ことり

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著者 : 小川洋子
  • 朝日新聞出版 (2012年11月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022510228

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ことりの感想・レビュー・書評

  • 気管支が弱くて、いつもコンコン咳をして、入退院を繰り返すこどもでした。
    幼稚園にもロクに通えなくて、当然ながら、かなりの人見知りで苦労して。
    もしも奇跡的に結婚してこどもを持つことができたら、こんな苦労はしないよう、
    丈夫で物怖じしない子に育てなくちゃ! なんて思っていたせいか
    娘は、誰も一人っ子とは信じてくれないくらい元気に育ったのですが。。。

    物怖じしない、の裏返しというか、自分が正しい、素晴らしいと思ったことは
    なにがなんでも押し通そうとするので、お友達とぶつかってばかり。
    いつも言い聞かせるのは、自分のやり方や考え方を人に押し付けないこと。
    誰かが大切にしているものや、大好きなことを、たとえ自分が好きになれなくても
    ばかにしたり、笑ったり、冷たく否定したりしないこと。

    そんなこともあって、この本を娘が読んでくれたらなぁ、としみじみ思いました。

    メジロが入った鳥籠を抱いてたったひとりで亡くなったまま
    何日も発見されなかった「小鳥の小父さん」を
    孤独死した可哀想な老人と決めつけ、憐れむ権利は誰にもない。
    人間の言葉を喋ることをやめ、小鳥と弟にだけ通じるポーポー語で
    美しい世界のことを語り続けていた、小父さんのお兄さんを
    障碍者扱いし、気味悪げに遠巻きにする権利も、誰にもない。

    ましてや、繊細なポーポー語を発明し、進化させ、キャンディーの包装紙を
    何枚も何枚も貼り合わせ、今にも飛び立ちそうな小鳥のブローチを作る兄を
    心から崇拝し、寄り添う小父さんを、手のかかる障碍者の兄を抱えて
    人並みに生きる喜びさえ味わえない気の毒な人、と見下す権利も。

    後世に残るような立派な業績を残さなくても、目に見える形で何かを残さなくても
    「僕たちの巣は安全だ」と、守りたいものをじっと抱きしめて
    外の世界の心ない人々に傷つけられても抗わず、慎み深く生きる小父さんや
    図書館のカウンターで、相応しい本が相応しいひとの手に渡り、
    心をこめて読まれることを何よりのよろこびとする司書さんのような人を
    きちんと認め、尊いと思えるひとになってくれたらなぁ、と思うのです。

    小鳥たちを愛し、繰り返す穏やかな毎日を慈しみ、
    偏見に満ちた人たちの仕打ちも静かに受け入れて一切反撃しなかった叔父さんが
    人間の欲望の餌食となったメジロたちのために決意した、最初で最後のレジスタンス。

    狭い鳥籠の蓋を次々に開け放して、閉じ込められたメジロたちを飛び立たせるたび
    小父さんの魂も少しずつ、お兄さんの待つ空に近づくようで
    この世でやり遂げるべき最後の仕事を無事に終え、横たわる小父さんに
    おつかれさま、と声をかけ、祈りを捧げたくなって。

    片田舎の小さな教会に飾られた宗教画のような
    つつましやかながらも神々しい物語でした。

  • ひっそりと生きる小さくて弱い命がただただ愛おしい。

    「小鳥の小父さん」の仕事はゲストハウスの管理人。
    その「仕事」が生きるために必要なのは疑う余地もない。
    ただ、お兄さんがいなくなった後、小鳥の小父さんを生かしていたのは鳥小屋の掃除ではなかっただろうか。
    道具を自分で揃え、給金も発生しない鳥小屋の世話は小鳥の小父さんの中では「仕事」とはまた違う行為のようだった。
    幼稚園の園児のためではなく、お兄さんと自分のために続けているそれは、「仕事」よりももっとずっと切実な何かだった。

    そしてそれは小鳥の小父さんと世界の接点だった。
    司書の女性も園児達も園長先生も「小鳥の小父さん」を見ていた。

    誰かのことを知ろうとする時、いったい何について知るべきなのか?
    小鳥の小父さんの生い立ちもこの本には書かれているけれど、全てを知らなければ小鳥の小父さんのことを知ったことにはならないのだろうか?
    そうだとしたら私は誰のこともきちんと知ることは出来ないのだ。こんなに悲しいことがあるだろうか。

    でもそうではないと信じたい。
    鳥小屋の世話をしている姿を見て、「小鳥の小父さん」と呼んだ子ども達やいつも感謝を示し続けた園長先生は小鳥の小父さんのことをきちんと知っていたと思う。
    小鳥の小父さんが図書館で借りる本が全て小鳥に関する本だと知っていた司書の女性も、小鳥の小父さんに歌を教わったメジロも。
    彼らが見ていたのが小鳥の小父さんの一面に過ぎなかったとしても、きっと小鳥の小父さんを「ことり」とは呼ばないから。

    誤解してしまうことはある。
    誤解されることもある。
    思い込みで見えなくなることも多い。
    それでも私は小鳥の小父さんやお兄さんに疑いの眼差しを向けたくはない。
    理不尽に追い出したくもない。
    全てを知ることは出来なくても、何を大切にしているのか、何がその人を生かしているのかをきちんと知ろうとしよう。
    私には意味が分からないポーポー語が優しい言葉だということを忘れずにいよう。絶対。

  •  あの大震災以来、日本中に「君は一人じゃない」だとか「勇気をもらった」だとか、判で押したような言葉があふれ、閉塞状況から逃れたいと深く念じつつも私は、そうした言葉に疲れ、非国民と罵られるのを恐れて、卑屈な愛想笑いに己を隠して沈黙の殻に閉じこもっています。
     ある日、新聞の書評欄(二〇一二年十二月十日付読売新聞)の見出しに「誰も踏み込めない孤独」とあるのが目に留まりました。確実に「孤独」が詰まっているらしい、小川洋子著『ことり』の存在を知ったのはその時でした。しばらくして今度は、新聞のコラム欄(同年十二月三十一日付読売新聞)に「人間が愛(いと)おしくて、人間が厭(いと)わしくて、異常な心持ちだったね、一年前は…」とあるのを読みました。この筆者は、震災直後の一年前の大晦日の心情を吐露しているように語っていましたが、一年前にそんなことはとても新聞に書けなかっただろうし、二年目の大晦日に同じ心情がさらに深まっていても、「今」とは書けず、「去年のことなんだけどもさぁ」と婉曲に、コラム流の逃げを打ちながら、「話しかけないで。触らないで。独りにして」と、孤独を告白していました。大新聞のコラムニストですら、後ろめたさを引きずりつつ、身の内にずしりと感じる「孤独」を書き留めておかずにはいられなかったのです。
     いま日本中にあふれている前向きで、建設的で、素敵な言葉の氾濫に、私は溺れそうになりながら、自らの存在の奥深くに巣食う孤独ともしかすると向き合えるかもしれないと、この小川洋子著『ことり』のページをめくりました。

  • 「小鳥の小父さん」と、ポーポー語を話す兄のお話。
    最初から最後まで感情移入出来にくかったけど
    切なくって、何度か涙がこぼれそうになりました。
    ただ切ないだけではなく、心の深部に語りかけるような物語でした。

    昔、小学校に同じような小鳥小屋がありました。
    それを思い出すだけで、なぜか、もう切なくって
    胸の奥に針がささったみたいにチリチリと痛んだ。
    その小屋のインコたちは怪我をしても、治療なんか
    してもらえなくって、骨折したままあしが変形していて…
    人が通るたびに小鳥たちは緊張していて…。
    小鳥の小父さんにお世話してもらった小鳥たちは幸せだったろうな…。

    その大事に世話して育てていた幼稚園の小鳥小屋が
    さびれていって、小鳥がいなくなっていく様が切なくって。

    私もうちで小鳥(セキセイインコ)を飼っているけど
    本の中でも説明されていたように、小鳥は自分の体調不良を
    悟られないように隠すんです。(飼い主にも隠す)
    じゃないと、渡り鳥なんて仲間に置き去りにされるから
    そういう習性があるんだって。

    寒い冬は小鳥専用にヒーターを入れてあげないと風邪引いちゃうし
    心配りがないと、小鳥の寿命はどんどん削れていってしまいます。

    この本、ポーポー語を話すお兄ちゃんは「小鳥」そのもの。
    小鳥の小父さんも、たぶん「小鳥」だったんだと。
    小鳥はお世話をしてくれる人がいないと、どんどん弱ってしまうから。
    きっとあのメジロもお兄ちゃんだったのかな…と思ったりしました。

    二羽できっと自由に大空の元で羽ばたいていることでしょう。

    本当にまだ誰も起きない園庭の片隅の鳥小屋
    静かな朝、ことりのさえずりしか聞こえない春の朝のイメージ。

  • 世の中のあれこれについて
    知らなければいけませんか?
    政治とか経済とか事件とか・・・・・

    職場と自宅の往復で大した出来事もなく毎日を過ごすこと
    それだけじゃいけませんか?

    他人の痛みについて自分のことのように感じなければいけないですか?

    ・・・・淡々と事実だけが語られるだけなのに
    些細な出来事ばかりが過ぎていくだけの文章なのに
    引き込まれていく。
    そして、気がつくと涙してしまっていた。

    私にとって、ずっと忘れない物語になりそうである。
    そんな物語はそんなにない。

  • その人の人生の幸福度や充実度はその人にしか判断できないものなのだろう。

    惹かれ合い、家庭を持ち、家族や友人に恵まれて一生を終えることを分かりやすい「幸せ」と呼ぶのであれば、小鳥の小父さんの一生は「不幸」だ。
    自分の殻に閉じこもり家族と関わろうとしない父、突然「ポーポー語」を喋り出し小鳥に異常な執着を見せる兄、けして子供を否定せず優しいが最後まで「ポーポー語」を理解できなかった母。ポーポー語の唯一の理解者として、いつも兄の傍らにいた彼は両親の死後もひっそりと兄に寄り添い続けた。

    無粋を承知で言うならお兄さんはきっとサヴァン症候群であろうし、他者との交流を避け鳥籠のような狭い世界に閉じこもり、ただ小鳥の世話に明け暮れる小鳥の小父さんも変わり者だろう。ポーポーや湿布薬を買いに青空薬局へ通い、図書館司書の女性に淡い想いを抱き、虫箱の老人に引き込まれ・・・出会いはあるものの、孤独なまま鳥籠を抱いて死んでいく。でも彼の人生を哀れむことはない。小鳥のように小さく脆く危うく、それでもしっかりとあたたかな時間がそこには流れていたし、彼はきっと幸せだったから。

    並行して読み進めていたのが村上由佳さんの「星々の舟」で、家族を扱ったという意味では同ジャンルなのだけれど、あちらが濃密な血の重さと危うさを感じさせるのに対し、こちらは淡々と穏やかなのに危うさを感じるような作品だった。

  • 日常と非日常の隙間にひっそり佇む、美しい文章で綴られた、
    静かな世界観が相変わらず心地いい。

    淡々と物語は進むのだけれど、そこには悲しみや寂しさや喜びが、
    しっかり詰まっている。

    毎日決まった手順で子供達の鳥小屋を綺麗に掃除する、
    小鳥の小父さん。
    ある日、小父さんはメジロの入った鳥籠を抱えたまま、
    穏やかな顔で亡くなった。

    そんな小父さんの小さな世界を、ポーポー語を話す兄、
    図書館の司書など様々な人との関わりの中で、
    静かに少しずつ知っていく。

    最後まで読み進めたところで、冒頭のシーンが印象的によみがえる。

    あぁ良かった。
    少し温かな気持ちで読了。

  • 小さくて、静かな、静かな世界。
    そこに聞こえるのは鳥のさえずり。
    そして鳥たちと心つたえ合う兄弟の話す独特な言葉。
    日々の生活に追われている人々には、
    決してきこえはしない。
    彼らにとって、自分達の言葉が、
    世間のほとんどの人々に伝わらないことは不幸なのか。
    自分だけの、自分しかわからない、
    世界を持つことって幸せなのか。
    私には答えが見つからない。

    ミチル商会の鳥籠。
    「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。
    小鳥に相応しい小さな自由を与えるための籠です。」
    その鳥籠の中にいるように、
    自分に相応しい小さな自由の中で生きた
    小父さんの一生。

    それは幸せなものだったのか。
    世間の尺度で測ったらそうではないと
    判断されてしまうかもしれないが、
    自分は幸せでもあったと思いたい。

    せつなくて、少しだけ残酷、
    しかし美しい大人の童話。

  • 小川洋子さんの描く世界が大好きです。
    本書も小川さんの小説らしい遠慮深さと慎ましさを存分に堪能できます。

    主人公は「小鳥の小父さん」と呼ばれている老人です。
    鳥籠をかかえた小鳥の小父さんの遺体が見つかったところから、物語は始まります。
    小鳥のさえずりのようなポーポー語を話す兄との生活、儀式のような幼稚園の鳥小屋掃除、図書館で芽生えた淡い想い・・・。
    この物語は小鳥の小父さんの生涯そのものなのです。

    読んでいる途中に思い出したのは、小川洋子さんと岡ノ谷一夫先生との対談が収録された『言葉の誕生を科学する』です。
    さえずり起源論などの興味深いお話が種となり、『ことり』で美しく開花したように感じました。

    ひっそりとひっそりと生きた命を、小川さんがそうっと掬い上げ、大切に大切に織り上げた。
    そんな祈りのような物語なのです。

  • 小鳥をこよなく愛し、鳥たちからも愛された兄弟。「ボーボー語」(←鳥と会話が出来るらしい)しか話せない兄との二人だけの暮らし、その兄が他界してからは、ゲストハウスの管理人の傍ら、幼稚園の鳥小屋の世話に勤しみ、あらゆる小鳥関係の書物を読むために図書館に通い、ほとんどの日常必要品を調達できる子供の頃からの一商店に通う。これが彼のテリトリー、生きている世界だった。
    「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さい自由を与えるための籠です」鳥かごの定義が、彼が愛読する本の中ででてくるのだが、思えば、小父さんの暮らしそのものを象徴しているかのようだと気づく。司書によせた淡い感情も、鈴虫の老人との交流も、入れ替わる園長先生や子供達も、皆、彼の前を横切っていくだけ。彼の生活は乱されることなく、ある秩序をもって密やかに繰り返されてきた。
    すくい取った「孤独の中の安らぎ」を見事に表現した作品だと思った。終盤、傷ついためじろのヒナを看病し、美しい鳴き声を奏でられるように小父さんが繰り返し鳴き声を教え導いていき、それが実っていったくだりは、濃密で、何とも言えない心地よさに包まれる箇所だった。
    小鳥とお兄さんと、小父さん。慎ましやかな静かな生涯を通して、自分らしく「生きる」ことの意味を考えさせられる作品。

  • 身寄りのない「小鳥の小父さん」が死に、遺体と遺品が処理される場面から物語は始まります。
    そして、なぜ、小鳥の小父さんと呼ばれるようになったのか、その生涯が綴られていきます。

    小鳥が好きで、弟にしか理解できない言語を生み出し操る兄との日々。
    兄を失ってから、いくつかのささやかな出会いと別れを経て年を取って行く日々。
    小鳥への愛情やふと蘇る思い出の温かさ、切なさ。

    この作家は、社会の片隅の、縁の方でこぼれ落ちそうな世界を描くのが本当にうまい。
    その世界はささやかで、ひっそりとしていて、壊れそうなのだけれど、実は、何者にも侵すことの出来ない強固なものなのだと教えてくれるのです。

  • 小鳥と対話ができるお兄さん。でも、人に通じる言葉を持っていません。
    そんな兄を尊敬しつつ、支える弟である小鳥の小父さん。

    ゆっくりとした時間の流れと、純粋な兄弟の優しさが切なくなります。

    保育園にある鳥小屋をずっと眺めていたお兄さん。
    園長先生は、「お兄さんが来ると小鳥たちが競って歌を披露していた」と
    小父さんに話します。
    そんな小鳥たちに気づく園長先生も素敵ですね。

    最後まで読んでから、冒頭に戻ると、飛んで行ったメジロの
    心の声が聞こえくる気がします。

  • 小鳥の小父さんの、そのつつまし過ぎるようにも見えるその生涯は、愛に充ちていた。かけがえのない兄、そして小鳥たち・・・愛するもののために何をするべきか、何をしたいのか。そのことにひたすら心を砕いているうちに、静かに時は過ぎ行く。たとえ世界の誰にも理解されなくとも、それは幸せな人生だったといえるのではないか。

  • 小川洋子さんって改めてものっすごい作家なのかもしれない・・・。

    静謐、という言葉がこれほど似合う物語はないです。
    最初から最後までまったく無駄がない、削るべき一文も蛇足も一切ない完成された作品。

    弟以外誰にも理解できない言葉を話す兄。
    誰にも伝わらないけれど、お兄さんの内側にはゆたかに広がる美しい世界がある。
    たましいという言葉はでてこないけど、お兄さんのたましいはとても小鳥に近かったらしい。
    そして弟も、小鳥の声を聞くために一生をささげた。

    そういう二人の生き方は、たとえばブルドーザーみたいな乱暴で無神経なものの前では、せつないほど無力です。
    傷つきやすく、時には誤解をされる。
    せっかちで雑音にあふれた世間は、彼らを受け入れるほど懐は広くない。

    けれど二人は何を恨むでもなく拗ねるでもなく、愛すべきものを愛して生きている。
    自分たちに似たたましいを探して、外の世界とつながろうともする。
    誰かと心を通わせようとする。
    それがいつも空振りに終わってしまう、そのことはかなしいことではあるけれど、けっしてかわいそうではないのです。
    こんなふうにしか生きられずかわいそう、と言うのは多分ブルドーザー側の人たちで。

    内側に愛するものがあり、小鳥だろうと小猫だろうと、深く心を通わせる存在があれば、それはとても満たされた生き方なんじゃないかと。

  • 小川作品は、いつも乾燥した空気が流れている。
    話の内容がどれだけ重くても、
    現実のドロドロした部分が描かれていても、
    振ったらカサカサと音が鳴るような乾燥した空気が流れている。

    小鳥の小父さんは幸せだったのか。
    愛する兄と過ごした日々は幸せだったのかもしれないが、
    それはいつまでも永遠に続くものではない。
    わずかばかりの周囲の人々の交流だって永遠に続くものではない。
    世間の冷たい目にさらされることだってある。
    だからといって、それを不幸と断定はできない。

    小鳥の小父さんは眠るように逝った。
    その事実に救いがある。

  • 最後まで読んだあと冒頭を読み返すと、感じ方がまったく違って来る。最初、小父さんを知らない状態から見たその死後の姿は、ただの孤独な老人の最期である。なんだかよく分からないが、同情心を抱く。
    小父さんの生きた時を知ってのちは、小鳥がさえずる場面に特別な感動がある。
    その差がまた、醍醐味でもある。

    小鳥の小父さんがまだ子どもだった時、小父さんはお兄さんと両親と四人で暮らしていた。
    お兄さんはある時から、お兄さん独自の言語でしか話さなくなった。小父さんは不思議とお兄さんの言葉が分かったが、お母さんやそのほかの人は違った。お兄さんの言葉を理解できる人は小父さん以外にいなかった。
    お兄さんは、小鳥を眺め、小鳥の声に耳を傾けるのが好きで、小父さんはそんなお兄さんの傍にいた。

    作品内ではたびたび理不尽で悲しい出来事に胸が引き絞られる。
    小鳥の小父さんの、誰にも影響を与えない孤高さが、時に気高く、時に惨めで、それは野生の、群からはぐれた生き物みたいに見えた。

    小父さんが教えた求愛の歌は、別の小鳥に受け取ってもらえただろうか。

  • 読み終わって、また最初のシーンに戻って読んでみる。
    最後にエピローグのように付けてもよかったこのシーンを、なぜ冒頭にもってきたのか、と考えながら。なぜ死から始めたのか、と考えながら。

    羨ましい死に方だ、と思う。
    このように生き、このように死んでいく名もない人はきっと巷にたくさんいるだろう。その皆が一つずつ、小父さんがメジロを抱きしめて逝ったように、自分の物語を抱きしめて逝くのだろう。

  • 終わり方は冒頭で明らかにされているのに、途中経過が魅力にあふれていてそんなことはすっかり忘れていて読み終わる直前にああそうだったかと思い出す、というような感じでした。登場人物の誰にも固有名詞が付いていなくて、お伽噺のような雰囲気で進みつつ、登場人物たちは役割としてお伽噺の流れに埋もれてしまうことも無く、個人としてキラキラ光り輝いていました。悲しくも美しいお話でした。とても面白かったです。

  • 親や他人とは会話ができないけれど小鳥のさえずりはよく理解する兄、
    そして彼の言葉をただ一人世の中でわかる弟。

    その兄弟と小鳥たちの物語なのだけど、
    最初から最後まで静謐で、
    ほんのり死の香りが漂う小川さんらしい世界だった。

    これだけ物や情報に溢れた世界で、
    人間ここまで無欲に生きていけるものなのだろうか・・・。

    現実に置き換えると異質で気味の悪ささえ覚えるかもしれない。
    しかし物語として読むこの人たちは本当に美しい。

    美しすぎてかわいそうに思う。
    もっと幸せになっていい、もっと報われていいと思うけど、
    彼らは十分幸せだったのかもしれないとも思う。

    怖い事は何も起きてはいないのだけど、
    何か怖い事が起きそうで落ち着かなかったのは、
    常に死がまとわりついている感じがしていたからでしょうか・・・。

    小川さんの世界観といえばそうなのですが、
    その中でも本当に美しくてせつなくて怖い本だと思います。

  • 他に誰も話すことのできない言葉でしか話せないお兄さんと
    世界でたった一人だけお兄さんの話す言葉が理解できる弟。
    両親を早くに亡くし、肩寄せ合って生きる二人の暮らしは
    ささやかだけれど、幸福と信頼に満ちた静かな日々でした。
    ほんの少しの大切な物たち
    (薬局で買うキャンディー、静かに流れるラジオ、毎日庭にやってくる小鳥)
    に囲まれ、訪ねて来る人もめったにいない暮らしが
    どうしてこんなにも幸せそうで満ち足りて見えるのか。。。
    たくさんの物に囲まれ、即座に世界中の情報が手に入る暮らしをしていても
    自分の本当に大切な物もわからず、心の通じ合う会話さえできない人が多い現代で
    自分たちが作り上げた小さな小さな世界の中で
    他人と比較せず、欲張らず、清らかに生きる兄弟の姿に感動さえ覚えるのです。

    日々大量に流されてくる情報をシャットアウトし
    自分に必要最小限のものと本当に大切な人だけに囲まれて暮らす。。。
    憧れるけど、俗物の塊のようなワタシには無理だろうなぁ・・・(涙)

  • 小鳥の小父さんは鳥籠を胸に一人で死んでいた…博士のように見守ってくれる家政婦の私もルートもいない孤独な死、また新たな小川洋子流の人生譚が静かに奏でられた。
    ポーポー語でしか会話の出来ない兄の存在はアルジャーノンを彷彿とさせ物語の切なさに色を添える。
    人に迷惑など掛けていない、それどころか兄を助け人に尽くし生きているだけなのにあらぬ疑いを掛けられ誹謗中傷に晒されるこの世の中とはいったい何?
    人との触れ合いよりも鳥との触れ合いを好んだささやかなその生涯、でも最期にはそれさえも奪われて…小父さんは果たして幸せだったのだろうか?
    その答えを探しにメジロが籠から空へと飛び立って行きました
    名著!

  • ことり好きにおすすめの一冊。

    物語は、幼稚園児から”小鳥の小父さん”と呼ばれた、孤独な男性の生涯を描いたもの。

    小父さんは、幼稚園の鳥小屋の掃除を無償で行っているためそう呼ばれるようになったのだが、きっかけは亡くなったお兄さんだった。
    小父さんのお兄さんは、明記されてはいないがおそらく自閉症かなにかの適応障害と思われ、小父さんにしか分からない”ポーポー語」を話した。そして小鳥が大好きだった。
    二十代で両親を亡くした小父さんとお兄さんは、庭にくる小鳥や幼稚園の小鳥を愛でながら、淡々としかし心地よい日々を過ごしていた。
    やがてお兄さんは倒れ、亡くなってしまう。
    小父さんはお兄さんに近づくため、その存在に触れたくて、幼稚園の鳥小屋の掃除をはじめる。

    全編に散りばめられる小鳥の描写が素晴らしい。
    孤独な小父さんが小鳥にむける純粋なあこがれのような思いが胸をうつ。
    ただただ小鳥にかかわることで、亡くなったお兄さんを偲び孤独を癒す小父さんへの、世間の雑音がやるせない
    だが、時には残酷で醜い描写もまた、純粋に生きることの難しさ、切なさを伝えてくれる。
    最後に小父さんは一羽のメジロの雛を保護する。
    小父さんは初めて、特定の小鳥を深い関係を結ぶことになる。
    小父さんの優しさ、繊細さ、純粋さ…全てが感じられる描写に感動する。
    メジロは小父さんに導かれ、美しく囀ることができるようになる。
    美しい歌でおくられた小父さんの最後は、孤独ではなかったと思いたい。

    小父さんの小鳥へのまなざしは、そのまま著者の小鳥への思いではないだろうか。
    幼いころ飼っていたセキセイインコを思い出した。
    小さく首をかしげる仕草、真ん丸の黒い瞳。
    犬や猫ともまた違う、控えめな賢さのようなもの。

    小鳥が好きな人に、ぜひ読んでみて欲しい。

  • 「小鳥の小父さん」のお話。
    小さな鳥たちを愛し、誰にも顧みられず死んでいく男の生涯を静かに描いた、小川ワールド。
    寝る前に読むと、とても心穏やかな気持ちになって、やがて眠気がやってくる。このお話が持つ世界観は小川ワールドそのもので、どこまでも静かで純粋で切なくて…、大好きなんだけど、先の展開をわくわくして読む類の本ではないせいか、遅々として頁が進まない。でもまた、そのゆっくりさこそがこの本にふさわしいのかもしれない。
    メジロの囀りが聴きたくなる。

  • 多くを望まず、自分の持ち分の中でひっそりと生きる幸せ。小川洋子さんの描くそんな世界が大好きです。


    去年の「人質の朗読会」今年の「最果てアーケード」と、死 を前提にしたような密かやな空間の話が、ここのところ続いていますね。
    「ブラフマンの埋葬」「猫を抱いて象と泳ぐ」もそうだったけど、そこに生きる人たちは優しく、哀しく、今、私が生きる雑駁な現実の日常とは全く違うところがせつなくて、そんなかけ離れ感が好きなんだと思います。

    主人公は「小鳥の小父さん」。長年、幼稚園の鳥小屋の清掃を静かに続けていたことからくる愛称なのですが、おじさんの兄の話がとても大きな印象を与えます。
    お兄さんは幼いある日から、突然、「ポーポー語」しか話さなくなります。それは、彼の中ではしっかりした言語体系を持ち、あらゆる自分の思いを現すことができる言語なのですが、理解できるのは弟だけ。お母さんが必死で“勉強”し、息子の心情を知ろうとするあたりは同じ親としてどんなにか悲しい日々なのか、が伝わってきます。

    ただ、小父さんとお兄さんは、幼い時も大人になってからもとても仲のいい兄弟で、誰の邪魔にもならずひっそりと生きていく毎日。読んでいると、とても静かな気持ちになってきて、うん、これは小川洋子さんの本をめくる時にしか行けない場だなぁ、と。

    小父さんの淡い恋や幼稚園の子どもたちとのあれこれが、きっとこうなるだろう、と思った方向に流れていくのは今の時代だから、ということが大きく関係しているんでしょうね。

    最初の行で小父さんの死が明らかにされているので、読者はずっと、死をベースとした物語として読み進めます。

    ただ、滅びの物語の持つ美しさは、「ブラフマンの埋葬」で空気の色や匂いさえしっくりと身に添うものを感じましたが、この「ことり」では小父さんやお兄さんが可哀想、という気持ちがどうしても強くなってしまって、全面的にはのめりこめなかったかも、です。

  • 「博士の愛した数式」の博士もこの物語のお兄さんも、障害者です。博士は記憶障害、お兄さんはコミュニケーション障害。
    けれど少欲知足の、幸せを知る人です。世間からは何か欠格しているとみなされているけれど、世間の人の方こそ足るを知ることに関して欠格しています。
    「ことり」の主人公は鳥語を解し人語を話せない兄を世話し、見送ります。
    兄は職業を持たなかったけれど、弟は就業し、兄の死後も一人で社会生活を営むことができました。でも、寡黙で少欲知足だった(=人と変わっていた)ために、世間の誤解と迫害を受けます。
    人と争うことを好まず、隠れるように暮らしていた主人公が最後にしたことは、ものすごく行動力にあふれたことで、自分の欲で動かない彼だからこそできたこと。長い長い廊下を歩いて行って、最後にたどりついた窓を開け放ったようなラストでした。

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ことりの作品紹介

小川洋子、12年ぶり、待望の書き下ろし長編小説!

親や他人とは会話ができないけれど、小鳥のさえずりはよく理解する兄、
そして彼の言葉をただ一人世の中でわかるのは弟だけだ。
小鳥たちは兄弟の前で、競って歌を披露し、息継ぎを惜しむくらいに、一所懸命歌った。
兄はあらゆる医療的な試みにもかかわらず、人間の言葉を話せない。
青空薬局で棒つきキャンディーを買って、その包み紙で小鳥ブローチをつくって過ごす。
やがて両親は死に、兄は幼稚園の鳥小屋を見学しながら、そのさえずりを聴く。
弟は働きながら、夜はラジオに耳を傾ける。
静かで、温かな二人の生活が続いた。小さな、ひたむきな幸せ……。
そして時は過ぎゆき、兄は亡くなり、 弟は図書館司書との淡い恋、鈴虫を小箱に入れて持ち歩く老人、文鳥の耳飾りの少女と出会いながら、「小鳥の小父さん」になってゆく。
世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない会心作。

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