迷子の自由

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著者 : 星野博美
  • 朝日新聞社 (2007年2月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022502537

迷子の自由の感想・レビュー・書評

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  • 170p「私は機械になりたい」

  • これはなかなか良い作品でした…氏の著作はいくつか読ましていただいているのですけれども…これも僕的には大分気に入る一冊となりました!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    氏は写真も撮られるんですねぇ…とこの一冊を通して知ったのですけれども…なかなか良い写真を撮られますね。写真のことなぞちっとも分かりませんけれども…まあ、フィーリングで良しとしましょう。 ←え?? 社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    日本・インド・中国と色々な国を往来している氏だからこそ作れる一冊ではないでしょうか…外国のことについて書かれている文からはなんというか、その国の匂いみたいなものが読んでいるこちらにまでまとわりついてくるようですねぇ…。

    おしまい…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 914.6

  • つだにある

  • エッセイというか写真集というか。

    星野さんの写真、こんだけの数をじっくり見るのは実は初めて。
    ちなみに本はこれまで2冊読んでいる、ちなみに星野さんの本業カメラマン、なんか失礼だぞ俺…

    失礼ついでに書くと、エッセイがあるから写真が映える、写真があるから文章が味わい深い。それぞれがとても良い感じに影響し合っているのが良かった。

    あれだけこだわっていた、銭湯通いも中断されているようだし、あれだけ中毒になっていたファミレス通いもお気に入りの店が淘汰されているようだし、そういうとこから時代が進み具合を観る眼線が面白い。

    あのジャパンバッシングがひどかった時期に重慶に行っても、日本人だと名乗っても一切の事件に巡り合わなかったと書いているのも興味深い。マスコミ報道が偏向的だったのか…、ただ俺のリアルな知り合いが騒動に巻き込まれて水ぶっかけられてるって事実もあるから、全く何事もなかったわけではないんだろうけど。

    とかなんとかいいつつ、この本インドの章が一番読み心地が良かったりする

  • 星野さんの写真と文章を思い切り堪能できる本。

  • ほんわかとしたエッセイと武蔵野市のなんとなく見たことのある風景写真に癒されました。

  • タイトルに惹かれて読んでみました。
    エッセイが一つ会って、次に写真が一枚、また次にエッセイという感じの本。
    星野博美という人の本は初めて読んだんだけど、日常のありふれた風景について書いてあっても視点がおもしろくて飽きることがなかった。
    前までは写真を見るときは風景の美しさとか、状況のドラマチックさとかなんかそういうのばかりみてた気がします。
    この本を読んでから、写真の価値とか存在意義とか考えた。
    写真家は哲学者だなと思いました。

  • 本は最近よく読んでいたのだけれど、カラーの写真作品をあまり見たことがなくて、ああ、こういう写真の焼き付け方をする人なんだ。と思った。ハッキリしていて、力強い印象なんだけど、切ない感じ。見開きで話がまとまっているし、写真もあるし、とても読みやすかった。入院中だったので、ちょっと読んでちょっと寝て、写真だけ見たりとか、ちょうどいい感じだった。

  • 「とにかくここから出てみたかった。でもそれは、何が何でもここから出ていきたいという脱出願望とは少し違った。「出てみたい」と「出たい」は、似ているようで全く正反対の方向を向いている。」

    「撮れた写真の背後には、膨大な量の、思うように撮れなかった写真や、シャッターを切る勇気がなく、存在すらできなかった写真がある。写真は偶然に撮れるが、撮れなかった写真に偶然はない。逆に、撮れなかった写真にこそ、撮る人間の本質が隠されている。」

    自分にとってどこまでも心地よい価値観を提示してくれる星野博美のエッセイを読み進めながら、どこかでじわじわと恐怖心にも絡め取られていく。

    大阪万博が人生最大のイベントであると認識する星野博美に対して、ほとんど記憶にはないものの東京オリンピックが人生最大のイベントであると認識する位の微妙な年齢差が自分と彼女の間にはあるけれど、ウルトラマン・シリーズでは彼女同様やはり圧倒的にセブンのファンであった。

    そのウルトラマン・シリーズの根源的なテーマを星野博美は、正義ではなく破壊であると言い切る。そして自分もまたその認識に首肯するものの一人である。

    カネゴンや、子供の落書きから生まれたやたらに重いガバドン、そして定番ジャミラなど、破壊は人間対自然という対立軸の中だけでなく、人間と人間という対立軸の中にもあった。そしてそんなウルトラマンの怪獣を見ながら自分はいつのまにか多数決の振りかざす正義に辟易する人間に育った。

    そんな自分の価値観に響く星野博美の文章に出会い、似たようなことを考える人もいるものだなあ、と呑気に思っていたら、段々と彼女の子供時代が自分の子供時代と随分重なることに気付く。そしてこのウルトラマンをめぐるエッセイ。この言明の裏には光化学スモッグ注意報で体育の授業が急に室内になったり、公害を取り上げた社会科の授業の記憶ががあるのだろうと容易に想像がつく。何故なら自分にもその記憶が残っているから。

    そう気付いてしまうと、人というのが如何に後天性の気質、つまりは周囲環境という要素から逃れられないものなんだということを悟らされて愕然となる。自分の考えなどというものが自分の中からゼロから湧き上がって来たものなどでは決してあり得なくて、いつの間にか刷り込まれた価値観に踊らされているだけなのか、という恐怖がふつふつ湧いてくるのだ。

    解っていることではなく、解らないことにこそ本来の自分の感性が隠されているのかも知れない、そう星野博美に言われて我が身を振り返ってみると、そこに思いの他凶暴な自分を発見して悄然とする。

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