「自分の木」の下で

制作 : 大江健三郎 
  • 朝日新聞出版
3.56
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本棚登録 : 379
感想 : 52
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  • Amazon.co.jp ・本
  • / ISBN・EAN: 9784022576392

作品紹介・あらすじ

なぜ子供は学校に行かなくてはいけない?素朴な疑問に、ノーベル賞作家はやさしく、深く、思い出もこめて答える。子供から大人までにおくる16のメッセージ。心の底にとどまる感動のエッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 青少年に贈る大江健三郎のことば。若いときに読んだら感銘を受けたと思う。生きる方向が示されている。▼『国語だけじゃなく、理科も算数も、体操も音楽も、自分をしっかりと理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。▼「そのいま、はっきりわかることはですね、なにより大人と子供は続いている、つながっている、ということなんです」。「さらに、自分の生きてきたやり方がまちがっていた、と考えることになったら、そこで死んでしまったりしないで、生き方をやり直すことができる。それも自分の新しいつながりを発見することだと思います」。「そしてこれは、未来についていうと、皆さんが大人になった時の自分と、今のあなたの中にある『人間』が続いている、ということです。どうか皆さん、今の自分のなかの『人間』を大切にしてください」。▼生きるための──生き延びるための──選択は、結局ひとりでやるほかありません。▼子供が取り返しのつかないことをする、とはどういうことか。殺人と自殺です。▼(最後)きみはアイルランドの詩人イェーツの言葉でいうと「自立した人間」だ。大人になっても。この木のように、また、いまのきみのように、まっすぐ立って生きるように!幸運を祈る。さようなら、いつかまた、どこかで!』

  • ノーベル賞作家が、小学校高学年から高校生に向けて書いた16のエッセイ。筆者の子ども時代の思い出や、ご家族との日々のエピソードや思いが、平易な言葉で述べられています。その中の心に残った5つをまとめました。

    「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」
    筆者は今までに2度その事を考えたそうです。
    一度目は終戦後。学校に行かなくなり、代わりに図鑑を持ち込んで通っていた森で、雨に打たれ、瀕死の状態になったことがあるそうです。回復した筆者は、自分たちは大人になれずに死んでしまった子ども達のかわりに生きている、その子達が見たり、聞いたり、読んだり、体験したりしたことを話してもらい、その言葉をしっかり自分のものにするために学校に来ている、と感じたそうです。国語だけでなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子どもの言葉を受け継ぐために必要で、それは学校でみんなで一緒に勉強したり遊んだりしないと得られないものなのだ、と快復して静かな喜びと共に学校に行くようになった時、子どもであった筆者ははっきり理解できたそうなのです。
    二度目は、筆者の知的障害のある息子さんが小学校に入った時。最初は田舎で家族のんびり幸せに暮らすことも考えたそうですが、現在息子さんが社会とつながる手段に音楽があり、それは家庭の生活で芽生えたものではありますが、学校に行ったからこそ確実になったものだそうです。息子さんにとっての音楽がそうであったように、国語だけでなく、理科も算数も体操も外国語も、自分をしっかり理解し、他の人とつながって行くために大切な言葉です。そのことを習うために、いつの世の中でも、子どもは学校へ行くのだ、と筆者は述べています。

    「私の勉強のやり方」
    読んでもよく理解できない本を記録しておき、後日読むと思っていたとおり良い本だと確かめることのできることがあります。本と自分のジャストミートは、そのための準備の読書、そしてそこまで生きてくる上での経験がそれを作り出してくれると、筆者は述べています。
    子供の時から老人になるまで、自分の中の「人間」は続いています。子供の時に始める自分のための勉強は、切れ目なしに一生続けることができるし、間違っていたと考えることになったら、その時は生き方をやり直すことができます。それも、自分の新しいつながりを発見することになる、と伝えています。

    「本を読む木の家」
    読んだ方がいいのになかなか続けて読めないとき、筆者は畑の傍らの木の又に板を敷いた「家」にこもり、本を読んだそうです。今ではその代わりが電車で、日ごろは読みにくい本を鞄に入れておくそうで、通学生にも進めています。
    「考える」ということは「言葉で」考えることであり、「しなやかに」取り組むことも大切だと述べています。

    「取り返しのつかないことは(子供には)ない」
    子供にとって、もう取り返しがつかない、ということはありません。いつも、なんとか取り返すことができるのが、人間の世界の「原則」であり、子供自身がこれを尊重しなくてはなりません。ただ、殺人と自殺は例外です。筆者はそう語りかけています。

    「『ある時間、待ってみてください』」
    子供に取り返しのつかないことはありませんが、どうしても苦しく辛いときには、「ある時間、待ってみる力」を持つことが本当に大切です。
    大人になっても、子供の時に持っていたものを持ち続けることになります。勉強したり、経験を積んだりして、それを伸ばしてゆくだけです。子供の時の背後の過去の人たちと、大人になってからの前方の未来の人たちとをつなぐことになるのです。筆者は子供の自殺に胸を痛め、そうエールを送っています。

    先に読んでしまった「『新しい人』の方へ」の前に書かれた一冊。どのように学び続け、どのように考えを深めながら生きていくべきか、ということを改めて考えさせてくれる本でした。

  • 大江健三郎氏の17個のエッセイが収められている。挿絵には、奥様の大江ゆかりさんの作品が使われており、表紙は、その大江ゆかりさんが描いた大江光くんのデッサンだ。

    挿絵はカラーで鮮やかであり、それぞれのエッセイの内容にあわせて描かれたものであると思う。とても優しさを感じる絵だ。

    この表紙の絵は、本書の一番最初のエッセイである「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」の中で使われている挿絵。この章で、大江健三郎氏は、知的障害児として生まれてきた光くんのことを紹介しながら、このテーマについて語っている。

    子どもの頃の著者は、敗戦直後の日本の様相を子どもながらに察知しながら、一瞬学校に行く意味はないと感じる。また、障害をもって生まれてきた光くんには、学校に行かせるよりも、大好きな鳥の声を聞きながら森で過ごさせてやるほうが良いのではないかと感じる。

    しかし、結論として「学校というところを通して、人と人がつながることができる」ということをそのテーマの答えとした。

    本書のタイトルである「自分の木」とは何か?
    「自分の木」とは、自分の魂が宿る木であり、その木の下で、子どもの自分が年を取った自分に出会ったり、または逆に年を取った自分が、子どもの頃の自分に会うことができるという、そういう世界を表しているようだ。

    魂の連続とか、魂の継承とか、そういうことを著者はここで語りたかったのではと感じた。

    これらのエッセイの対象は子供たちのようだ。年を取ったという自覚のある著者が、「若い読者たちに、魂を受け継ぎたい」と、そういう心で書かれているように思う。

    どのエッセイにも著者のメッセージを感じるが、個人的には「取り返しのつかないことは(子供には)ない」と「ある時間、待ってみてください」の二つのエッセイにインパクトを感じた。

    特に、「ある時間・・・」には、数学の話が出て来るが、その数学の計算式を解く過程を人生に例えており、人生の難題を解く場合には、数式を解く手法を応用できるという。

    じっくり読むほど、著者のメッセージが強く伝わってくるように感じました。

  • 河合隼雄著作に本書が紹介されていた。
    取り返しのつかないのとなんて、ない、ということ。待つ時間をもつこと。忘れてはいけないと思った。

  • 「大切な問題は、苦しくてもじっと考えてゆくほかありません。[...]たとえ、問題がすっかり解決しなかったとしても、じっと考える時間を持ったということは、後で思い出すたびに意味があったことわかります。」(7ページ)

    幼少期かた、さまざまなことを見て、読んで、考える。そんな習慣を身につけて作者。

    ささやかなに思える自然の現象や言い伝えから、複雑な古典や社会問題までの幅広い分野について考えて、悟った想いを書き留めた本。

  • 子どもに向けて書かれたという本。
    一度読んだだけでは汲み取りきれない部分もあったが、優しい空気に包まれるような文面だった。
    大江先生のお母さまは凄い人だと思った。
    また読み直したいと思う作品でした

  • 子供達に向けて書かれたもので、優しく語りかけるように文章が綴られている。大江少年の頃の話が多く登場して、優しいタッチの可愛い挿絵は奥様が描いていて、心が温かくなる。大江氏が大事に思っていること、後世を担う子供達へ伝えたいことを、知ることができ、大人にも十分読みごたえがある。

  • あの時代に大江さんのお父様が「シンガポールのゴムマリ」の話にあるような視点を持ってらっしゃったことは流石だと思った。

  • 2023.06.30

  • 子供向けに書くことを想定していたそうだが、各話にバラつきがあって却って面白くもあった。共感できるところはあまりないものの、自己表現能力の高さは流石だなと思わずにいられない。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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