濡れた太陽 高校演劇の話 (上)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022509376

作品紹介・あらすじ

東京から電車で二時間、F県の高校で巻き起こる「演劇部乗っ取り計画」!?誰もが「あの頃」を思い出す、がんじがらめの青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 『太陽は早くも孤独を感じていて、どこか自分の孤独を演出できる場所を校内に探していた。できたらその場所で孤独に浸っているところを女子に見つけられ、密やかな好意を寄せられたい。
    ということは、本当に孤独の場所はまずいな。ある程度オープンなスペースで、それでいて孤独感があり、欲を言えば近くにトイレがあって、夏涼しく、冬暖かい場所がいい。』

    『鈴たちの年頃はまだ、様々な形の欲望を、誰もが持っているって事を確信できずにいることが多いから、もしかしたらこんな欲望抱くなんて自分だけかもしれないという悩みに陥りやすいと思う。』

    「渋谷から十分くらいのとこ」
    「ええ凄い」
    「凄くねえよ」
    「でも相原くん全然オシャレじゃないね」
    「東京生まれの奴は逆にオシャレとかしないんだよ」

    「牛乳は?」
    「飲んじゃった」
    「なんで? いつも飲まないのに」
    「ちょっと飲みたくなった」
    「なんでよ」
    「あんだよ、そういう日も」

    『「渡井、安藤、海老名さん。ヤバイよこれ、多分。このままじゃ超俺たちの学生生活破滅だよ」
    「超」は「破滅」にかかっている。超破滅だよ。』

    『勝てばその瞬間は気持ちいいかもしれないが、必ず遺恨を残すのだ。ギャラリーの過半数が勝ちを確信したくらいで、刀を納めるべきなのだ。』

    「大抵の人がウンコするから、ウンコを介して皆が内輪なんだよ、ウンコに関してはみんなある程度知識と経験があるから。だからシモネタっていうのは世界共通で笑いがとれるの」

    「あ、桃太郎」
    「なに?」
    「あ、桃太郎です」
    「何それ名前?」
    「あ、今自分で、考えました、あの、桃なんで、桃からあれしたんで、桃のあれの方が良いかなあと思って、あ、あれっていうのはなんか、桃の、桃にちなんだあれの方が良いかなっていうか」

    『妙子の恋心はもしかすると若さゆえのただの思い違いだったのかも知れない。
    でも、恋心なんて全部思い違いみたいなものじゃないのだろうか。』

    『他の大人に話したら「みんな通る道よ」とか言われて笑われるか、「恋に憬れてるだけよ」とか言って呆れられるかも知れない。でも本当はそんな見解どうでもいい。悲しいものは悲しいのだ。』

    『今の太陽は生まれたてのヒヨコみたいな状態で、自分に話しかけてくれる女子全部好きになっちゃう勢いがあったのだ。』

    『なんとなく、上手く行きそうな気がする。
    全く根拠のない自信に満ちている。
    これは俺が四月生まれだからだろうか?』

    『気持ちは言葉にすると、何か、きっぱりと割りきれたものみたいに思えるけど、実際は、なんだかぐちゃぐちゃで、判別が難しく、自分でもなんだか判らないものなんじゃないのか。
    小説はその判別難しいモヤモヤ、ぐちゃぐちゃしたものを言葉でかっきりと整理していくものだと、思っていたけど、多分、そうじゃないんだ。
    モヤモヤしたものを整理できるの言葉だけど、だから、小説は言葉ではないのかも知れない。言葉を使ってはいるけど、言葉とはもっと違うものなのかも知れない。
    ああ、俺はなんて頭がいいんだ。天才かも知れない。』

    『えっと、そうだ、だから、言葉を並べようと思っちゃいけないんだ、言葉を使うんだけど、言葉で整理しちゃいけないんだ。だから、言葉を沢山知っている必要はないんだ。言葉をたくさん知っていても作家にはなれないんだ。だから、俺みたいに言葉を沢山知らなくても大丈夫なんだ。きっと。』

    『その、気持ちだったり、なんか、言葉にできないような微妙なことを、言葉にしちゃったら、違っちゃうから駄目で、それをそのまま小説にすればいいんだ!
    小説だったら、モヤモヤしたあやふやなあれをそのまま描くことができるんだ。だから小説は凄いんだ。そうか、だから、例えば言葉なら「愛」とか一言で言えてしまうものを、一冊かけて書いたりするのだ。一冊では書ききれなかったりして、一生をかけたりするのだ。
    そして、それはもっと、モヤモヤしていて、結論みたいな感じじゃなくて、なんだろう、結論て言うか、カチッとしてなくて、もっと自由なまま、そのまま、表現できるんだ。
    そうか、そういう風に書けばいいんだ。
    よし書こう。
    どうやって?』

    『それでなんとなく、これが重要なのだけど、なんとなく言えたってことが。なんとなく信二は「付き合うよ」と言ったのだった。
    考えていたら絶対そんなことは言えないのだ。たまたま、本当にたまたま出会い頭にいい言葉が出たんだ。
    「え、ありがとう」
    だから、恵美もなんとなく、信二が忘れ物を一緒に取りに行くことを承諾したのに違いなかった。
    意識してたら無理ですよ、そんなの。「付き合うよ」なんて。』

    『「野尻くん、そういうの向いてると思う」
    「マジで? なんで?」
    「なんか、判んないけど、そう思う」
    「そうか」
    信二は、何か、よく判らないけど、嬉しかった。』

    『女子と話すとき、守りに入ってしまう。
    守りに入るといっても、消極的な態度をとるとかそういう単純なことだけではなくて、もちろん消極的にもなるけど、自分が傷つかないように行動するということだ。
    だから、簡単に言うと、嫌われる前に嫌ってやれ、みたいな行動とることがある。
    相手にされなくなる前に、こちらから相手にしないでやるのだ。
    女子なんて、みたいな態度で女子と話す。だからなおさら、女子に嫌われる。』

    『いくつかの種類の事柄を経験していると、初めての事柄に出会ったとき、過去の経験から類推し、未経験のことに関しても経験済みのように対応することができるようになる。大人なんてその程度のものなんじゃないだろうか?』

    「多分、あなたが思っているよりも、みんなはあなたのこと好きだよ」

    『鈴は、自分の気持ちを説明しようとしたけど、自分でもいまいちよく判らない自分の気持ちを他人にうまく説明できるわけもなく、それでも、なんとか、判って欲しくて言葉を重ねてみた。』

    「恥ずかしい?」
    「あ、まあ、恥ずかしい? はい」
    「でも、喜怒哀楽の練習をしないと、舞台上で喜怒哀楽を表現できないから」
    「でも、練習をしないと表現できないってことは、普段からそんな風に喜怒哀楽を表現していないってことじゃないですか?」

    「喜怒哀楽なんて伝えて何になるんですか?」
    「それが伝わった方が、感情移入できるでしょう? 登場人物に感情移入できるでしょ」
    「そんな喜怒哀楽を判りやすく表に出すような、現実味のない人間に感情移入できません」

    「だって先輩はさっき舞台と日常では表現が違うって言ったでしょ? 舞台の方が表現が大きいって。それは、日常の人物と舞台上の人物が違うってことじゃないですか? そしたら、日常に住んでいるお客さんに、舞台上の人物に感情移入させるの難しいじゃないですか?」
    「難しいよ、だから」
    「なんでわざわざ難しい方法とるの? 舞台上では大きな表現をしないといけないって誰が決めたんですか?」

    『会話だけ見ると全く面白くないが、要はタイミングとそのときの雰囲気だ。
    今ここで何か言えば、内容に関係なく、笑いが取れると言うタイミングがあることを太陽は小学生くらいの頃に気付いていた。
    そう、タイミングなのだ。』

    『腐らないか心配だったが、笠岳は下よりも涼しいし、大丈夫だろうということになった。
    今井先生は一番びびっていたが、腹をくくった。
    食中毒が出てもどうにか揉み消そう。』

    「どこ行ってたの?」
    「神社の方に行ってました」
    「なんかあった?」
    「あ、神社が」
    「そうか」

  •  ◯◯は〜がしたくなっちゃったのだ。だから〜をした。とても楽しかったので、嬉しくなった。

     …みたいな文章がちょっと気持ち悪くて、小学生が書いている小説。という印象。でも狙ってやっているのかな。

  • 因幡先生は「努力はいつか報われる」と黒板に書いた信二は「いつだよ」と思う。

  • 演劇、芝居の胡散臭さを見事に書ききっている。

  • 豊崎由美さんの書評を見て読んでみました。
    演劇に目覚めたいけてない高校生男子が、思い切って演劇部に入部。しかし先輩たちの型どおりの練習や退屈な脚本に満足できず、部の乗っ取りを企む。。
    とあらすじを書いても、全然この本のおもしろさは伝わらないです。
    こんな小説の書き方があるんだ! と思いました。衝撃。

  • 演劇アレルギーである。特に現代劇はまったく入り込めない。観てて楽しくない、演者の自己満足な気がしてムズムズするのだ。そんなだから、高校演劇部の話ときいて、普段なら手に取らなかったと思うが、上目遣いで生意気そうなメガネ男子の表紙イラストにぐっときて、読んでみることにした。読み始めたら、本当に面白くてどんどん読みたくなり、また、読み終わる前から読み終わるのが残念な気持ちになった。
    登場人物すべてが主人公。長所も欠点も悩みもさまざまであり、話すこともないかもしれない者同士が一つのことに夢中になる、そこに違和感がないのは学校という特殊な共同体における奇跡である。
    メイン人物の相原太陽を通じて語られる演劇論は、演劇が苦手なものにこそ読んで欲しい。自分は初めて、演劇というものについて、納得した。
    唯一タイトルが残念な気もするが、これも個性か。

  • いい!
    後編読んだらくわしく書こう。

  • 第3回(2013年度)受賞作国内編 第10位

  • 図書館より拝借。冬休みのお楽しみ。だが、下巻予約は休み中に来ない気配。うー、はやく読みたい。登場人物わんさかいそう。

  • 「恋愛の解体と北区の滅亡」や、「青春でもない愛でもない旅立たない」を書いた人が書く高校時代の話だもの、いかにまあひねくれててめんどくさい奴の話かと思って読みました。それ読んで自分の高校時代に照らし合わせてぞわぞわしようかと思って。
    そしたらまあ、なんとまあ。熱い演劇論混じりの青春物語ですよ。
    それもね、まあね、もちろん押さえるとこは押さえて、ねえ、ねえよこんなもんといった熱さみたいなこう、小説中でいうところの最初の演劇、アチチュードのようなものはしっかり避けております。

    こんなに演劇論を交えて書くところに、なんつうかもう責任とったるみたいな作者の覚悟が見えます。着いていきたい、と思いました。

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著者プロフィール

1977年生まれ。劇作家、演出家、俳優、小説家。和光大学人文学部文学科在学中に劇団「五反田団」を旗揚げ。2005年『愛でもない青春でもない旅立たない』(講談社)で小説家デビュー。同作が野間文芸新人賞候補となる。2006年、『恋愛の解体と北区の滅亡』(講談社)が野間文芸新人賞、三島由紀夫賞候補、2007年、『グレート生活アドベンチャー』(新潮社)が芥川賞候補に。2008年には、戯曲「生きてるものはいないのか」で岸田國士戯曲賞受賞。同年、『誰かが手を、握っているような気がしてならない』(講談社)で三島由紀夫賞候補。『夏の水の半魚人』(扶桑社)で第22回三島賞。その他の著書に、『逆に14歳』(新潮社)などがある。

「2011年 『小説家の饒舌 12のトーク・セッション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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