拝啓マッカーサー元帥様: 占領下の日本人の手紙 (岩波現代文庫 社会 61)

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  • Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006030612

作品紹介・あらすじ

国家総力戦から一転、敗戦そして軍事占領…。敗北に直面した国民はそれらをどのように受け止めたのか。連合軍総司令官として君臨したマッカーサーにあて全国から送られた手紙は約五〇万通。政治家から小学生まで、あらゆる立場の日本人が書き綴ったこの膨大な時代の証言から、敗戦直後の日本人の心性と、戦後日本の出発点の特質を照射する。

感想・レビュー・書評

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  • 講義で使用。

    実際の手紙の内容と、解説が交互に論じられて分かりやすく、面白い。

    個人的には、こんなにも好意的な手紙が送られてきた事に驚きがあった。

    また、当時の日本人の「戦争責任」に対する考えが、うかがえる。

  • どのように当時の日本人が敗戦と占領を受け止めたか知りたかったが、序で述べられているように手紙を書かなかった人のほうが大多数であるわけで。読んでいて恥ずかしくなるものも多かった。それは、開戦時の日本人の日記に多くあるあの高揚感まる出しの文章を読む気持ちに近い。

  • GHQ総司令官として君臨したマッカーサーに全国から送られた50万通の手紙を通して日本人像を読み解く斬新な本。
    ものすごく面白く読めた。
    日本民族の研究のためにすべての手紙が専門部署で読まれて一部は返事も書かれてたとは驚いたな。

  • ◆約6年に渡り、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の総司令官として、
     日本に絶大な権力をふるったマッカーサーだが、
     朝鮮戦争の最中の突然の解任にあたっては、
     マッカーサーより偉い人間がいることに日本人は驚愕したという。

    ◆民衆と親しく接することのなかったマッカーサーだが、
     赴任直後からGHQの奨励もなく、彼宛の手紙が堰を切ったように送りつけられるようになった。
     重要と思われる手紙は翻訳通訳部隊により全訳され、マッカーサーのもとに届けられた。
     彼は過密なスケジュールの合間を縫い、ほとんど目を通したという。

    ◆手紙の主は農民から学生、はては元右翼の巨頭でA級戦犯容疑者、
     公職追放中の政治家、さらには工場労働者、県会議長、教師、医師とその職業、
     階層を選ぶことはなかった。
     日本を去るまでの間、マッカーサーに宛てられた手紙はおよそ50万通。
     そのほとんどがマッカーサーに対する賛美と感謝の声であり、批判は少数だったようだ。

    ◆編者である袖井が実際に目を通したのは、50万通の手紙のうちの1、2%で、
     本書に紹介されている手紙の内容はといえば、松茸を送るから受け取って欲しい。
     就職の斡旋を頼みたい。マッカーサー元帥の銅像をつくりたい。
     村内のもめ事の裁決を願いたい。
     挙げ句のはてには、原文は存在しないが、
    「あなたの子供をうみたい」といった内容までがあったという。

    ◆つい先日まで日本人にとっては、「鬼畜米英」の象徴だったマッカーサーだが、
    「世界中の主様であらせられますマッカーサー元帥様」
    「吾等の偉大なる解放者マッカーサー元帥閣下」
    「広大無辺の御容相」
     と、北の将軍様を笑えない綺羅を飾った言葉で称えられた手紙も数多い。
     (占領下のドイツの軍政責任者には、マッカーサーに寄せられたような
      熱烈な声は聞かれなかったという)

    ◆「日本之将来及ビ子孫の為め日本を米国の属国となし被下度(くだされたく)御願申上候」
     「私は貴国が枉げて日本を合併して下されることによりてのみ
      日本は救はれるのであると確く信じます」

    ◆「権力者と対決することなく一体化するというこの行動様式は、
     占領期に初めて見られたのではなく、他に逃げ場のない島国日本に、
     あるいは封建的集落という小宇宙に長い間生きてこざるを得なかった日本民族にとって、
     ほとんど本能化していたのではないか」

    ◆日本占領は自国がしかけたアジア侵略の戦争に敗れた結果に他ならなかった。
     だから大義は占領する側にあると、ほとんどの日本人ははやばやと納得したのである。
     その態度を『転向』という言葉で呼んでもいいだろう
     
    ◆積極的に膝下に入ろうとするほどの彼らの感激の出所は、
    「敗戦直後の日本人が『占領』のイメージを日本軍が中国とアジアで行なった野蛮な占領の経験にもと づいて作りだしていた」。

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著者プロフィール

1932年、宮城県生まれ。1956年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(政治学修士)。1964年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院にてM.A. in Polotical Science 取得。1976年、法政大学法学部教授。1987年、El Colegio de Mexico 客員教授。1992-93年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校日本研究所客員研究員。1999年、法政大学名誉教授。
○著書・訳書
『マッカーサーの二千日』』中央公論社、1974年(中公文庫、1976年);毎日出版文化賞・大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
『拝啓マッカーサー元帥様――占領下日本人の手紙』大月書店、1985年(岩波現代文庫、2002年)。
『私たちは敵だったのか――在米ヒバクシャの黙示録』潮出版社、1978年(増補改訂版、岩波同時代ライブラリー、1995年);(英語版)WERE WE THE ENEMY? American Survivors of Hirosima, Westview Press, Boulder,1998.

「2012年 『吉田茂=マッカーサー往復書簡集 [1945-1951]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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