帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

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著者 : 朴裕河
  • 朝日新聞出版 (2014年11月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022511737

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘いの感想・レビュー・書評

  • 著者が丹念に調べられていると思った。この本が元慰安婦の名誉を傷つけているとは到底思えない。従軍慰安婦について知るには良い本かと思う。慰安婦を少女の像にしてまるであたかも未成年の女子がそうであったかの様に印象操作されそうで怖い。自分たちに都合の良いとこばかり取り上げている支援団体にゾットする。韓国政府が個人補償を断ったことを国民が知らないのも恐ろしい。甘い顔をしていると。同情なんかするとつけあがる。とっととウリナラファンタジーは止めてまともな検証を二国間で出来ないものかと考えてしまった。嘘を垂れ流されたら本当にたまらない。

    。。とカッカとしてしまったが。韓国の同じ国の女性が韓国の従軍慰安婦に話を聞いたのが良かったような気がする。やっぱりおじさん相手じゃ言いたくない。そして伝えきれない内容があると思う。そこら辺も描いていたところも印象に残った。

    従軍慰安婦とはなんぞや。と思っている人たちに是非読んで欲しいと思う。

    韓国に都合の悪いことが書いてあっただけで、特に日本に片寄った内容では無いので。

  • 凄い名著だ。これまで韓国側が書いたストーリーを鵜呑みにして日本軍を誤解していたとした言いようがない。この事実は加害者側の作ったストーリーに見えるために日本国内ではあまり大きく取り上げづらいが取り上げるべきだ。安倍首相が言う美しい国日本を取り戻すには歴史検証が欠かせない。
    1965年の日韓基本条約で3億ドルの無償援助に加えて円借款も含めて当時で5億ドルもの賠償金を支払っていながら、さらにその内訳に日本側では個人の賠償請求は別にしようとした配慮を退けて韓国側からそれらを含めて受け取っていたのである。それを経済発展のために使用したのは国家運営としては仕方ないだろう。しかしそれを国民に認知させず、反日を国家運営の一部に使ってしまったことに韓国の慰安婦問題から抜け出せない今の現状を招いたのだ。
    今となっては日韓共に歩み寄る事が非常に難しくなっており、朴槿恵大統領が引き摺り下ろされる今の現状では慰安婦問題を解決させられる親日派の韓国人が政権をとり、運営を行うのはほぼ不可能と言えるだろう。
    憎しみや恨みでは未来は作れない、寛容と融和の精神が最も大事だ。昨今のトランプ騒動を見てもそう感じる。
    アジア圏内ではフィリピンに次いでキリスト教が強いはずの韓国でそのような発想に至らないのは悲しい。

  • 慰安婦の歴史を様々な視点から考察する内容になっている。韓国の慰安婦問題として捉えるのではなく、日本人の慰安婦も含めて考えている。戦場では戦士と同じ祖国のためと考えて、兵隊の癒しをしてきたのに戦後兵隊にあるような法律による補償もない。今の慰安婦問題はそうした論点から大きく逸れている。

  • 歴史は創るものではない。ということを学びましょうよ。

  • 大日本帝国時代、各地に動員された軍人のために多くの慰安婦が必要とされた。
    そのうち、韓国籍の日本人として存在したのが後に言う韓国人慰安婦である。

    所謂韓国人慰安婦問題については、その問題を取り上げることによって自ら利益を得る得体のわからない団体、新聞社や弁護士とその支援者、逆にそれは存在しなかったと主張する人たちのいずれもが、結局そこで何が行われたのかわからいまま、ニュースの見出しのような断片的な情報だけを、自分たちの都合の良いように解釈し、すべてがそうであったように、断定的に言い募ることが多いような気がする。

    そして、過去の主張にや証明に過ちがあったことが、客観的に認められても、その過ちを認めることなく、従来の主張を繰り返すだけに止まっているように思われる。

    本書は、そのどちらの意見にも、偏った意見を持つことなく、そして、慰安婦についてのロビー活動を行う団体の意見だけを聴くだけではなく、自ら調査し、元慰安婦から、そして韓国籍日本人として戦争を戦った(慰安婦を必要とした側)軍人らの証言も聴取し戦場における慰安について、戦中日本国内にも存在した挺身隊についての考察などから、過去に主張されてきた意見のどこに誤りがあったと思われるか、具体例を挙げて示し、また、歴史的事実、さらには歴史の先にある、朝鮮戦争、ベトナム戦争での性の問題まで取り上げ考察している。
    繰り返すが、特定の意見に同調し、その意見を一方的に応援したりしているものではない。

    歴史として後世に伝えられるものは、勝者の記憶であり、決して事実を伝えるものだけではないというのはおそらく事実だと思う。
    特に、韓国では、おそらく隣国に強烈な危険を抱えているために、国民を対抗勢力としてまとめ上げ戦力とする必要から、政府が認めた正史のみを事実として認定し、たとえ真実であろうとも、政府が認められない歴史は、悪として抹消する傾向があるように思われる。
    だから、本書も、そこに政府見解と異なる証言や証拠があると指摘するだけで、発売禁止となり言論の自由が損なわれることになるのだと思う。

    夕刊紙の見出しだけ見て言い争いを続けるのではなく、お互いにあったこと、なかったこと。そして、植民地政策が行われていた時代におきたことなど、冷静に、必要に応じて(特定団体から資金援助をうけない)第三者の力を借りながら、話し合いの決着をつけていくしか
    ないのかもしれない。
    ともあれ、日韓両政府は、本件について最終的かつ不可逆的に合意しているようだ。
    あとは、当事者同士が相手のことをよく理解し、粛々と合意を実行していくステージに入っていると思う。

  • 従軍慰安婦と挺身隊の混同など、韓国で植民地化後に起きた女性を巡る状況を概観してくれる。
    支援団体が絞り込んだ姿を、当時の全体の状況の中に位置付けて見ることができる。

    慰安婦という制度は、兵士が占領地の女性に向かうことを嫌って発想されたらしいことが透けて見える。
    「日本人」の女性を戦地での「擬似家族」として従軍させた面があり、「日本」の中で貧しく弱い立場にあった植民地が犠牲になったと理解した。

    「支援団体」が、現在の「慰安婦像」を作り上げたが、その活動により、被害者がさらに傷付けられて行った過程が見え、暗澹たる気にさせられる。


    1973 千田夏光「従軍慰安婦 "声なき女" 八万人の告発」は、1964 毎日グラフ別冊「日本の戦歴」の写真選別作業で、兵と共に行軍する朝鮮人らしい女性、和服姿に日本髪で中国人から蔑みの目で見られている女性を発見したところから始まる。当時の慰安婦達のインタビューが入っている。

    軍に強制連行された人は少数で、多くは日本で稼げると業者に誘惑されて貧しい家を離れた女性が多数。
    日本国が、軍専用慰安婦を発想し、不法な募集の横行を知りながら募集を中止しなかった責任がある。
    「からゆきさん」は、近代初期から日本の少女を誘拐に近い形で業者が外国に売り渡して生じた。植民地に内地人を止める手段として、公娼制を必要とした。

    「娘子軍」と呼んで、兵隊と並立する女性の軍人と見立てた。国家の不条理な植民地人を犠牲にする策略だが、そこに「従軍」することが「日本人」たる植民地の女性の誇りとなっていた。

    貧しい植民地で、「金になる仕事」として警官を同道して未婚女性を徴募する業者があった。
    14 歳の子供を業者が集め、軍は返した。
    前線で、明日死ぬ可能性を考える兵を慰める立場としての誇りがあった。日本語で話せる相手。軍主催の運動会もあった。
    ところが後方では共同便所扱い。
    前線では、擬似家族として最期を見守る役割。形見を残す兵もあった。
    その記憶は、終戦後祖国で生きるために隠蔽する必要が生じた。
    収入は業者にピン撥ねされた。

    米軍に投降する時に、後ろから日本兵に殺された例があった。日本人としての扱い。

    「支援団体」が、現在の「慰安婦像」を作り上げた。
    「女性のためのアジア平和国民基金」が、謝罪と共に補償金を渡したが、それを妨害し、その事実を隠蔽する「支援団体」


    挺身隊は学校から募集されたのに対し、慰安婦は貧困層の無学か低学歴者出身者が基本。ただし、挺身隊から騙されて慰安婦とさせられた人もいる。
    挺身隊は、志願してなるものだった。

    慰安婦はそれでも「日本人」として扱われ、敵国占領地の女性は強姦の対象になった。

  • 慰安に使われたのは女性であり、男性が慰安をされないといけないような環境。そんなことがおきたのが先の戦争。悲しい現実をまず受け止めよう。今起きている議論に参加するのはそれからだ、と自分を戒める。

    議論の土台として、押さえておきたい書でした。ただ所謂否定論者には、挺体協批判や狭義の強制連行否定などをつまみ食いされて利用されそうな気がします。


    「兵士であれ将校であれ、慰安所に求めていたのは戦争という非日常を生きる中で、男・軍・国家に代表される戦闘待機空間では許されない、会話が可能な別の空間ーつかのまの<疑似日常的私的空間>だった」(P85-86)
    「一人の女性を圧倒的多数の男性が欲望の<手段>としたことは、同じ人間として、恥ずべきことではないだろうか」(P228)
    「善意や徹底性は、それ自体が目的化すると必ずしもよい結果を引き出さない」(P278)

  •  韓国の日本文学研究家が改めて語る慰安婦。

     確かにこの本に書かれているあたりが落とし所というか現実なのだと思う。慰安婦は強制だけではなかっただろうし、日本軍の関与も直接的だったり間接的だったりしたのだろう。 
     だが、この本は決して日本寄りではない。
     この本を読んでああと思ったのは、慰安婦というのは当時は日本人だったということだ。もちろんだからといって日本に罪がないわけではない。罪の性質が違うのだ。慰安婦は戦争の罪ではなく植民地の罪なのである。ここをしっかり踏まえることが日本は大事なのだと思う。

  • 従軍慰安婦問題が硬直している。強制か自発的か?売春婦か強制的に連れられてきた少女か?著者はそれらを問うことはあまり意味がないという。慰安婦として働いたあるいは働かざるを得なかった状況に注視する必要があるという。戦争という基で国家の手助けをさせられた状況を考察する必要があると断定する。従軍慰安婦の否定派も肯定派も話し合うという姿勢を持つことが大事だと私は思う。

  • 慰安婦問題で、初めてイデオロギーに走らない冷静な考察を読んだ気がする。日韓の間で、袋小路に陥った関係を打破するには、本書のような視線が必要なのだろう。しかし、本書はやや文章が固い。凍てついた日韓関係を溶かすには、もっとやさしいパンフレットで本書の内容を広めるべきと思えた。

  •  著者の意図は率直にいってよくわからないが、「強制性」の論点、「挺対協」批判、河野談話村山談話以外の選択肢を認めない点など、現在の読売産経の議論とかんぜんに土台を共有してしまっている。村山談話護持・アジア女性基金支持の線で社論を固めた現在の朝日新聞が飛びつきそうな内容であることは確か。それにしても、本書のアクティヴィズム・フォビアは徹底している。政治はまるで政治家以外には関与してはならないことのようだ。

  • 慰安婦の生の声を多く掲載し、植民地下での慰安婦がどういうものだったかを知ることができる。
    慰安婦を肯定すれば左翼、否定すれば右翼というレッテルを貼られがちだが、これは冷戦時代の枠組みで政治活動に利用しているため。慰安婦のためにできることを考えたい。

  •  
    ── 朴 裕河《帝国の慰安婦 ~ 植民地支配と記憶の闘い 20141107 朝日新聞出版》
    201308‥ 韓国版 20150217 発禁
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4022511737
     
    ♀朴 裕河 日本文学 1957‥‥ 韓国 /(パク・ユハ)世宗大学教授
    /早稲田大学文学研究科で博士号
     
    …… 朴 裕河教授 「慰安婦は日本軍に強制連行されていない。女衒
    (人身売買の仲介業者)が女性を誘い出して慰安婦にした」
    http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1425689518/
     
    (20150307)
     

  • 慰安婦を帝国主義における国家主義の犠牲者と位置づける。国家拡張に伴う軍と行動を共にして、愛国のなのもとに女性の性を徴用された存在。ただ朝鮮人慰安婦は、日本女性の代用品として兵士に性をささげた。被害者と同時に戦争遂行の為に兵士を支えた他国には加害者でもある。占領地の性奴隷が戦利品であり、朝鮮人慰安婦は軍需品であり、性格が異なる。

  • 韓国で今日事実上の発禁になったばかりの本。賛否の程は問わず、議論さえ出来ないというのはあまりにも不自然な話だ。最も、それを言える立場のないのは分かっているにだけれども。

  • 読むには気の重い本だと思いながら買ったが、読み始めると一気に最後まで読んでしまう、そんな迫力のある本である。慰安婦をめぐり、日本と韓国の間には、硬直した関係が続いている。韓国はこの問題を女性の人権の問題として国際社会に訴え、日本の一部の人たちは強制性はなかったとして、慰安婦問題自体をなかったかのように処理してしまおうとしている。ぼくは韓国の態度はやはりかたくなというか、本当に慰安婦のことを考えているのか、この問題を借りて日本たたきをしようとしているのではないかと思ってしまう。日本に謝罪を求める態度は、近頃はやりの土下座をさせずにはすまないという態度に通じるものがある。おそらく、謝罪は永遠に続くであろう。土下座は優越感を満足させるものでしかない。本書は、そんな両国間に横たわる硬直関係を、事実を提示することで、なんとか打破したいという気迫のこもる良著である。なにが問題か。残念なことだが、軍にとって慰安婦は必要不可欠なものであった。これはどこでもあることで、女性の人権という観点から言えば、米軍に対する韓国人慰安婦も、日中戦争期の米軍に対する中国人慰安婦もそこに入る。しかし、韓国が日本を非難するときに持ち出すのは、年端もいかぬ少女たちをむりやり連れて行って性奴隷にしたという点である。軍が慰安婦を必要としたことは事実であるし、軍の管理のもとにおかれていたのも事実だ。(慰安婦を連れて戦地を行軍もしている)しかし、少女たちを無理矢理連れていったり、暴力をふるったのはむしろその仲介をした朝鮮人業者たちではなかったかとパク・ユハさんは言う。彼らが貧しい親たちに甘言で少女たちを連れていったという方が事実らしい。もし、強制というものがあれば、その業者たちこそ非難されるべきであり、それは過去の朝鮮人みずからに批判を向けることでもあるが、慰安婦問題ではそこがすっぽり抜けていたという。もちろん、元を正せば、それは朝鮮を植民地にした日本帝国そのものの責任ではある。本書が「帝国の慰安婦」と称するゆえんだ。つまり、日本帝国の植民地であるがゆえの貧困、皇民意識等々が韓国の女たちを慰安婦にさせたと言えるのである。だから、一番悪いのは帝国であるが、そこにいた女たちの親、業者の朝鮮人たちに非がなかったかというとそうでない。そのことに対する反省なくして日本だけを責めることができるかというわけである。逆に、この問題を女性の人権問題だけに限ってしまうと、朝鮮での特殊性が消し去られてしまうのである。たとえば、韓国は中国と手を組んで日本を批判しようとするが、中国で日本軍が中国人を強姦したり、無理矢理慰安婦にしたのは犯罪行為である。オランダ人慰安婦の場合もそうだ。質が違う。20万という数も挺身隊の数としては合うが、挺身隊に行かされた(あるいは自ら行った)少女たちがすべて慰安婦になったわけではない。しかも、慰安婦になったものは、そのほとんどが20歳を越えており、15歳などという年齢にあるものはごく例外だという。日本大使館やアメリカにおかれた慰安婦像は身なりのいい女子学生であるが、そういう子たちは挺身隊へ行き、ときに慰安婦にさせられることはあっても、最初から慰安婦として連れていかれたのではない。最初から慰安婦としてだまされ連れていかれたのはもっと貧乏な子たちであった。したがって、こうした特殊なケースを従軍慰安婦の典型とし、日本を批判し、世界に訴えていくことは、時に兵隊たちとともに戦おうとした慰安婦や、兵隊たちを愛した慰安婦たちの存在を忘れ、彼女たちを政治的に利用するものでしかない。朝鮮における慰安婦の特殊性はまさに日本帝国とその植民地という構造が生み出したものであり、日本人はもちろん、朝鮮人もそのことを直視せず、その構造を抜きに慰安婦問題を論じることはできない、パク・ユハさんはそう訴える。日韓条約締... 続きを読む

  • 2014.朝日新聞にて。

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