインスピレーションを与えたことは理解できるし、これはこれで面白いのもまた事実なのだが…。

    ・遍歴民について論じた中で、「文書史料の多くは、土地財産に付属して残っている場合が圧倒的に多いので、こういう人びと(遍歴民)の姿は文献史料ではきわめてとらえにくい」がゆえに、「宮本さんがこうした人びと(遍歴民)の民俗誌を残して下さったのはたいへんに貴重な仕事だと思います」と述べたくだりは、従来の歴史学が見落としてきた人びとに光を当ててきた網野ならではの発言であり、「なるほど」と思った。

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著者プロフィール

1928年、山梨県生まれ。1950年、東京大学文学部史学科卒業。日本常民文化研究所研究員、東京都立北園高校教諭、名古屋大学助教授、神奈川大学短期大学部教授を経て、神奈川大学経済学部特任教授。専攻、日本中世史、日本海民史。2004年、死去。主な著書:『中世荘園の様相』(塙書房、1966)、『蒙古襲来』(小学館、1974)、『無縁・公界・楽』(平凡社、1978)、『中世東寺と東寺領荘園』(東京大学出版会、1978)、『日本中世の民衆像』(岩波新書、1980)、『東と西の語る日本の歴史』(そしえて、1982)、『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店、1984)、『中世再考』(日本エディタースクール出版部、1986)、『異形の王権』(平凡社、1986)、『日本論の視座』(小学館、1990)、『日本中世土地制度史の研究』(塙書房、1991)、『日本社会再考』(小学館、1994)、『中世の非人と遊女』(明石書店、1994)。

「2013年 『悪党と海賊 〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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