外国交際 遠い崖5 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-5)
- 朝日新聞社 (2007年12月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022615473
作品紹介・あらすじ
幕末の政局が大政奉還か武力倒幕かの決着をめざして急速に動きだしていた時期、サトウは情報収集をかねて、大坂から江戸まで、東海道の旅に出た。サトウの眼に映った庶民の姿は?一方、パリでは万国博覧会への参加をめぐって、幕府と薩摩が熾烈な外交戦を繰りひろげる。
感想・レビュー・書評
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将軍慶喜と薩摩藩他とも交流をもつアーネスト・サトウ、時代の息吹が感じられて非常に面白い!次はいよいよ「大政奉還」
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パークスが慶喜を評価する中、西郷は英を「仏人のつかわれもの」とサトウに酷評。事実、兵庫開港で仏が貿易独占する動きがあった。サトウの協力申出に、西郷は「日本の革命は我々自身の手でするから」とサトウに言質を与えず。サトウは操られていた。
パークスの敦賀行で幕府寄りの公家4名が職を追われる。京の近くを外国人が通ることの責を問われた。その敦賀行きを事前に勧めたのが薩摩?。新政府が直ぐに京で外国公使の天皇謁見を設けたことを考えると、当時の薩摩(大久保)の政治力は凄まじい。
サトウは、「ひとだび兵庫が開港されてしまえば、大名達にとって、革命の機会は失われてしまう」と西郷に説いた。幕末の政治情勢の把握において、サトウを有するパークスの、サトウを欠いたロッシュに対する優位は明らかであった。
1867年3月頃の慶喜の外国公使謁見は慶喜の勝利・成功だった。英公使パークスも、慶喜の態度に感銘を受けるが、他国が慶喜を「陛下」としたにもかかわらず、唯一、パークスは「殿下」を使った。サトウの「英国策論」が貫かれている。 -
2008.1.19