ことり

  • 1695人登録
  • 3.77評価
    • (130)
    • (246)
    • (195)
    • (26)
    • (8)
  • 276レビュー
著者 : 小川洋子
  • 朝日新聞出版 (2012年11月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022510228

ことりの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 気管支が弱くて、いつもコンコン咳をして、入退院を繰り返すこどもでした。
    幼稚園にもロクに通えなくて、当然ながら、かなりの人見知りで苦労して。
    もしも奇跡的に結婚してこどもを持つことができたら、こんな苦労はしないよう、
    丈夫で物怖じしない子に育てなくちゃ! なんて思っていたせいか
    娘は、誰も一人っ子とは信じてくれないくらい元気に育ったのですが。。。

    物怖じしない、の裏返しというか、自分が正しい、素晴らしいと思ったことは
    なにがなんでも押し通そうとするので、お友達とぶつかってばかり。
    いつも言い聞かせるのは、自分のやり方や考え方を人に押し付けないこと。
    誰かが大切にしているものや、大好きなことを、たとえ自分が好きになれなくても
    ばかにしたり、笑ったり、冷たく否定したりしないこと。

    そんなこともあって、この本を娘が読んでくれたらなぁ、としみじみ思いました。

    メジロが入った鳥籠を抱いてたったひとりで亡くなったまま
    何日も発見されなかった「小鳥の小父さん」を
    孤独死した可哀想な老人と決めつけ、憐れむ権利は誰にもない。
    人間の言葉を喋ることをやめ、小鳥と弟にだけ通じるポーポー語で
    美しい世界のことを語り続けていた、小父さんのお兄さんを
    障碍者扱いし、気味悪げに遠巻きにする権利も、誰にもない。

    ましてや、繊細なポーポー語を発明し、進化させ、キャンディーの包装紙を
    何枚も何枚も貼り合わせ、今にも飛び立ちそうな小鳥のブローチを作る兄を
    心から崇拝し、寄り添う小父さんを、手のかかる障碍者の兄を抱えて
    人並みに生きる喜びさえ味わえない気の毒な人、と見下す権利も。

    後世に残るような立派な業績を残さなくても、目に見える形で何かを残さなくても
    「僕たちの巣は安全だ」と、守りたいものをじっと抱きしめて
    外の世界の心ない人々に傷つけられても抗わず、慎み深く生きる小父さんや
    図書館のカウンターで、相応しい本が相応しいひとの手に渡り、
    心をこめて読まれることを何よりのよろこびとする司書さんのような人を
    きちんと認め、尊いと思えるひとになってくれたらなぁ、と思うのです。

    小鳥たちを愛し、繰り返す穏やかな毎日を慈しみ、
    偏見に満ちた人たちの仕打ちも静かに受け入れて一切反撃しなかった叔父さんが
    人間の欲望の餌食となったメジロたちのために決意した、最初で最後のレジスタンス。

    狭い鳥籠の蓋を次々に開け放して、閉じ込められたメジロたちを飛び立たせるたび
    小父さんの魂も少しずつ、お兄さんの待つ空に近づくようで
    この世でやり遂げるべき最後の仕事を無事に終え、横たわる小父さんに
    おつかれさま、と声をかけ、祈りを捧げたくなって。

    片田舎の小さな教会に飾られた宗教画のような
    つつましやかながらも神々しい物語でした。

  • ひっそりと生きる小さくて弱い命がただただ愛おしい。

    「小鳥の小父さん」の仕事はゲストハウスの管理人。
    その「仕事」が生きるために必要なのは疑う余地もない。
    ただ、お兄さんがいなくなった後、小鳥の小父さんを生かしていたのは鳥小屋の掃除ではなかっただろうか。
    道具を自分で揃え、給金も発生しない鳥小屋の世話は小鳥の小父さんの中では「仕事」とはまた違う行為のようだった。
    幼稚園の園児のためではなく、お兄さんと自分のために続けているそれは、「仕事」よりももっとずっと切実な何かだった。

    そしてそれは小鳥の小父さんと世界の接点だった。
    司書の女性も園児達も園長先生も「小鳥の小父さん」を見ていた。

    誰かのことを知ろうとする時、いったい何について知るべきなのか?
    小鳥の小父さんの生い立ちもこの本には書かれているけれど、全てを知らなければ小鳥の小父さんのことを知ったことにはならないのだろうか?
    そうだとしたら私は誰のこともきちんと知ることは出来ないのだ。こんなに悲しいことがあるだろうか。

    でもそうではないと信じたい。
    鳥小屋の世話をしている姿を見て、「小鳥の小父さん」と呼んだ子ども達やいつも感謝を示し続けた園長先生は小鳥の小父さんのことをきちんと知っていたと思う。
    小鳥の小父さんが図書館で借りる本が全て小鳥に関する本だと知っていた司書の女性も、小鳥の小父さんに歌を教わったメジロも。
    彼らが見ていたのが小鳥の小父さんの一面に過ぎなかったとしても、きっと小鳥の小父さんを「ことり」とは呼ばないから。

    誤解してしまうことはある。
    誤解されることもある。
    思い込みで見えなくなることも多い。
    それでも私は小鳥の小父さんやお兄さんに疑いの眼差しを向けたくはない。
    理不尽に追い出したくもない。
    全てを知ることは出来なくても、何を大切にしているのか、何がその人を生かしているのかをきちんと知ろうとしよう。
    私には意味が分からないポーポー語が優しい言葉だということを忘れずにいよう。絶対。

  •  あの大震災以来、日本中に「君は一人じゃない」だとか「勇気をもらった」だとか、判で押したような言葉があふれ、閉塞状況から逃れたいと深く念じつつも私は、そうした言葉に疲れ、非国民と罵られるのを恐れて、卑屈な愛想笑いに己を隠して沈黙の殻に閉じこもっています。
     ある日、新聞の書評欄(二〇一二年十二月十日付読売新聞)の見出しに「誰も踏み込めない孤独」とあるのが目に留まりました。確実に「孤独」が詰まっているらしい、小川洋子著『ことり』の存在を知ったのはその時でした。しばらくして今度は、新聞のコラム欄(同年十二月三十一日付読売新聞)に「人間が愛(いと)おしくて、人間が厭(いと)わしくて、異常な心持ちだったね、一年前は…」とあるのを読みました。この筆者は、震災直後の一年前の大晦日の心情を吐露しているように語っていましたが、一年前にそんなことはとても新聞に書けなかっただろうし、二年目の大晦日に同じ心情がさらに深まっていても、「今」とは書けず、「去年のことなんだけどもさぁ」と婉曲に、コラム流の逃げを打ちながら、「話しかけないで。触らないで。独りにして」と、孤独を告白していました。大新聞のコラムニストですら、後ろめたさを引きずりつつ、身の内にずしりと感じる「孤独」を書き留めておかずにはいられなかったのです。
     いま日本中にあふれている前向きで、建設的で、素敵な言葉の氾濫に、私は溺れそうになりながら、自らの存在の奥深くに巣食う孤独ともしかすると向き合えるかもしれないと、この小川洋子著『ことり』のページをめくりました。

  • 「小鳥の小父さん」と、ポーポー語を話す兄のお話。
    最初から最後まで感情移入出来にくかったけど
    切なくって、何度か涙がこぼれそうになりました。
    ただ切ないだけではなく、心の深部に語りかけるような物語でした。

    昔、小学校に同じような小鳥小屋がありました。
    それを思い出すだけで、なぜか、もう切なくって
    胸の奥に針がささったみたいにチリチリと痛んだ。
    その小屋のインコたちは怪我をしても、治療なんか
    してもらえなくって、骨折したままあしが変形していて…
    人が通るたびに小鳥たちは緊張していて…。
    小鳥の小父さんにお世話してもらった小鳥たちは幸せだったろうな…。

    その大事に世話して育てていた幼稚園の小鳥小屋が
    さびれていって、小鳥がいなくなっていく様が切なくって。

    私もうちで小鳥(セキセイインコ)を飼っているけど
    本の中でも説明されていたように、小鳥は自分の体調不良を
    悟られないように隠すんです。(飼い主にも隠す)
    じゃないと、渡り鳥なんて仲間に置き去りにされるから
    そういう習性があるんだって。

    寒い冬は小鳥専用にヒーターを入れてあげないと風邪引いちゃうし
    心配りがないと、小鳥の寿命はどんどん削れていってしまいます。

    この本、ポーポー語を話すお兄ちゃんは「小鳥」そのもの。
    小鳥の小父さんも、たぶん「小鳥」だったんだと。
    小鳥はお世話をしてくれる人がいないと、どんどん弱ってしまうから。
    きっとあのメジロもお兄ちゃんだったのかな…と思ったりしました。

    二羽できっと自由に大空の元で羽ばたいていることでしょう。

    本当にまだ誰も起きない園庭の片隅の鳥小屋
    静かな朝、ことりのさえずりしか聞こえない春の朝のイメージ。

  • 世の中のあれこれについて
    知らなければいけませんか?
    政治とか経済とか事件とか・・・・・

    職場と自宅の往復で大した出来事もなく毎日を過ごすこと
    それだけじゃいけませんか?

    他人の痛みについて自分のことのように感じなければいけないですか?

    ・・・・淡々と事実だけが語られるだけなのに
    些細な出来事ばかりが過ぎていくだけの文章なのに
    引き込まれていく。
    そして、気がつくと涙してしまっていた。

    私にとって、ずっと忘れない物語になりそうである。
    そんな物語はそんなにない。

  • その人の人生の幸福度や充実度はその人にしか判断できないものなのだろう。

    惹かれ合い、家庭を持ち、家族や友人に恵まれて一生を終えることを分かりやすい「幸せ」と呼ぶのであれば、小鳥の小父さんの一生は「不幸」だ。
    自分の殻に閉じこもり家族と関わろうとしない父、突然「ポーポー語」を喋り出し小鳥に異常な執着を見せる兄、けして子供を否定せず優しいが最後まで「ポーポー語」を理解できなかった母。ポーポー語の唯一の理解者として、いつも兄の傍らにいた彼は両親の死後もひっそりと兄に寄り添い続けた。

    無粋を承知で言うならお兄さんはきっとサヴァン症候群であろうし、他者との交流を避け鳥籠のような狭い世界に閉じこもり、ただ小鳥の世話に明け暮れる小鳥の小父さんも変わり者だろう。ポーポーや湿布薬を買いに青空薬局へ通い、図書館司書の女性に淡い想いを抱き、虫箱の老人に引き込まれ・・・出会いはあるものの、孤独なまま鳥籠を抱いて死んでいく。でも彼の人生を哀れむことはない。小鳥のように小さく脆く危うく、それでもしっかりとあたたかな時間がそこには流れていたし、彼はきっと幸せだったから。

    並行して読み進めていたのが村上由佳さんの「星々の舟」で、家族を扱ったという意味では同ジャンルなのだけれど、あちらが濃密な血の重さと危うさを感じさせるのに対し、こちらは淡々と穏やかなのに危うさを感じるような作品だった。

  • 日常と非日常の隙間にひっそり佇む、美しい文章で綴られた、
    静かな世界観が相変わらず心地いい。

    淡々と物語は進むのだけれど、そこには悲しみや寂しさや喜びが、
    しっかり詰まっている。

    毎日決まった手順で子供達の鳥小屋を綺麗に掃除する、
    小鳥の小父さん。
    ある日、小父さんはメジロの入った鳥籠を抱えたまま、
    穏やかな顔で亡くなった。

    そんな小父さんの小さな世界を、ポーポー語を話す兄、
    図書館の司書など様々な人との関わりの中で、
    静かに少しずつ知っていく。

    最後まで読み進めたところで、冒頭のシーンが印象的によみがえる。

    あぁ良かった。
    少し温かな気持ちで読了。

  • 小さくて、静かな、静かな世界。
    そこに聞こえるのは鳥のさえずり。
    そして鳥たちと心つたえ合う兄弟の話す独特な言葉。
    日々の生活に追われている人々には、
    決してきこえはしない。
    彼らにとって、自分達の言葉が、
    世間のほとんどの人々に伝わらないことは不幸なのか。
    自分だけの、自分しかわからない、
    世界を持つことって幸せなのか。
    私には答えが見つからない。

    ミチル商会の鳥籠。
    「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。
    小鳥に相応しい小さな自由を与えるための籠です。」
    その鳥籠の中にいるように、
    自分に相応しい小さな自由の中で生きた
    小父さんの一生。

    それは幸せなものだったのか。
    世間の尺度で測ったらそうではないと
    判断されてしまうかもしれないが、
    自分は幸せでもあったと思いたい。

    せつなくて、少しだけ残酷、
    しかし美しい大人の童話。

  • 小川洋子さんの描く世界が大好きです。
    本書も小川さんの小説らしい遠慮深さと慎ましさを存分に堪能できます。

    主人公は「小鳥の小父さん」と呼ばれている老人です。
    鳥籠をかかえた小鳥の小父さんの遺体が見つかったところから、物語は始まります。
    小鳥のさえずりのようなポーポー語を話す兄との生活、儀式のような幼稚園の鳥小屋掃除、図書館で芽生えた淡い想い・・・。
    この物語は小鳥の小父さんの生涯そのものなのです。

    読んでいる途中に思い出したのは、小川洋子さんと岡ノ谷一夫先生との対談が収録された『言葉の誕生を科学する』です。
    さえずり起源論などの興味深いお話が種となり、『ことり』で美しく開花したように感じました。

    ひっそりとひっそりと生きた命を、小川さんがそうっと掬い上げ、大切に大切に織り上げた。
    そんな祈りのような物語なのです。

  • 小鳥をこよなく愛し、鳥たちからも愛された兄弟。「ボーボー語」(←鳥と会話が出来るらしい)しか話せない兄との二人だけの暮らし、その兄が他界してからは、ゲストハウスの管理人の傍ら、幼稚園の鳥小屋の世話に勤しみ、あらゆる小鳥関係の書物を読むために図書館に通い、ほとんどの日常必要品を調達できる子供の頃からの一商店に通う。これが彼のテリトリー、生きている世界だった。
    「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さい自由を与えるための籠です」鳥かごの定義が、彼が愛読する本の中ででてくるのだが、思えば、小父さんの暮らしそのものを象徴しているかのようだと気づく。司書によせた淡い感情も、鈴虫の老人との交流も、入れ替わる園長先生や子供達も、皆、彼の前を横切っていくだけ。彼の生活は乱されることなく、ある秩序をもって密やかに繰り返されてきた。
    すくい取った「孤独の中の安らぎ」を見事に表現した作品だと思った。終盤、傷ついためじろのヒナを看病し、美しい鳴き声を奏でられるように小父さんが繰り返し鳴き声を教え導いていき、それが実っていったくだりは、濃密で、何とも言えない心地よさに包まれる箇所だった。
    小鳥とお兄さんと、小父さん。慎ましやかな静かな生涯を通して、自分らしく「生きる」ことの意味を考えさせられる作品。

全276件中 1 - 10件を表示

小川洋子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

ことりを本棚に「読み終わった」で登録しているひと

ことりの作品紹介

小川洋子、12年ぶり、待望の書き下ろし長編小説!

親や他人とは会話ができないけれど、小鳥のさえずりはよく理解する兄、
そして彼の言葉をただ一人世の中でわかるのは弟だけだ。
小鳥たちは兄弟の前で、競って歌を披露し、息継ぎを惜しむくらいに、一所懸命歌った。
兄はあらゆる医療的な試みにもかかわらず、人間の言葉を話せない。
青空薬局で棒つきキャンディーを買って、その包み紙で小鳥ブローチをつくって過ごす。
やがて両親は死に、兄は幼稚園の鳥小屋を見学しながら、そのさえずりを聴く。
弟は働きながら、夜はラジオに耳を傾ける。
静かで、温かな二人の生活が続いた。小さな、ひたむきな幸せ……。
そして時は過ぎゆき、兄は亡くなり、 弟は図書館司書との淡い恋、鈴虫を小箱に入れて持ち歩く老人、文鳥の耳飾りの少女と出会いながら、「小鳥の小父さん」になってゆく。
世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない会心作。

ことりの文庫

ツイートする