まぼろしの郊外: 成熟社会を生きる若者たちの行方 (朝日文庫 み 16-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022612908

作品紹介・あらすじ

過渡的近代を支えた「バラ色の郊外家族」という夢="郊外幻想"は、社会の成熟とともに崩壊した。今必要なのは、それに代わる新しいシステムの構築である。テレクラ、インターネット、オウム真理教、酒鬼薔薇聖斗などを題材に変革の指針を明らかにする、1990年代の中核的な評論集。

感想・レビュー・書評

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  • 20000408

  • 面白かった
    なんかの著作の上野千鶴子の解説で
    たしかになー
    と思って離れてたが
    やっぱり宮台は追うべきだと思った

  • 2000年(初出1995~1997年)刊行。オウム・酒鬼薔薇聖斗事件等、失われた20年の前半期を素描するには、まあ有益か。本書に書かれる内容は確かに過去事象に属する部分も多いが、パッチワーク化した社会、空間を超越しつつ、一方で人格を隠蔽したコミュニケーション手段が拡大していく傾向、あらゆる属性が記号化され、何らかの意味が付されていく。こういう面は現代にも繋がる面を持ち、現代社会分析の前座としての社会評論として読めばよいのでは…。

  • 郊外という時代の終わりなど、1996~2000年ごろの視点から社会の構造やそこにあるを読み解いていくさまが面白かった。
    携帯電話の出現やそれに伴う空間の変化、若者(特に女子高生)の反応の差異が見て取れた。現代にも通じるものがある。

    n対n社会による社会の不透明化、倫理と道徳の違い、伝統的な価値観への回帰の必要性。
    強度を手にするには自分やみんなの内面、深いところへと立ち返らなければならない価値観が暗に示されているような気もした。そうだとしたら自分も同意見である。

    隈研吾がちょっと若い!

  • 社会の変化に敏感な現代の若者たち(女子高校生)の表と裏を知ることで、現代における住宅の役割や近代の学校教育制度についてまで考えさせられた本。固定観念に縛られている人におすすめ。

  • 【本の内容】
    過渡的近代を支えた「バラ色の郊外家族」という夢=“郊外幻想”は、社会の成熟とともに崩壊した。
    今必要なのは、それに代わる新しいシステムの構築である。
    テレクラ、インターネット、オウム真理教、酒鬼薔薇聖斗などを題材に変革の指針を明らかにする、1990年代の中核的な評論集。

    [ 目次 ]
    1 テレクラ少女たちの行方(社会学的フィールドワークの目的;青森のテレクラ少女たち;テレクラの民俗誌;東京都淫行条例とテレクラ規制への疑問 ほか)
    2 現代の諸像(インターネット時代の暗黒面;いまどきの恋文;成熟社会の差別論;「良心」の犯罪者 ほか)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 戦後の日本が邁進してきた成長の道は、「バラ色の郊外家族」という夢が人びとに分け持たれてきたことに基づいています。しかし、社会の成熟によってこうした「郊外幻想」は崩壊し、社会の行く末について明確なヴィジョンを抱くことのできない時代に入ったと著者は考えます。本書は、とくにブルセラ女子高生に対して著者がおこなったフィールド・ワークの結果を示しながら、こうした時代を生きていくための方法を模索する試みです。

    90年代という時代の刻印が深く記されたエッセイだという印象を受けました。その後、不況の長期化や労働の自由化が進み、また東日本大震災以降は社会の価値観にも変化が生じましたが、本書で論じられているような問題は形を変えて今も受け継がれているようにも感じます。

  • あとがきの音楽史を社会学的な視点で批評していく箇所が一番面白い。

  • 偶発性が過剰に高まった現代社会においては一部がもはや特殊ではなくなっている。社会的適応を免除するnXnメディアは益々発達し、倫理なき社会で道徳も失われ、何が起きてもオカシクはない。「信じられない事件が起きる」って感覚は単に実存を脅かされた人々が非自明的な幻想に固執している故に生じるものなのかもしれない。日々起こる事件に驚く自分がオカシイのかも?という相対化・客観化の難しさを再認識させられた。
    が、一方でロマンと非難されるのかもしれないが、日本にはそれなりの歴史とか伝統とか文化とか、それらに基づく精神性があるってのも否定はできないわけで、なんらかの最大公約数的な共通理解や価値観があるのでは?と思うのは幻想なんだろうか?という疑問もある。たとえ「自己決定能力」習得の結果、10代で売春しまくったとしても、その後本人が正常に生きられるとは思えないのだが。(ここで「正常とは何か?」と問いだしたらキリがないのだが)
    一番面白かったのは青森かな。弘前との比較とか。(ちょうど太宰の小説「津軽」を足跡を訪ねて去年旅したので)。が、もはや五所川原ですら16号線化しており、ファスト風土化の進展は凄まじいなと。但し、ハードとソフトで変化が比例するわけではないだろうし、この辺の区別というか仕分けが郊外論の課題かな?って気はする。

  • 「まぼろしの郊外」2

    著者 宮台真司
    出版 朝日文庫

    p260より引用
    “第一は、犯人の年齢は最低でも十九歳だと断言していた精神科
    医や、酒鬼薔薇の始めたゲームにウマウマと乗っかった心理学者
    や犯罪学者の滑稽さ加減。こういう連中がいる限り「愉快犯」は
    やめられないだろう。”

     社会学者である著者による、二十世紀末の日本の一部を分析し
    解説した一冊。
     1996年当時のテレクラを取り巻く様相から酒鬼薔薇事件につい
    てまで、深い洞察と分析によって欠かれています。

     上記の引用は、酒鬼薔薇事件について書かれた章の一文。
    本当は何もわかっていなくても、いい加減な事を真面目な顔で言
    うことで学者をしていられる、結構な御身分だなぁと思いました。
    そう思うと、著者はかなりまともな方なのかも知れません。
     この著書によれば、郊外の住宅地の諸問題がこの様な事件とし
    て浮かび上がってきているように書かれているように思いました。
    今でも新興の住宅地が開発されていたりするのは、この様な問題
    について全く無視しているからなのでしょうか。難しいところで
    す。

    ーーーーー

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著者プロフィール

宮台真司:1959年宮城県生まれ。社会学者、映画評論家。東京都立大学教授。1993年からブルセラ、援助交際、オウム真理教などを論じる。著書に『まちづくりの哲学』(共著、2016年、ミネルヴァ書房)、『制服少女たちの選択』(1994年、講談社)、『終わりなき日常を生きろ』(1996年、筑摩書房)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年、幻冬舎)など。インターネット放送局ビデオニュース・ドットコムでは、神保哲生とともに「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務めている。

「2024年 『ルポ 日本異界地図』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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