離日 遠い崖14 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-14)

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著者 : 萩原延壽
  • 朝日新聞出版 (2008年4月4日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022615565

離日 遠い崖14 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-14)の感想・レビュー・書評

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  • “外交官” としての姿より、高い教養と強い好奇心を持った積極果敢な “文人” としてのアーネスト・サトウが強く印象に残った。

  • ・「遠い崖」の最終巻。先ずは幕末維新の大作を読み終えた満足感に浸る。外交文書、私書等を丁寧に追い、アーネスト・サトウという日本通外交官を通して、当時の日本を第三者的な側面から知ることができ、実際、様々な発見を得た。まさに幕末維新の文庫本としては「天皇の世紀」(大佛次郎)と双璧だと思う。
    ・10代の頃から、サトウの個人的な歴史を辿ってきたわけで、彼の人間としての魅力にも触発された。たゆまない知識欲、日本語は勿論のこと、朝鮮語もマスターする(ヨーロッパ言語は殆どマスターしている)、弁護士資格も取る。その他、音楽、文学、生物学など広範囲な知識力が外交官として彼を一流とさせた所以だろう。
    ・彼は日本紀行記も編纂するが、本業の外交官の傍ら日本各地を周る。これも仕事の一環なのか?外交官としてのミッションとして位置づけられているのであれば、英国外務省の懐の深さに感嘆するしかない。
    ・彼は、パークスと相容れないが、それは自らが日本公使の目線で外交をみていた故。全14巻の内、やはり幕末時代の巻が興味深い。サトウは早くより英国を薩摩側に導き、世論までも動かしてきた。ただ、明治に入ってからは、日本の精神としての独立性、自立性を認め、その点でパークスと大きく見解を異にしていた。明治以降の巻では文化人としての活躍に紙面の多くを割いている。
    ・以下にサトウが清国との違いを以って日本を的確に表現している箇所がある。サトウは日本の歴史、国学等にも通じており、当時の彼の見解には自ずと重みがある。彼は日本の強みを表現しており、その強みが、昨今、失われてきていないか。
    「地理上の位置という点では清国と日本を同一の部類に属するものと見なすのが好都合であるが、そのことは必ずしも両国への政策が同一でなければならないことを意味しない」
    「清国は、ヨーロッパと親密かつ真摯な関係を結ぶ意向をほとんど表明したことがなかったし、おそらく今後も・・・・」
    「日本の歴史は、かれらがよりすぐれた文明に接触するたびに、その思想と制度を摂取することにきわめて熱心であったことをしめしている」
    「それ以来、日本人は、清国が依然として頑強に固守している古くさい思想を完全に放棄し、西欧世界からかれらの必要にもっとも適合するものを選んで、その制度を作りかえようと懸命につとめている」
    ・アーネスト・サトウが日本公使として戻ってきたときの活躍について触れられていないのが残念。また、彼がキリスト教徒になった背景等も興味がそそられる。別の書物を探してみよう。
    ・因みに、本巻(14巻)では朝鮮の開国にまつわる英国外交活動が垣間見ることができ、興味深い。

  • アーネスト・サトウ日記抄全14巻。幕末から維新までを見たイギリス人外交官の日記を元に当時の歴史資料をふんだんに盛り込んだ歴史小説です。まだ、一巻目しか読み終わっていませんが、読み応え充分です。また、アーネストは日系人だと勝手に思い込んでいたのが間違いというのもよく分かりました。(ウィキペディアに写真がのってますがカッコイイ外人です。)イギリス人が母で父がドイツ人。この父の姓はスラヴ系の希少姓だそうです。

  • 2008.4.5

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離日 遠い崖14 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-14)の作品紹介

明治15年12月末日、サトウは3回目の賜暇で帰国の途についた。文久2年に19歳で初めて日本の土を踏んでから20年、その日本在勤の時期もおわろうとしていた。サトウが駐日公使として再び日本に戻るのは、12年後、明治28年のことである。大河ヒストリー、堂々の完結。

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