原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006030803

作品紹介・あらすじ

「からだの主体は脳ではなく、体液である」-こうしたからだの動きの実感を手がかりに生み出された野口体操の理論は、従来の体操観を大きく覆し、演劇・音楽・教育・哲学など多方面に影響を与え続けている。身体の可能性を拓く体操法を端的に語った本書は、身体的思考に基づく独創的な人間論、運動・感覚・言葉論でもある。

感想・レビュー・書評

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  • 入院中に友人からお見舞いとして届けられた。そう言えばまだ学生時代から話題にしていたような気がする。
    身体今回の入院がなければ自分の身体とこんなに向き合うことなどなかっただろう。幸にして手術や難しい投薬などすることなくほぼ治癒力に任せつつリハビリをする日々、身体が動かせる範囲が徐々に広がる(広げる)一方、廃用性に低下した機能を回復させる。常に自分の身体と向き合うことができた。そんな我が身を慮って本著を届けてくれた次第だ。
    リハビリは、その状態(疾病状態等)からよりベターな状態に戻すために、脳・筋肉・腱・筋膜・骨の連携機能を理論的に調整する作業と理解した。しかし、本著者の世界では人間の身体は皮膚に包まれた水袋みたいなものであり本来は柔軟な性質があり、脳で身体のパーツを動かすのではなく脳からの指令を余分なものとして、まずは脱力して呼吸を整え丹田からの気により瞬発力や柔軟性を持った動きが出せると。まあ、こんな単純な理論でもないのだが…、ザクッと言うとこんな感じだ。
    まあ「理論」と「自然体」を程よいバランスで身体を捉えることがいいんだろう。このようなタイミングでこんな出会いをくれた友人に感謝だ。

  • 帯表
    身体の可能性を拓くラディカルな体操法
    解説 養老孟司

    本書は、『原初生命体としての人間』(三笠書房、一九七二年九月刊)を改訂した同時代ライブラリー版(岩波書店、一九九六年三月刊)を底本としている。

  • 頭ではなく、身体に、液体に意識を向ける。どこからか流れ着いたから理解が追いつかない所だらけだったが、言葉の端々に染み入るものがあった。“自分が今、ここで、本当にやりたいことをしていること、それ以外の別の所に、自分のいのちがあるはずがない。この生々しいいのちの火花だけが、相手の中に新しく何事かを起こし得る唯一のものてあろう”の一節が残った。自分の理由は自分のなかに持つ。伝わる伝わらないはその次。文章を理解というより、実践から得るものかもしれない。

  • 野口体操開祖 野口三千三氏の原理著作改訂版。
    身体についての独自の捉え方は、深く理解できた自身はないが、全般的にとても腑に落ちる。
    例示された体操の実践が何より。
    特に頭立ちは日常に取り込むほどコアだ。

  •  最初の1/3の読みづらさと言ったから格別。
    「え? 何を言っているの」という状態になったのは久しぶりである。

     しかしながら、そこを超えれば、深い泉の如く底が見えない世界である。さすが原初生命体について書くだけあるぜ。
     でもあと10回くらい読み返さないと理解は出来ないw

  • バイブルと呼べる本に出会ったことはなかったけれど、
    これはバイブルかもしれない、と思う。

    自分を生きたい
    自分のからだを生きたいと願い始めている人には、
    学べることがたくさんあってちょうどいい。

  • 保育園に通っていた頃に、なんでか自分はクラゲになりたいと思った。柔は剛を制すとも思った。そしてふにゃふにゃと骨のないような動きをしていたら、先生から「○○君はタコみたいね」と笑われた。クラゲなんだけど。

    ここにその当時の僕の閃きにも似た本を見つけた。いや、その時の僕よりも遥かにこの本は進んでいるけれど。なんせ作者はクラゲどころか、原初の生命体コアセルベートにまで想いを馳せる。コアセルベートとは界面がはっきりしないために、水とも他の個体ともはっきり区別ができないような、それこそ「生から死へ、死から生へ」あっという間に移りゆく、不安定な生き物である。実は人間の身体もそのようにたおやかなのでは……。

    西洋の解剖学がもたらしたのは歪んだ「身体感」だ。死体解剖の身体は既に体液のなくなった管や骨の容れものにすぎず、「動くもの」としての人間本来の身体のあり方を示すのに適当ではない。人体は個体ではない、むしろ液体をたっぷりつめた袋というにふさわしいと作者は説く。

    作者は大胆に持論を展開していく。持論の根拠は作者が自らの身体と対話してきたものの膨大な集積である。なあんだ、当てずっぽうの推論か。けどかえって身体を扱うにはそのほうが適切である気がする。作者は自己のあり方として専門家や研究者のようにはなりたくないと断言する。こと身体の事に関しては、自らが内に感覚を研ぎ澄まし、自身の身体の「快」とするところを探るほかないのだろう。そして、そのメッセージこそ最も重要なものであると思う。

    作者のことばは作者自身の身体の感覚で語られる、いわば「身体言語」といえるようなものなので、作者の真意を汲むのは生半可ではない。実際に体操の紹介もあるが、これは読んでもできないでしょう。

    けれどもその持論の多様さ、イマジネーションの豊富さには舌を巻かざるをえない。身体のことはもちろん、言葉についても示唆に富んでいて、それらはすべて野口三千三氏・身体を通しての哲学なのだ。

  • 『動き』を教える上で、新鮮な捉え方、考え方が小難しいけど奥深い。

  • これは名著だろう。と、何の情報収集もなく思った。
    内田樹、荒川修作、甲野善紀と読み継いでたどり着いた本。
    これらの本でふうんそんなもんか、と思っていたのが
    今までの経験と一緒になって「そ〜だよね!」とうなずいてしまった。

    オカルトにならず、分析的にもならず、健康法にもならず。
    リズムで話しているのに信用できる。

    だいたいの身体論の本はすぐに分析的判断を徹底的に打ちのめすが、
    野口先生は感覚と理屈、どちらも否定しない。
    とてつもなく複雑でシンプルなこと(=現実)を、冷静に叙している。

    ヒトが生きているかぎり付きまとう、
    原始的な「理」が自意識につながっているかもしれない。
    そんな仮説を考えていたんだけど、あながち嘘でも無いみたい。

    末永く手元においておきたい、そしてすべての人に薦めたい本。

  • 野口体操のベースとなる身体の認識について書かれた本です。<BR>
    あくまでも自らの身体感覚を元に、より自然なあり方を追求する著者のこだわりが感じられました。身体本来のあり方と動きに関しては、いかに重力のままに流すかという液体や気体的身体感覚、呼吸の関わりにとても共感しました。<BR>
    主観と自己責任しかないという著者の考え方のとおり、一般論や常識にとらわれない点には感心させられる反面、科学的、客観的アプローチに否定的なところや、言葉の意味づけが日本語に偏重している点には抵抗感がありました。多分そのせいで、スーパーリディング&ディッピングの段階では、フォトリーディングの目的とした「著者が主張したいことを知る」ことに満足感を覚えず、高速リーディングまでやりました。

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著者プロフィール

1914年、群馬県生まれ。群馬師範学校・東京体育専門学校助教授を経て東京芸術大学教授。後に同大学名誉教授。野口体操を創始し、長年にわたり指導した。1998年没。主著は『野口体操 おもさに貞く』(春秋社)、『原初生命体としての人間』(岩波書店)など。

「2016年 『野口体操 からだに貞く 〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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