- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006021849
作品紹介・あらすじ
中国の路地裏を歩き、庶民と言葉を交わす。広大な風景の回廊に佇み、歴史に堆積された想念との出会いから至高の私小説的紀行文学が紡ぎ出される。あの中国は、中国人ではない「我」にとって何であるのか。西域から黄河の流域まで無数の方言を聞き、それらの声を日本語に翻訳するかのように著者は綴った。やがては古都開封にて、千年前に中国人になったユダヤ人が存在していた痕跡を発見する。非西洋へ越境したワールド・フィクションの書き手が綴った等身大の中国。
感想・レビュー・書評
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1990年代後半頃の中国旅行記です。その事をどう理解して読むかというのがポイントでしょう。
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日本語うまい「ガイジン」が書いた紀行文、それ以下でも以上でもなく、可もなく不可もなく。
ただ、紀行文とはいうたものの、ほとんど厨二病みたいな思想というか、妄想というか、そんなののかたまりで、始めはそれでもよかったが、半分すぎると疲れてくる。
最低評価に貶めるほどではないが、かと言って並の評価をつけられるような内容でもなく、気持ちばかりの☆2つ。
読み返すことはないため売却。 -
かなり良かったです
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000753864
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イマイチ感情が読み取れない文章を書く人だな。
おもしろそうな話題だと思ったらとくに掘り下げずに終わったりする。 -
(01)
政治的には激変のあったはずの20世紀を越えた中国を著者は訪れている.90年代以降には経済的な変化もあって,都市の外や路地のような内奥へと著者が踏み入ることも可能になっている.著者が足を向けた先には,わたしたちの現代日本から見ても,いつも意外な中国があるが,その意外さというのは案外,共産党革命前から続き(02),かつての国家が営んだ都市に因むものでもあるのだろう.
したがって重層的な文化と都市が著者によって横断される.面白いのは,日本語や台湾語,そして現代中国語を手がかりにしながら,それらの層に分け入り,「農民」や「流民」そして「回民」までも含めた人民たちと会話を交わしながら,風景のみならず言葉にみえる層を感じ取っている点にある.
教養,あるいは見るものがもつ文化が風景を見させてくれることが改めて理解される紀行文である.
(02)
20世紀中盤のあの革命も歴史化されている.毛沢東も周恩来も彼らの事績に縁があれば史跡化している様子も本書に記されている.それでも人民も訪れず閑散としている博物館があり,革命以前の「文物」を使いながら復元的に,そして観光的に再編されつつある都市の様相は,共産党政権そのものが,正統的な歴史へと組み込まれる過程としても,見えている. -
英語を母国語とする筆者の中国旅行記。北京語で人々と語り、さまざまな時代に思いを馳せつつ、日本語でそれについて考える、そんな複雑な頭を持っているのに、彼の文章は水のようにすんなりこちらへ入ってくる。
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著者の「我的日本語」を読んでいたので、タイトルに惹かれて読んだ。
アメリカに生まれ、幼少期を台湾で過ごし、青年期から日米を行き来しながら、日本に在住し、韓国も含む東アジアを旅する文芸作家の中国大陸旅行記。
著者の生い立ちや体験を背景にした味わいのある訪中記になっている。
英語、日本語と日常会話のレベルの北京語、多少の韓国語を話し、日本語で作家活動をしているという。 -
アメリカに生まれ、日本、台湾、アメリカを往還しながら育った作家の訪中記。
北京五輪の直前、あの超高度成長が到来する寸前の中国の記録であることに、作家自身は大きな意味を見出しているようだ。
北京だけではなく、関林、鄭州、広州、延安、開封といった土地を訪ねている。
正直、私にとっては、そのうちのいくつかは、どこにあるのかさえ分からない。
それらの土地の情景が、乾いた筆致で描かれているように感じられた。
「美国国籍、常住日本」という、作家の立ち居地の微妙さは、理屈としては理解できるけれど、文章を読みながら、擬似的にでも体感するというところまではいかなかった。
何かが自分の中に入ってくることを拒んでいるような気がする。
もっとじっくり読んだら、あるいは、私の方の受け入れる素地ができたら、きちんと理解できる本なのかもしれない。 -
以前、著者の新聞連載エッセイを読んで、文章に独特の魅力を感じていました。「白い顔」と米国籍を持ち、台湾で幼少時代を過ごし、今は日本に住み日本語で文章を書く著者が、北京語を使って一人で旅する中国大陸の描写は、彼ならではの視点が興味深いです。頭の中では英語と日本語と北京語が混ざり、耳には理解できない中国の方言が飛び込んでくる、その不思議な感覚を想像してみたり。この本は、自分も中国語を少し学んだことで、より楽しめたと思いました。