岡本行夫 現場主義を貫いた外交官 90年代の証言

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022504791

作品紹介・あらすじ

日本外交はアメリカとどう向き合ったのか。湾岸戦争、イラク戦争…。最も困難な状況を打開してきた外交官の奮闘。

感想・レビュー・書評

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  • 故・岡本行夫氏の回想録。1968年に外務省に入省してから1991年に北米第一課長を最後に外務省を辞め、その後、総理補佐官や内閣官房参与として沖縄やイラクに冠する政策立案に参与したところまでをカバーしている。サミットの調整、武器技術移転問題・戦闘機開発・SS20・湾岸戦争などの同盟管理の諸調整、沖縄問題などに、筆者が切り込み隊長として、外務省の同僚はもちろんのこと、官邸各省や米国、沖縄のキーパーソンと体当たりで調整し、難しい案件を前に進めて行く行動力、構想力、体力、精神力の全てに驚嘆するし、その当時の外交史の裏面を知る意味でも面白い。外務省版、安全保障版の官僚たちの夏という印象(課長で辞められてしまったが)。

    また、当時の意思決定のシステムやステークホルダーが現在と異なっているのも面白い。特に政策を主導するレベルと主体。

    まず、岡本氏が外務省を辞められたのは、霞ヶ関の仕事は課長クラスが一番面白いからで、その先は自らが切り込み隊長になるよりもマネジメントの要素が強くなること、自身が昇進するにつれて仕事が手堅く保守化してきていることから一度外に出たいと思ったということ。

    このことは、官僚たちの夏よりも時代は下るが、80年代、90年代もまだ霞ヶ関の仕事は課長中心に動いていたということ。現在は官邸主導が言われて久しい。役人主導では、岡本氏のような型破り官僚をもってしても各省の利害を超える調整は困難を極める一方、役人自身のやりがいには繋がっている。現在のトップダウンシステムにより、採用にも影響が出ていると聞くが、官邸主導・政治主導も必ずしも魔法の杖ではない。

    また、岡本氏の記述の中で安全保障を外務省だけが担当しているのは日本だけというような記述があるが、戦後の異常な体制は安全保障を外務省に押し付けるほど狂った体制だったのかと改めて思う。他国の例を見ても、外務省だけが安全保障を担当するのは、異常だし片手落ちを越えて両手落ちに近い。現在は、安倍総理の下で国家安全保障会議が出来て、内閣官房、防衛省、経済産業省、財務省など関係省庁が参加して意思決定を行っていると見られるが、この点については、岡本氏の時代よりも進化した点であると見られる。

    そうした視座を与えてくれる点も含め、良書だった。

  • 大平さんは口数少ない寡黙な人だけれども、言うときはビシっと言っていた。
    日米関係をしっかりやらなければならないという指導者が小泉さんを除いて薄くなってしまった。
    後藤田さんの強烈な現実的リベラリズムから多くのことを学んだ。
    90年代のサウジの灼熱に日本はウォークマンを1万台、寄付した。岡本さんがソニーの盛田会長に直談判に行き、盛田会長も即決してくれた。

  • 『岡本行夫―現場主義を貫いた外交官 90年代の証言』(五百旗頭真、伊藤元重、薬師寺克行、2008年、朝日新聞出版)

    元外交官の岡本氏がインタビュー形式で、外務省、首相補佐官の経験や国際関係を語る形式。元外交官が語るだけに外務省の事情がわかっておもしろい。個人的には湾岸戦争時の日本の支援の裏舞台に関する情報が新鮮だった。

    (2010年5月19日 大学院生)

  • 最近の国際政治ニュースがわかるようになりました。
    いくつかの大きな事件の背景の種明かし的面白さを味わえ、人情話に泣かされました。

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著者プロフィール

熊本県立大学理事長・ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長・神戸大学名誉教授

「2014年 『戦後日本外交史〔第3版補訂版〕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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