アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022592514

感想・レビュー・書評

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  • アウシュヴィッツは終わらない/プリーモ・レーヴィ 読
    無駄に叙情的なところがなく大変読みやすかった。
    著者自身が体験したものだけを記録して、戦後、メディア等で知ったことは一切交えなかったという。
    これは著者と同じ化学者である小松真一が戦地で書いた「虜人日記」と同じだ。

    私はアウシュビッツがポーランドにあることも、ヨーロッパ中いろんな国の人々が収容されていることも知らなかった。
    被収容者同士でお互いの言葉がわからなかったり、看守からドイツ語で何か言われても意味がわからなかったりする。

    収容所内はすさまじい物不足で常に盗まれないよう注意しなくてはならず、人種や能力によって経済格差ができてしまうなど興味が尽きない。
    中でも最終章の「10日間の物語」が興味深い。ロシア軍がすぐそこまで迫ってる中、1945年1月11日に著者は猩紅熱にかかり伝染病室に収容される。

    ドイツ人が姿を消しタガが外れた収容所で1月18日、体が動く2万人の収容者が逃避行に出発し病人800人が残ったという。
    彼のイタリア人の親友や、同室のハンガリー人の少年二人(この少年達は破れた靴を履いていたため、著者が狂気の沙汰だと説得したが聞かなかった)なども
    出発したがその殆どが死ぬ。

    1月27日、同室の1名がロシア軍の到着直前に息絶え、著者と同室のフランス人で外に亡骸を運び出しているところにロシア軍が到着する。
    そして帰郷後、同室の生き残った二人のフランス人と連絡を取り合ってるという話で本は終わる。

    病気じゃなかったら著者も出発していただろうが、なぜ皆ロシア軍の到着を待たなかったのかが不思議だった。
    しかし同室の生き残った10人の内5人までが、ロシア軍が立てた仮設病院で亡くなっている。

    またこれは今読み始めてる次作の「休戦」の最初に書いてあったが、残った病人800人のうち500人までがロシア軍到着前に病気と飢えと寒さで死に、
    そして200人が治療を受けたにもかかわらず到着直後に死んだという。

    それほどまでに収容所内は切迫していたということか。
    なぜ今まで読んでなかったのか不思議なくらいで、座右に置くべき書だった。(了)

  • アウシュビッツには行ったことがあります。「最終的解決」されていった人々の義足や眼鏡の山は痛ましいものではありましたが、思ったほど心に迫らなかったことも告白します。著者のレーヴィが戦後アウシュビッツを訪れた時に「だがそれは博物館だった」と述べているのを読んで、得心がいったところもありますが、本書を読んで、それ以前にアウシュビッツの事実に関する知識があまりにもないことにも由来していたのだと思います。人間が尊厳を奪われる、と文字で書くことは容易いですが、実際にそれはどのように行われ、どのような結果を生むのかを、本書は読者に知らしめてくれます。家畜と同じように焼印を入れられ、番号で管理され、すべての所持品を奪われ、人間関係を奪われた状態では、それまで常識と信じていたものは何も役に立たないという事実を。

  • 私たちは寒さと渇きに苦しめられた。停車するたびに大声で、水をくれと叫んだり、せめて雪を一握りだけでも、と頼んだが、ほとんど聞き入れてもらえなかった。おまけに護送隊の兵士は列車に近寄ろうとする者を追っ払っていた。乳飲み子を抱えていた2人の若い母親は、昼も夜も水を求めて呻いていた。ところが飢えや疲れや寝不足は、さほど苦にならなかった。神経が高ぶっていたので、辛さが減っていたのだ。だがよるには絶え間なく、悪夢に責め立てられた。立派な態度で死を迎えられる人はわずかだ。それもしばしば予想もつかなかった人がそうだったりする。同じように沈黙を守り、他人の沈黙が尊重できる人もわずかだ。だから、私たちの寝苦しい眠りは、つまらないことで起きた騒々しい喧嘩や、罵り声にしばしば破られることになった。また互いに体が触れてしまうのが不愉快なので、突き放そうとやみくもに拳をふるったり、足で蹴ったりして、皿鉢になることもあった。

  • 「狂信的国家主義と理性の放棄から始まった道がどれだけ危険か」
    「理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目を向ける必要がある。」
    「近道をしようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で満足すべきなのだ。」

    従順な者ほど死に近づくという、アウシュヴィッツでの常識は、ファシズム・ナチズムの危うさを逆説的に示している気がする。ヒットラーの独裁に従順な者が招いた、人間の死であると思う。

  • 自分自身の運命を知ることは不可能だ。だからもし理性的に考えるなら私たちは諦めてこうした自明の事実に身を委ねるべきだろう。だが自分自身の運命が危険にさらされているとき冷静になれる人はとても少ない。必ずや両極端の立場を取りたがる。悲観論じゃと楽観論者というこの二つの種族はさほどはっきりしているわけではない。大多数が物事を簡単に忘れ、話の相手や状況に応じて二つの極端な立場の間を揺れ動くからだ。

    確実に死に近づいている中で一つだけ能力は残されている。同意を拒否する能力。

    外国で、他人の手で作り上げられた思想体系を全て鵜呑みにすることほど無駄なことはない。

    全く絶望的な状態にあっても殻を分泌し、周囲に薄い防御枠を巡らして巣を作り上げる人間の能力は目を見張るものがある。

    人生を真剣に考えようってときに彼らユダヤ人の記述はいつも響く。

  • 怒涛のレーヴィ第二弾。
    おととい読み終わった。が、本当の意味でこの物語を読み終わることはないのだろう。

  • アウシュビッツ強制収容所から生還したイタリア系ユダヤ人である著者が、自身の収容所での生活と解放されるまでをつづったもの。その記すところは、怒りに任せてナチスを断罪したり、単純に戦争を批判したり、自身や民族の不幸をことさらに嘆いたり、といったことなく、自らが経験し、観察したものをその範囲において記している。そういった記述により強制収容所で、内側から見て何が起きていたのか、またその特異な状況で人がどのように行動するのかを通して、多くのことが語られている。

    著者が強制収容所に着いた当初、殺された仲間が焼かれ、自らもそこに行くことになるかもしれない収容所内の焼却所の存在について考えを停止してか、そのことを拒否しようとどこか認めようとしないところもあった。それでも直ぐに、古参の収容者と同じようにそれを当然のものと感じるようになる。

    閉塞的なシステムの中にいて、まわりで多くの人が次々と死んでいく中で、ここから出られるという希望が現実的なものでなくなると、明日以降の未来について考えることができなくなったという。徹底的な絶望の中では、判断がごく短期的になり、またちょっとしたことに期待や破滅の兆候を見ることになるという。たとえばシャツの配給が遅れたとき、それは戦線が迫ってきているためであり、解放が近いのではないか、などと想像することになったという。

    強制収容所の中では、良い人と悪い人などの区別は明確でなくなるが、少なくとも溺れるものと助かるものの区別は明確になるという。その過酷な環境においては、適者生存の原則がよりあてはまるのだ。小さな囚人番号を持つもの、つまり古株の囚人、で生き残ったものは、たいてい普通の仕事をしていたものではないという。医師などの特別な仕事に就いたものか、囚人長やカポ(労働監視員、収容所監視員)となるか、よほど狡猾に立ち回ったもののみだと。だからといって、収容所の中でのそのような行動を非難することを外部のものはできない。十分なほど残忍にならなかったら、別のものがその立場につくことになるだけだった。「それに加えて、抑圧者のもとでは捌け口のなかった彼自身の憎悪が、不条理にも、被抑圧者に向けられることになる。そして上から受けた侮辱を下のものに吐き出す時、快感をおぼえるのだ」という。そうした中で生き残ったものは、その後他でもなく自分が生き残ったという事実について罪悪を感じることになるのだ。あるテレビのドキュメンタリーでも、楽団に選任されたことで生き残ったユダヤ人がそのことに罪を感じて生きてきたと語っていた。

    著者が生き残ることができたのも、化学の知識を買われて化学工場の研究所に選抜されたからだ。著者は、最後の冬をそのおかげで乗り切ることができた。さらに、最後にソ連軍の進行を受けて収容所の撤収をしたときに、たまたま伝染病にかかっていたことで病棟に残されたことが結果として助かる原因となった(撤収のための列車に乗ったものたちの多くはその移送中に亡くなったという)。その経験は著者にどのような影響を与えたのだろうか。

    「わたしたちの存在の一部はまわりにいる人間の心の中にある。だから自分が物とみなされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ」

    『この世界の片隅に』の映画化で有名になったこうの史代が、その前に原爆について描いた名作コミック『夕凪の街 桜の国』で主人公がつぶやいた次の一節を思い出した。

    「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。
    思われたのに生き延びているということ。
    そしていちばん怖いのはあれ以来本当にそう思われても仕方がない人間に自分がなってしまったことに自分で時々気づいてしまうことだ。」

    信じられないことが、つい70年前に起こっていた。それは実際に起きたことであり、何が実際に起きていたかを知らずに、そのことを軽々しく批判することはできないようなものだ。それは、一人の特異な犯罪者がなしたことではなく、人間が作ったシステムの中で起きたことなのだから。原題の直訳は『これが人間か』だという。邦題の方が営業面では優れていると思うが、原題に込められた思いは汲まれるべきであろう。フランクルの『夜と霧』とともに、今でも読まれるべき本だと思う。

    (※新版では原題通り『これが人間か』に改められた)

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    『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4575297445

  • 27歳の青年が著した手記である。彼はアウシュヴィッツを生き延びた。そして67歳で自殺した(事故説もあり)。遺著となった『溺れるものと救われるもの』を私は二度読もうとしたが挫折した。行間に立ちこめる死の匂いに耐えられないためだ。
    http://sessendo.blogspot.jp/2014/05/blog-post_5124.html

  • イタリア系ユダヤ人著者によるアウシュビッツ体験談。誇張することなくありのままに語る。驚くべきは収容者の中でも優劣を競い格差が生じること。自己保身の為ならどんな状況でも人を虐げることを厭わない。ヒトラーはその人間の本能を巧みに操った。私は自分の弱さを知っている。たぶん誰もがその人間の本能に気付いている。付け入る隙を与えない為には常に自戒すること、人間の負の歴史を知ること、そして忘れぬこと。この書は人間のプライドを失わぬ為に永遠に読み継がれるべき指南書だ。「これが人間か」。これが人間なんだ。だからこそ戒めろ。

  • 強制収容所を生き延びたイタリア系ユダヤ人の手記。
    「歴史上の事実」として収容所を学んだことはあったけれど、その地獄の底辺の中に生きた人々の想いに触れたことは少なかったため、新たな気付きが多くあった!
    手記ということで多角的な検証が為された内容ではないが、収容所生活の細かな規則やリアルな現状が垣間見える点で十分に読み応えあり。

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著者プロフィール

1919年、イタリア・トリーノ生まれ。トリーノ大学で化学を専攻。43年イタリアがドイツ軍に占領された際、レジスタンス活動に参加。同年12月に捕えられ、アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。生還後、化学工場に勤めながら作家活動を行い、イタリア文学を代表する作家となる。その円熟の極みに達した87年、投身自殺を遂げた。

「2017年 『周期律 新装版 元素追想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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