自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫 さ 41-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022616012

作品紹介・あらすじ

自閉症の青年による殺人事件は、なぜ単なる「凶悪な通り魔」による殺人事件とされてしまったのか?四年にわたる取材から浮き彫りになる、障害を持つ青年の取調べ・裁判、そして何より当人が罪の重さを自覚することの難しさ。刊行時に大きな話題を呼んだ問題提起の書、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  •  2001年浅草で、ハーフコートにサンダルばき、さらにレッサーパンダの帽子をかぶっているという異様な出で立ちの大男が、白昼、19才の短大生を刺殺する事件がありました。犯人は養護学校の卒業生であり、軽度の知的障害がありました。しかし、新聞はこの事件を大きく取り上げたものの、犯人を中学校卒業と書き、養護学校出身であることを隠して報道しました。
     養護学校(現在は特別支援学校)の教員を長く務めた著者は、この国全体に漂う、障害者へのそうした、よく言えば慎重な、悪く言えば腰が引けたような何とも言えない雰囲気が、我々の判断や裁判に影響を与えているのではないかという疑問を持ち、裁判を傍聴し、被害者や加害者の家族、関係者と話すことで、障害者が関係する事件の裁判のあり方、このような事件を防ぐために何が必要なのかを考えていきます。
     自閉症に関して学ぶことが多く、また、著者の目指すもの、執筆の動機にも賛同できるのですが、それでも、この本は少しまとまりを欠いているという印象を、私は持ちました。著者はあとがきで、枚数の制約から削らなければならなかったエピソードに少し触れているのですが、その一つ、犯人が獄中で女性と文通し、結婚を望むようになったこと、それ以来供述が変わってきたことは、あとがきで簡単に紹介するだけで済ませられる事実ではないでしょう。また、ある部分を削った事情からか、前後とうまくつながらない文が不意に出てきたりする箇所がありました。
     そして、犯人の妹についてのエピソード。重い病気を抱え、父と兄の犠牲になり、「いままで生きてきて、なにひとつ楽しいことはなかった」と言う彼女に、最後に幸せを味わってもらおうと、福祉関係のスタッフが彼女を旅行に連れて行ったり、おいしいものをごちそうしたりします。彼女は最後に「ありがとう」という言葉を残して息を引き取るのですが、その「ありがとう」を著者は以下のように解釈します。

    「あなたのおかげです。
     あなたの分も、私なりに精一杯生きました。
     生きることができました。
     あなたのおかげです。
     ありがとう」

     「あなた」とは彼女の兄に殺された被害者の女性です。兄の犯罪がきっかけで、彼女は善意の人に巡り合えた、最後にささやかな幸せを味わった、それは確かなのですが、それでも、著者の解釈によるこの言葉は、被害者の遺族の心に突き刺さります。私が遺族だったら、ふざけるな!娘はあんたのために生きたり死んだりしたわけではない!と、叫びたくなります。この言葉で本は終わるのですから、これが結論ととられかない。私は、著者はこれを本の結びとするべきではなかったと思います。
     しかし、そうした点(私の感じ方では瑕疵)はあるものの、これからも同じ著者のルポを更に読んでみたいという気持ちには、十分にさせてくれる本でした。こうした問題に興味があれば、一読をお勧めします。

  •  日夜、事件が起こる。今も起こっているだろう。われわれはそれをニュースで知る。しかし事件はわれわれのもとを通り過ぎて忘れ去られる。
     そんな事件を丹念に追い求め一冊の本にする。ルポルタージュである。ニュースで語られなかった詳細があるかも知れない。隠された真実があるかも知れない。当事者の心情があるかも知れない。
     私はそんな本を一冊読む。でも、あまたあるルポをすべて読むわけではない。いったいそんな本にどのような意義があるのか。本は図書館で眠る。そうしているかぎりは記録として残る。それが意義だろうか。なぜ私はこの本を読むのか。

     漠然とした違和感を抱きながら本書を手に取ったが、その疑問を言語化すれば以上のようなことになるだろうか。本書が単行本で出たことを私は知らず、文庫の新刊で「レッサーパンダ帽男」の文字に反応して手に取ってみたのである。「そんな事件があったな」。私によって見事に忘れ去られていたには違いない。レッサーパンダの帽子をかぶっているという異様な風体の男が若い女性を刺し殺した事件である。
     著者はこの男が高機能自閉症であり、彼を裁くに当たってそのことを踏まえた上でなければ罪も問えないし、罰も与えられないと考えるが、しかして法廷はそのような観点を避けて、あくまで猟奇殺人的な見方で事件をまとめてしまった。本書の主張点はおよそそういうことである。しかも、被告本人も自分が障害者であることを否定するという展開の中で。

     障害児教育畑をへて文筆業となった著者は「彼らをよりよく知ることから始めることが、不幸な事態を防ぐための最善の方策なのではないだろうか」と述べる。まったくもって正論である。しかし「よりよく知る」べき「異人」たちは自閉症の人々ばかりではない。そうした幾多の「異人」たちをすべてよりよく知ることができるのだろうか。そのような多くの知識を国民みなに求めることができるのだろうか。せいぜい寛容であろうとか一般的な姿勢を正すしかないのではないだろうか。
     他方、本質的に現行の法体制・裁判システムで、認知も行動もわれわれとは異なる部分のある「異人」を裁くには、むりやり自分たちの土俵にのせて(猟奇殺人!)裁くしかないのではないか。その意味では警察官・検察官・裁判官ともに自己の枠の中で実際的に行動したといえなくはない。筆者の批判はその枠を破れということであり、それは「~官」には無理な相談ではないか。読みながらつきまとう疑問はそんなあたり。

     ルポの内容としてはまったく頭の下がるいい仕事だと思う。是非多くの人に読んでいただきたい。しかしこれだけ読んで、それでいいのだろうか。本当はあまたの事件のルポを読まねばならないのではないだろうか。他の「異人」たちのことも知らねばならないのではないだろうか。いい仕事であればあるだけ、釈然としない気持ちがもまた残るのだった。

  • 大変よい内容のノンフィクション作品であると思う。筆者はもと支援学級教員であるというから、障害に対する思い入れは強いだろうが、見事にそれを抑え、緻密な取材と冷静な筆致で障害者の裁判というものをきちんと記録している。矯正施設ではたして発達障害児者がどのように扱われどのように変化していくのかしないのか、裁判のあとのことをもっと知りたいし、それを社会にフィードバックする必要があると思うのだが、司法はその要望には今のところこたえていない。

  •  2001年に浅草で起きた、レッサーパンダの帽子を被った男が女子大生を刺殺した事件についてのノンフィクション。通り魔的な犯行であり、犯人の異様な風貌から大きな話題となった事件でもあります。

     逮捕された犯人が前科のある知的障害者であったことで、その後のことがあまり語られなかったこの事件を、著者は本当に丁寧に取材しています。それゆえに読後感は非常に重いです。

     障害を理解して裁く。争点は責任能力等ではなく、加害者の行動が異様で普通の人から見ると不合理であろうとも、加害者には加害者の理屈がある。その理屈を理解しようとするのかどうか。本のタイトルはこれを問うのだと思います。

     しかしこの本を読んだときに一番心に残ったのは福祉行政の在り方でしょう。加害者(家族含む)に何かしらの介入があれば防げた事件だったかもしれません。刑務所が最後の福祉の砦となっている現状も含めて課題は多いのです。

     被害者はもとより、加害者の妹の境遇もまた悲惨です。母親亡き後、加害者とあればあるだけ金を使う父親の面倒をみて高校進学せずに働いて家族を支えていましたが、事件後に若くしてガンで亡くなります。この妹の「いままで生きてきてなにひとつ楽しいことはなかった。」という言葉は胸をえぐられます。彼女を最後に支えた人々がいたことは、この本の数少ない救いです。

     著者も言っていますが、加害者の人生はこの二人の犠牲の上にあります。それを本人は理解しているのか。それは他人にはわからないことなのでしょう。 

  • かつて話題になったレッサーパンダ帽事件について、自閉症(とは認定されていないが)の加害者をいかに裁くかをテーマに事件の詳細を描いたルポ。

    この手のルポは著者の独断的な主張によって、検察か弁護側のどちらか一方の肩を持って描かれることが多いが、この著書は被害者と加害者のどちらの声も肩入れせずに伝えようとしている点で良い作品だと思った。

  • レッサーパンダのかぶりものをした男が起こした、殺人の裁判について。記憶にあるものの、詳細は忘れていたし、親族の話も初めて知ることばかり。難しい問題を含んだものだったと知らされた。

  • 2001年に起こったレッサーパンダ帽男による女性殺害事件が題材。
    事件が報道された時その特異な風貌から話題となったがその後犯人が逮捕され、養護学校出身の障害者と判明、裁判では責任能力の有無が争われた。

    元養護学校教諭である著者の眼を通して、教育を終え社会に出た障害者が福祉の網から漏れた時、本人や社会に危険が及ぶことがある。けれど、どうやって防ぐことができるのか。
    被害者の親族が吐露した悲しみに胸を打たれ、犯罪者は皆同じ目にあえばいいと感じるが、果たして犯罪の自覚がない場合は?

    加害者の親族で加害者を含む家族のため抑圧された生活を送ってきた妹は死の間際に支援者により救われた。加害者にもこういったサポートが必要だったのか?障害に関わらず、社会的に孤立した人を救うのは難しいことだ。

  • レッサーパンダ帽子の男による殺人事件。何となく覚えてはいたが、この本を読むまでこんなにも裁判に時間がかかり、しかも問題をはらんだ事件とは知らなかった。
    最近、「絶歌」で少年犯罪での真の意味での「更正」に問題提起がされたが、こちらの事件でも同じような問題が。
    加害者に障害があるがために、加害者本人が真の意味での罪の重さを自覚し反省できるのかどうかということ。
    よく捕まった犯人の供述がちんぷんかんぷんだったりするが、この事件の裁判での被告と弁護士、検察とのやりとりが、ある意味不毛で気が遠くなった…。
    質問しても、ちゃんと答えが返ってこない。そもそも質問の意味すら理解していない?人を殺しているのに、本当に事の重大さをわかっているのか?この違和感は取り調べをした刑事も気づいていたはず。でも日常生活に不便しない普通の人間であるし、通常の手続きに従い通常の裁判が始まる。だが、蓋を開けてみたら養護学校出身であり、軽度の障害があるとわかる。
    筆者は中立の立場に立って書いているが、読んでいるこちらはどうしても被害者立場に立ってしまい、極刑を望むのは仕方ないが、でも本当にそれは正しい裁判と言えるんだろうか?
    私自身、目には目を歯には歯をと考える人間なので、何の罪もなく無残に殺された被害者の事を思うと、無期懲役は生ぬるい判決だと思う。基本的に自身の欲望の為に殺人をおかすような犯罪者に人権はないと思うから。でも被告に「責任能力」を問えるかという問題でいつもモヤモヤしてしまう。本当に責任能力の問えない犯罪者だったら?加害者に人を殺す意味すら理解できなかったら?
    …難しい問題だと思う。答えはきっと出ない。でも私は裁判は、遺族の思いに寄り添った判決であって欲しいと思う。だって、何の落ち度もなかった被害者の生きる権利はどうなるのか。加害者の障害を理由に減刑されるようなことがあれば、殺された被害者はただの殺され損ではないのか?残された遺族の気持ちを考えたら、加害者の立場を理解しろなんて言えないはず。
    考えるきっかけとして、色々な人に読んで欲しい本だと思う。

  • こんな事件があったのは知らなかったな。知的障害者が凶悪な事件の加害者だったことがわかるとマスコミが不気味に沈黙する、そんな事件がつい先日もあった。おうむ返しに代表される自分を他人から相対化しにくいという発達障害の特徴が、取り調べでの供述書作成で不利にはたらくというのは確かにそうかもしれないな。暗い話題だが、最後に一筋の光が垣間見える、すばらしいノンフィクションだ。

  • 副題にレッサーパンダ帽男の「罪と罰」とあるように、2001年4月に浅草で起こった通り魔殺人で、犯人のレッサーパンダ帽子を被った異様な風体が報道の過熱を誘った事件だが、殺人を犯したこの若い男、実は高等養護学校を出た障害者であった。
    被告の障害をめぐって<精神遅滞>か<自閉症>かを争う公判の模様などをはじめ、裁判過程を詳細かつ丹念に追う著者自身、嘗ては養護学校の教員でもあり、広範にわたる訴訟関係者への著者の真摯な取材姿勢は、問題の本質理解へと読む者を誘いつつ、司法においてこそ障害に真の理解を求めんとする告発の書となっている。

    エピローグとして「最期のレクイエム」と題された最終章-
    被告や父親など、男たちの身勝手に翻弄されつづけ、ひたすら一家の暮し向きを支えるために、身を粉にして働きつづけ、ガンを発症、脳に転移し手術するもすでに手遅れ、25歳の若さで逝ってしまった被告の妹。
    その救いのない孤立した末期を、障害者自立支援団体「共生舎」らの救援にはじまり、さまざまな人々に支えられ、生の輝きを取り戻したかのように生き得た8ヶ月をスケッチ、報告しているのは、重い全編中において珠玉の章となる。

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著者プロフィール

1953年、秋田県生まれ。2001年よりフリーランスとして、執筆や、雑誌・書籍の編集発行に携わる。1987年より批評誌『飢餓陣営』を発行し、現在57号。
主な著書に『自閉症裁判』(朝日文庫)、『知的障害と裁き』(岩波書店)、近刊に、村瀬学との共著『コロナ、優生、貧困格差、そして温暖化現象』(論創社)、『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後: 戦争と福祉と優生思想』(現代書館)がある。

「2023年 『明日戦争がはじまる【対話篇】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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