日記をつける (岩波アクティブ新書 16)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (169ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784007000164

感想・レビュー・書評

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  • 仕事を辞めてから、きちっと日記をつけるようにしました。
    それも三年日記を、一昨年からはじめて丁度二年半。
    その日あったことと、食べたものをちょこっと書いてるだけですが、嫁さんが「ららぽーとへ行きたい」と言えば、丁度去年とおんなじ日。そうめんの食べ始めも同じだし。自分の意思で動かしているようで、ひょっとしたら大きな流れの中で、目に見えぬものに動かされているんではと・・・。

    何もお変わりなく、今年も過ごせる、これも幸せなんでしょうな。

  • 好きなテンション。ものすごく教訓があるわけではないけどところどころさりげなく真理も書いてあって、でも何より楽しい。他の本も読んでみたい。

  • 人の日記を読むというのはその人の人生を少し味わえるような気がしてとても面白い。
    初めて作者にファンレターを書いた本。

  • 公開を前提として書かれた物、図らずも死後公開・出版されてしまったもの、そして日記の要素を持つ文学作品など、多くの出版物をご自身の日記とも併せて紹介しています。何冊か読んでみたい物がありました

  • -108

  • 日記をつけることとは何か、自分にどんな影響を及ぼすのか、日記はどういうふうにつけられているのか、そういった内容を、作家たちがつけた日記を紹介しながら語られる。
    愛人や妻との情事を「宝」と表現した山田美妙の日記などがとても興味深い。簡潔な文章のなかに生があって、エロチック。
    日記は、人の一生、そのものだ。

  • 作家の日記の紹介が主。

    (以下引用及び要約)
    「書く」は、書いた文字がそのときだけそこにあればいいという、どちらかというとそういうものであるのに対し、「つける」は、しるしをつける、しみをつける、がそうであるように、あとあとまで残す感じがある。いつまでも残るように記すこと。これが「つける」なのだと思う。だから日記は「つける」のだ。(pp.34-35)

    雨の日の日記は、その一日が、いかに晴れやかな舞台をふもうと、内面的なかげりにおびた消極的なものになりがちだ。そして晴れた日は、晴れ晴れとした調子のものになるだろう。日記は空とつながっているのだ。(p.41)

    司馬江漢が鯨を追いかけていた、ちょうど同じ頃、ローマで、詩聖ゲーテは何をしていたか。(p.42)

    ・樋口一葉、二十歳の日記
    一葉は連日とても遅くまで起きていた。毎日のように早起きをしている。体にこたえたろう。母と二つ年下の妹との三人ぐらし。裁縫と洗い張りで整形を立てた。一家を支える彼女のきびしい生活がうかがえる。(p.47)

    ・内田百閒、晩年の日記
    それは、食べることに興味をもっていたというより、その他のことを書く必要はないからである。彼は老年になっても次々に力のこもったものを書き発表していた。心のなかのことは発表され、外に出ているので、日記には書くことがないんどあ。寝ること、食べること。その確認に日記はついやされた。日記をつける習慣だけがつづいた。いらないものが消えて、つけるということだけ、そ習慣になった。だからといってその人らしさがなくなったのではない。書くということ、書いて生きているのだということが、はっきり取り出せるように見えてきた。彼の内部は必要なものだけをかかえて、いきいきと働いていたのだと思う。(p.52)

    ・山田美妙、隠語「宝」
     さて、主に末尾に「宝一」ということばが見えるが、「宝ニ」もある。これは、とめとの性交とその回数を示すものだろう。
     この他に「宝一、二を試みて不」(一〇月三〇日)もある。(中略)形容をそえるものもある「宝一 大美」「宝一 大妙」「宝一 至妙」などは満足度を示すものらしい。(pp.92-93)

    人間は疲れると、文章のなかに「とても」とか「たいへん」とか「非常に」とか「いちばん」とか「ものすごく」などが多くなるのである。(中略)なんとか早く切り上げたいので、はっきりしたことばを使ってしまうのだ。(p.104)

    ・他人の会話をつけておく――夕立、初対面の男女の例(p.105)

    ・幸田文 日常のささいな出来事から随筆を生み出す(p.128)

    ・十大ニュースを決める
    大みそか、紅白が始まる前に、僕はみかんを食べながら、「一〇大ニュース」の選定にとりかかるのである。これは、どきどきするものである。そのうちにできあがって、正式発表。決まれば異論はない。こうして無事、日記少年の一年が終わるのだった。(p.137)

    ・大手拓次と日記――「n」への片思いについて
    大手拓次は日本象徴詩のさきがけとなった人だが、ともかく詩を書く人なので、ことばが少ない。夢中になるとますます少ない。ことばも足りないから自分のつけた日記は資料にはなりにくい。だから二人のこともうまく振り返ることができなかったのではないか。そのためかどうか、nさんの姿はまもなく日記から消える。(p.147)

    あることをおぼえていることで、他人を幸福にすることはある。他人をしあわせな気持ちにしようと思っている人は、ものをおぼえようとするものである。(p.148)

    愛するということは、あるいはたいせつな人をもつということは、記憶に懸命になる、そうさせられるということである。(p.149)

    こんなことも、つけておこう。すべて、時間がたつと忘れやすいものばかりである。(p.151)
    家の間取り/窓からの風景/近所のようす/書棚のようす/行きつけの店/衣服の傾向/会社の人たちの描写/いまの仕事/家族のありさま/男性観あるいは女性観/いちばん心を占めている問題/政治、社会の大きな動き

    自分の批評家がひとり生まれる。その批評家はときどき現れ、消えていく。日記をつけることは、自分のそばに、自分とは少しだけちがう自分がいることを感じることなのだ。ときどき、あるいはちょっとだけでも、そう感じることなのだ。その分、世界はひろくなる。一日もひろくなる。新しくなる。(p.163)

    日記をつけていると、自分のなかの一日のほこりがとり払われて、きれいになるように思う。一日が少しのことばになって、見えてくるのも心地よいものだ。ぼくはその気持ちのなかに入りたいために、日記をつけるのだと思う。(p.164)

    (15.10.11読了)

  • 日記を題材としたエッセイ集。著者の日記愛が感じられて、読んでいてほっこりした気分になる。
    毎年11月にはワクワクしながら来年の日記帳を選び、1月から勢い込んで書いていくのだが、花粉で鼻水が走る頃になると途絶えがちになる。そうかと言えばGWでまたぞろ日記を書き始め、なんてことを繰り返す。かくして粗密のある日記帳が毎年1冊ずつ増えていく。
    このエッセイを読むと、『それでいいのだ』と思えてくる。でも著者のように毎日の終わりに日記を書く、そのこと自体が至福の時になるなんて素敵だな、と思う。

  • 前にタイトルだけは知っていた本。
    日記のつけ方からさまざまな日記文学につながっていく。ここでも、日本人独特の天気を記す日記が指摘されていた。
    高見順の日記にほれぼれし、日記文学に触れては読みたいと思う。
    そして、日記をつけたくなる本。

  • 公開するつもりなく書かれた文章。
    やはり面白いものもあった。

    幸田文さんの日記は整いすぎている感もあるけれど、他の人があまり気に留めないこともよく観察して書き込まれていて、やはり作家さんは違うなと思った。機会があったら幸田さんの文章をまとめて読んでみたい。

    一年間の日記をつけ終えた後での、自分の十大ニュースというのを考えてみるのもなかなかよさそうである。

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著者プロフィール

荒川洋治
一九四九 (昭和二四) 年、福井県生まれ。現代詩作家。早稲田大学第一文学部文芸科を卒業。七五年の詩集『水駅』でH氏賞を受賞。『渡世』で高見順賞、『空中の茱萸』で読売文学賞、『心理』で萩原朔太郎賞、『北山十八間戸』で鮎川信夫賞、評論集『文芸時評という感想』で小林秀雄賞、『過去をもつ人』で毎日出版文化賞書評賞を受賞。エッセイ集に『文学は実学である』など。二〇〇五年、新潮創刊一〇〇周年記念『名短篇』の編集長をつとめた。一七年より、川端康成文学賞選考委員。一九年、恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員。

「2023年 『文庫の読書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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