ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (640ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006003388

作品紹介・あらすじ

史上初めて戦場の光景がTV中継されたヴェトナム戦争。単なる軍事支援がいつしか「アメリカの戦争」と化し、大国の威信は大きく傷ついて、時代は一変した。最初期の外交戦略から軍事、報道、写真とプロパガンダ映画、さらに戦後の社会変容、文学や文化への影響まで、多面的な考察を通じてヴェトナム戦争と二〇世紀文明の核心に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 1. 本書の魅力
    著者はアメリカ「文化史」学者。
    (「文化史」などという学門分野があるのだ)

    本書はベトナム戦争をアメリカ「文化史」の中に位置付ける大胆で斬新な試みだ。
    (戦争に「文化」などあるのか?)

    明快且つ知的な文体で、ベトナム戦争を「アメリカ文化」という視点で描き、驚くほど鮮烈な印象を与えてくれる。
    (戦争を「文化」の観点で描くとはこういうことなのかと納得させてくれる)

    ベトナム戦争に対するアメリカ人の心性の変化(「記憶の歴史化」)を追い、今までに無い新しい領域を開拓してみせた著者の会心作だ。
    間違いなく、刺激に満ちた読書体験を与えてくれる。
    (当然、愛読書となる)

    本書はベトナム戦争の経過を時系列で追った歴史書ではない。
    (それを読みたければハルバースタムの「ベスト&プライテスト」がオススメだ。尤も、「ベスト&プライテスト」はアメリカ敗北の理由を「傲慢」の一言で一刀両断して、衝撃を与えてくれる名著だ)

    アメリカ軍の戦うベトナム戦争とは、平凡なアメリカの若者を大量にベトナムのジャングルに放り込み、そのジャングルにアメリカの「文化」を完全に持ち込んで戦った戦争だったことを示す。
    そして、そのベトナム戦争はその後のアメリカ文化を大きく変貌させていく。

    ベトナム戦争にこんな観点から迫る本は読んだことがなかった。
    ページをめくるたびに、驚きと感動が押し寄せ、あっと言う間に読み終わってしまった。
    読み終わると本書を愛しく感じるようになり、つい表紙を撫でてしまうことになる。
    (文庫ではなく、単行本の場合だ)

    2.ジャングル•クルーズ
    タイトルは何故「ジャングル•クルーズ」なのか?
    「ジャングル•クルーズ」とは、誰もが知る(誰もが体験したことのある)ディズニーランドの名物アトラクションだ。
    娯楽の殿堂(古い?)のアトラクションとベトナムのジャングルを同一視するなどというのは、どちらに対しても冒涜ではないのか?

    戦争中のベトナムをディズニーランドの「ジャングル•クルーズ」に喩えたのは、4歳の少女だ。
    その少女の名は、ソフィア•コッポラ。
    フランシス•コッポラの娘だ。
    (ソフィアはゴッドファーザーPart3」でマイケルの女役で登場している。その後、映画監督となり「ロスト•イン•トランズレーション」なメガホンを取っている)
    父コッポラが「地獄の黙示録」をフィリピンで撮影中、娘ソフィアを帯同した。
    その時のソフィアの発言が、「まるでジャングルクルーズみたい」だったのだ。
    その発言で、ベトナムの本物のジャングルと、大都会に生み出されたフィクショナルなジャングルとが通底することになった。
    そして、殺戮と娯楽とも通底することになったのだ。
    ベトナム戦争を現実のものではなく、ディズニーランドのジャグルクルーズと同じまるで架空の世界だと、錯覚させる巨実混交の恐怖がそこにはある。

    アメリカからベトナムに突然送り込まれた若者は、朝9時にジャングルに「出勤」して、夜5時には米軍キャンプに「帰宅」する、規則正しい毎日を送っていた。
    「帰宅」すると、暑いシャワーを浴びて、クーラーの効いた部屋でキンキンに冷えたバドワイザーやコークを飲む。
    ロック音楽を聴きながら、BBQに舌鼓を打つ。
    (アメリカ人にとってBBQこそサイコーな料理だ)
    キャンプにはアメリカ文化がふんだんにあるのだ。
    アメリカ軍はジャングルにアメリカ文化を丸ごと持ち込んでいたのだ。
    だが、キャンプを一歩外に出ると、そこは濃密な闇に包まれたジャングルなのだ。
    但し、そのジャングルはフイクシャルなものでは無い。いつ銃弾が飛び、ことで地雷が爆発するか分からない危険に満ち満ちた本物のジャングルなのだ。
    (「地獄の黙示録」でサーフィンをやるためだけに、海岸の村をヘリコプターでの焼き討ちする場面があった。これもアメリカ文化を持ち込むひとつの例だ)

    本書が刊行されたのは1987年。
    日本は丁度、バブル景気の始まる頃だ。
    その頃、アメリカではベトナム戦争の映画が次々と作られ、ベトナム戦争の見直し、と言うか、ベトナム戦争をどう位置付けるのか、を試行錯誤をしていた。
     ディアハンター(マイケル•チミノ)1978
     地獄の黙示録(フランシス•コッポラ)1979
     プラトーン(オリバー•ストーン)1986
     フルメタルジャケット(スタンリー•キューブリ
     ック)1987
     グッドモーニング、ベトナム(バリー•レヴィンソ
     ン)1987

    アメリカがベトナムに敗北して撤退したのは1973年。
    そのベトナム戦争の終結から14年後、ベトナム戦争の位置付けがまだ確定していない頃に刊行されたのが本書だということになる。
    ベトナム戦争の記憶は激しく揺れ動き、中々歴史として定着することはなかったのだ。

    3. アメリカにとってのベトナム戦争
    アメリカがフランスの後を継いでベトナムに本格的に介入したのは、ケネディが大統領に当選した1961年のことだ。
    (アメリカが本格的にベトナムにのめり込んだのは、ベスト&プライテストを集めたケネディ政権においてだった)

    1963年にはアメリカが支援していた南ベトナムのゴ•ディン•ジェム大統領がアメリカ黙認のもと暗殺された。その直後、アメリカではケネディ大統領が暗殺されたのだ。
    (二人の大統領の暗殺はたった3週間の間に起こっている)

    1964年にはソ連が、1965年には中国が北ベトナム支援を開始、南北ベトナムの戦争は、アメリカ対ソ連•中国の代理戦争の様相を呈するようになる。
    (ベトナム戦争とは、東西冷戦のホットな結果だったということだ)

    1965年にアメリカは北爆を開始する。
    これが「ローリング•サンダー作戦」だ。
    (アリスが「冬の稲妻」で「ローリング•サンダー」と歌った時、北爆を思い出していたかどうかは分からない)

    1968年はベトナム戦争のピークの年で、ベトナムに駐留するアメリカ軍は何と55万人に膨れ上がっていた。
    その頃から反戦運動、反ベトナムの運動が隆盛を迎える。戦争を指揮してきた国務長官ロバート•マクナマラ(ケネディが招集したベスト&ブライテストの筆頭)が辞任したのもこの年だ。
    それでもジョンソン大統領はベトナムからの撤退を決断できなかった。
    (アメリカのみならず、ヨーロッパでも日本でも学生運動の嵐が吹き荒れた)

    アメリカ社会は大混乱を来たしていた。
    ジョンソンは次期大統領選への不出馬を表明した。マーチン•ルーサー•キングが暗殺された。
    そして、次期大統領候補のロバート•ケネディも暗殺された。
    (正に混乱の極みだ)

    その間、アメリカ軍はベトナムで何千回という空爆を行い、悪名高き枯葉作戦も実行していた。
    1969年、ニクソンが大統領に就任すると、ベトナムからの「名誉ある撤退」をスローガンに掲げ、そのプログラムを実行してみせた。
    ニクソン/キッシンジャーによる電光石火の見事な撤退劇だったと言える。
    (ニクソンはウォーターゲート事件で不名誉な退陣をし、「史上最悪の大統領」と表されるが、その業績を見る限り「偉大な大統領」と言ってもおかしくない)

    10年を超える戦争に、アメリカ軍で従軍した兵士の数は、870万人。死者数は15万人。
    (太平洋戦争でのアメリカの死者は10万人だ)
    ベトナム人の死者は200万人に達する。
    (何という悲惨な戦争をやり続けてきたのか?)

    しかし、ベトナム戦争のアメリカ社会に与えた影響はそれだけに止まらなかった。
    さっきまでアメリカン•ライフを送っていた若者が、突然、場所がどこかも覚束ないジャングルと泥沼の中に放り込まれ、その多くが死に、行方不明となり、負傷し、一緒にいた仲間がかけていき、アメリカに帰還しても誰からも称賛をされずに、PTSD(トラウマ)に悩まされ、人からは腫れ物を触るように扱われる。
    ベトナム帰還兵という多くの若者本人の苦悩だけでなく、アメリカ社会が彼らをどう受け入れて良いか分からなかったのだ。

    ベトナム戦争は終わった。
    しかし、アメリカはその戦争をどう位置付けるかという難題を抱え、その難題に応えることでアメリカ社会は甚大な混乱と変質をもたらしたのだ。

    4. 見たくない現実
    丁度本書が刊行された頃、アメリカに駐在していたから分かるが、ベトナム戦争から10年以上経っても、アメリカ社会にとっては、ベトナム戦争は、どのように触れて良いのか分からない、極めてタッチーなテーマだった。
    誰も触れたくない、触れられたくない、アンタッチャブルな話題だった。
    ベトナム帰還兵はそこかしこにいたし、帰還兵を家族に持つ者、ベトナムで家族を失った者も多くいた。
    その人たちに、ベトナム戦争の話など出来るはずもなかった。
    彼らにはまだ傷口が疼く、ついこの間の戦争だったのだから。
    更に、ベトナム戦争の評価が定まっていなかったことが混乱に拍車をかけた。
    同じこと戦争でありながら、太平洋戦争のように大義を持って戦い、勝利した戦争とは違ったのだ。
    何故なら、ベトナム戦争には大義がなかったからだ。
    それだけ、ベトナム戦争は特異な戦争だったのだ。

    ベトナム戦争の特異性とはこう言うことだ。
    まず、アメリカが戦った戦争の中で最長の戦争だったと言うこと。
    そして、宣戦布告していない戦争だったと言うこと。
    これは、議会の承認を経ていないこと、国民の承認を経ていないことを意味する。
    知らない内に大戦争に引き込まれていたと言うのが国民の感覚だったろう。
    そして、大犠牲を払ったにも関わらず敗北した戦争だと言うこと。
    その結果、アメリカに深刻な分断と混乱をもたらすことになったのだ。
    だから、生き残って帰ってきた自分たちの息子たちをどのように迎え入れたら良いのか、皆目分からなかったのだ。

    5. ベトナム戦争の日本の文化への影響
    ここからは、本書を離れて、ベトナム戦争の日本文化への影響について少し触れてみよう。

    ベトナム戦争の時代(1954-1975)、日本は少年漫画雑誌の隆盛期に当たる。
    創刊時期は以下の通りだ。
     少年マガジン 1959年
     少年サンデー 1959年
     少年キング  1963年
     少年ジャンプ 1968年
     少年チャンピオン 1969年

    少年マガジンの最初の大ヒット作は「巨人の星」だ。
    梶原一騎原作、川崎のぼる作画のスポ根漫画の代表作。
    大リーグボール養成ギプスによって野球マシンとして育てられたのが主人公の星飛雄馬。
    では、星の最大のライバルは誰か?
    それはタイガースの花形満でもホエールズの左門豊作でもない。
    本場大リーグ(現在はメジャーリーグと呼ぶ)で、飛雄馬と同じように野球マシンとして養成されたオズマだ。
    オズマは、星の編み出す魔球を悉く粉砕してみせる。
    所詮、日本のプロ野球は大リーグの足元にも及ばない、そんな諦念が日本に根付いていた時代だ。
    飛雄馬が破れるのもやむを得ないのか、と少年たちは不満だった。
    (野茂も、イチローも、松井も、大谷も居なかった時代。日本人選手がメジャーリーグでこれだけ活躍するなど、想像だに出来なかった)

    驚くべきことに、そんな野球漫画にもベトナム戦争は影を落としていた。
    それは、オズマに象徴されていた。
    アフリカ系黒人であるオズマは野球人生の全盛期に志願してベトナムの戦場に赴く。
    ベトナムに派兵されたアメリカ軍兵士の1/3が黒人によって占められていた。アメリカにおける黒人は人口の1/10であるにも関わらずだ。
    オズマは砲弾の破片を浴びて負傷し、除隊する。
    これは、飛雄馬の父、一徹が太平洋戦争で肩を負傷した事実の、時空を超えた再現だ。
    一徹が実子である飛雄馬よりもオズマを愛していたかに見えるのは、自分の味わった悲劇を繰り返す若者としてオズマを見ていたからではないか。
    少年読者も、オズマがベトナム戦争で負傷したことを知り、遠い国の戦争であると思っていたベトナム戦争が実は身近な戦争であることを知って慄然としたのだった。

    もう一つ、漫画で例を挙げよう。
    ベトナム戦争を真正面から引き受けようとした漫画家がいた。
    勧善懲悪アクション•ドラマ「ワイルド7」で人気を博した望月三起也だ。
    「ワイルド7」ではベトナム戦争にからんだ作品がいくつかある。
    「ワイルド7」のメンバーがインドシナの前線に赴き、美女を保護輸送するというストーリーがあった。
    より印象的だったのが、「ワイルド7」にとって最強の敵がベトナム帰還兵だったという話だ。
    (どんなストーリーだったかは忘れた)
    アクション漫画に色濃くベトナム戦争の影が落ちているのが分かる。
    しかし、望月が真正面からベトナム戦争に向かい合った作品が「夜明けのマッキー」だ。
    マッキーは日本人の若き戦場カメラマンだ。
    彼の造型には、インドシナ半島で死んだ二人の伝説的カメラマンがモデルとなっている。
    一人は1954年に地雷を踏んで亡くなったアメリカ人(ハンガリー出身)のロバート•キャパ(フリードマン•エンドレ)であり、もう一人はプノンペンで襲撃され亡くなった沢田教一だ。
    グラビア•カメラマンとして人気を誇っていたマッキーは、戦場カメラマンとしての名誉を求めて戦場に向かう。
    外人部隊と戦場を転戦する中で、人間のヒューマニズムでは太刀打ちできない戦場の現実に突き当たる。
    単なる反戦漫画でないことに本作品の深みと画期性はある。
    ただ、戦場はベトナムではなく、アフリカだ。
    アフリカの架空の戦場を舞台とすることで、ベトナム戦争の本質、兵士の直面する現実を描いた傑作なのだ。
    漫画家も、エンターテイメントだけでなく、戦争に向かい合わなくてはならなかったのが1970年代だったことが分かる。

    この頃、話題となった小説に五木寛之の「海を見ていたジョニー」がある。
    とても印象的で、且つ、やるせない物語だ。
    ジャニーは日本に駐留するアメリカ人の黒人少年兵。
    ジャズの才能に溢れ、日本の米軍基地でジャズバンドを組んでピアノ演奏の腕を上げていく。
    しかし、ジョニーはベトナムに送られる。
    激しい戦闘を生き抜き、無事日本に戻ってくるが、人格は別人になっていた。
    精神が破壊されていたのだ。
    彼の精神が壊れたのは、多くの人殺しを犯した自分には、音楽を生み出す資格が無いと思い詰めたためだ。
    ジョニーはいつでも海を見ていたが、ある日、ピストルでピアノを撃ち抜き、浜辺で自分の頭も撃ち抜いてしまう。
    ベトナム帰還兵の、ある意味、典型を描いた作品だと言える。
    アメリカには何百万人ものジョニーたちが存在した筈だ。
    そしてその何倍にもなる家族や親族や友人たちが存在したのだ。
    そうしたことまで読者に意識させる小説だった。

  • ふむ

  • 文学を含めあらゆるメディアを評し、そのイメージの中で読者に「ヴェトナム戦争とは何だったのか」を問いかけている。著者の真意を把握しづらい部分もあるが、大作には違いない。

  • ヴェトナム戦争が記憶から歴史に変わっていく時代に書かれた一冊。最初に上梓されたのが1987年。その後2度目の改訂がこの岩波現代文庫版。
    戦争論だけでなく、その報道がどうなされ、どのように受け止められてきたのか、また受け取られ方がどう変わってきたのかを論じる骨太の文化論だ。
    とはいえ、前線の兵士たちの記録は凄まじい。いろんな映像作品で断片的に知っていた悲惨さとは次元が違う。コンテキストの力を再認識しちゃうな。

  • 単行本/ちくま学芸文庫版で既読。

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著者プロフィール

視覚文化論、アメリカ研究。立教大学社会学部教授。
著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日』(1987、2000、2016 岩波現代文庫)、『負けた戦争の記憶』(2000、三省堂)、『空の帝国 アメリカの20世紀』(2006、2018講談社学術文庫)など

「2019年 『ナチス映画論 ヒトラー・キッチュ・現代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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