秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022617668

作品紹介・あらすじ

【文学/その他】死者7人、負傷者10人を出した無差別殺傷事件から丸5年――なぜあのような事件が起きなければならなかったのか? 友達がいるのに、なぜ孤独だったのか? 加害者・加藤智大の人生と足跡を丁寧に辿ることで、現代社会の問題をあぶり出すノンフィクション!

感想・レビュー・書評

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  • 無差別大量殺人事件を起こした加藤智大について、幼少期から事件直前までの彼の行動や発言を時系列順に示したドキュメンタリー。
    裁判を傍聴し、記録を追い、多くの関係者に取材をしたのでしょうけれど、それを順番に並べて「軌跡」として示したことで、加藤の心の内がくっきりと浮かび上がってくる構成になっています。

    実はこの事件が起きた日、秋葉原に行っていました。昼前には電車に乗っていたので巻き込まれることはありませんでしたが、よく知っているソフマップ本館(当時)前の交差点でこんなことが起きたことを部屋に帰って点けたTVで知り、慄然としたことを覚えています。

    携帯で惨劇を撮影していた人々の無関心ぶり、マスコミ取材の無軌道ぶりと言ったバカ騒ぎが落ち着き、「派遣切り」「掲示板でのなりすまし」「親の虐待」など、世間の関心は事件の動機に集まりましたが、どうも報じられていることが胸に落ちませんでした。人間ってそんなことでここまで自暴自棄になるの?って思っていたのです。

    そんな疑問を解決すべく最後まで読み通して、やっぱり納得はできませんでしたが、加藤の考え方や振る舞いの中に、自分との共通点を見つけました。これを「共感」というのはちょっと違うと思いますが、ネット上で共感を表明している人たちは、「そういうことってあるよね」レベルでそれぞれの内心との共通点をみつけたんだろうなと思います。

    よくわかるのは「友達がいるのに孤独」。
    当たり前ですが、リアルの友達には気を遣わなければいけません。アスペルガーの自覚があると、その人との付き合いの深さにもよりますが、「ここまで言っていいのかな」「これを言うと怒らせるかな」なんていちいち考えながら話さざるを得ず、どっと疲れるなんてことも。加藤だったら、もしかして家族ができても孤独だったかもしれません。

    もう一つ、「自分語りは聞いてもらえない」。
    巨大匿名掲示板でも、飲み会の席でも、自分語りは嫌われます。 ちょっと前なら「ここはお前の日記帳じゃねえんだ チラシの裏にでも書いてろ な!」のAAが投稿されるやつです。加藤は掲示板を選び、キャラを作ってようやく自分語りを聞いてもらえるようになりますが、それも一時だけ。スレ乱立やら全レスやらコテハンやら自逆風自慢やらはなかなか受け入れてもらえません。
    加藤だけでなく、ネット上での振る舞いを通報されたことに逆上して殺人を犯した「低能先生」にしても、注目され、声を聴いてもらおうとするための行動がかえって自分の首を絞めてしまったことになります。
    でも、世の中には上手に自分を語り、みんなに聞いてもらっている人もいます。一番上手なのは「私小説」ってやつですね。同じダメ人間のダメ行動でも、加藤が掲示板で書いたものにはレスがつかず、太宰が書けば立派な文学作品です。著者が加藤の掲示板への書き込みを「それは一種の文学だった」「文学が発動される瞬間を、彼は無意識に生きていた」と評したのは卓見だったと思います。
    (自分もちょっと練習して、ブクログにちょこちょこと自分語りを書いていますw)


    こういった一つ一つの「弾」は自分にも痛いほどわかりますが、それが「引き金」を引けば暴発するほどのボリュームになることは、やっぱりわからないのです。みんな「引き金」を引けばどうなるか…そうしたい、そうすれば気持ちがいいだろうと思いつつも一歩を踏み出さないようにしてみんな暮らしているわけです。みんなみんな、弾をいっぱい抱え込んで暮らしていて、加藤が抱え込んでいたのと同じ弾を背負っている人は共感を口にします。でも、ほとんどの人は引き金を引かないのです。
    決定的な引き金を引いてしまった加藤は、だから、自分とは、そしてほとんどの人にとっては別の種類の人間です。引き金を引けることを英雄視する人も、やっぱり理解の及ばない相手だとして気味悪く思う人も、自分とは違うからそう思っているわけで、この労作をもってしてもやっぱり最後の一線を越えた加藤の行動は自分にとって腑に落ちないままでした。

  • 登場人物の皆が自分に当てはまる。自分はどの登場人物にもなりうるし、なったことがある登場人物もいる。
    自分と向き合うためには自分を自分で認める必要がある。
    人は自分を自分で認められるようになるために生きている。
    親の仕事はその手助けをすることだけだし、それだけで良い。

  • めちゃくちゃ興味深い

  • 2008年6月。秋葉原の歩行者天国に2tトラックが突っ込んだ。そして運転手はナイフをもって外にでた。。7人死亡。10人怪我。
    犯人は加藤智大25歳。
    幼少期からの環境(父は留守がちで、母は厳しかったらしい)、ネット環境で構築する人間関係と、その世界がなりすましや荒しもあり壊れていく過程。そして深める孤独。
    ドキュメントなのだが、本人や本当に近しい人からの話がないので、どうしても外堀を埋めた感が否めなかった。

    子どもは、ひどーい。この過程ひどーい。と言いながら読んでいたので、自省。

  • 現実は複雑で、複雑なことを単純化するのではなく複雑なまま理解していく必要がある。その通りだと思う。働き方や家族観などが多様化した世の中では大学出て就職して、結婚して子供持って一軒家を持つというようなルートではない、様様な背景の色々な人がそれぞれ複雑な事情を抱えている。
    それこそ居酒屋の店主が単純な勝ち組でないように。事件の教訓として複雑なことを複雑なまま理解することが大事というのはわかる。
    また裁判では家族、特に母との関係に帰結されたことのみで、それはやはり時間の関係はあるにせよ、単純化して理解ということになってしまい、どうなのかなと思う。
    ただ母との関係の中で言葉によるコミュニケーションでなく突発的な行動によって自分が不快に感じたことをわからせようとするという、大変生きづらいコミュニケーション方法がついた。それはその後の彼の人生を困難にし、事件に繋がっていったと思う。
    人生のどこかで彼を諭してくれる人との出会いはなかったのかな、と思うが、大学に行かず、仕事も派遣でテンテンとするだとそうした深い関係の人はできにくいのかと思う。加藤智大は私だ、という声が事件後、ネットに溢れたのもわかる気がする。
    どこかで踏みとどまれなかったのかなと、本を読みながら何度も思った。

  • 秋葉原事件。
    無差別殺人の背景。ネットへの書き込み、裁判の傍聴、関係者への聞き込み。いろんな人の言葉。
    なんで?に明確な答えなんてなくって、複雑で、犯人にとっても動機は推測でしかなかったりする。分かりやすさを求めてしまう怖さ。人の心と現代社会の複雑さ。

  • 2008年に起こった秋葉原での無差別殺人事件の犯人について、どのような経緯で犯行に至ったかを記したノンフィクション。
     母親の虐待に近い過度なしつけにより、突発的な暴力や非常に婉曲的な表現でしか自分の感情を表現できない。その結果、現実世界では生きにくくなり掲示板というネットの世界へ没頭するものの、そこでも自分の存在を否定されて、居場所がなくなった結果、犯行に至る。
     この過程を詳細な取材に基づいて、丁寧に1つずつ事実を積み上げていくスタイルなので、読んでいるうちに彼がどんどん自分の中に入ってきて怖かった。なぜなら自己責任社会と承認欲求というのはまさに今のテーマであるから。彼の承認欲求の発露は他人ごととは思えない。仕事でもプライベートでも家族でも誰かに必要とされてこそ人間は生きることができるのであって、社会から梯子を外されてく様が読んでいて辛かったし、「人間は言葉の動物である」という言葉が響いた。
     本著で語られるネタとベタの代替関係も興味深くて、現実とネットの関係をこの言葉で置き換えることで理解が進んだ。彼が好きだった曲として、BUMP OF CHICKENの「ギルド」が紹介されていて、その歌詞と加藤の重なり、そしてもし歌詞のとおり彼が汚れた世界を受け止めることができていたら、どうだったのか考えてしまう。
     2トントラックで歩行者天国に突っ込んだ挙句、ダガーナイフで無差別に殺傷するという同情の余地もない。しかし善悪二元論で安易に片付けるのではなく、どうして?を突き詰めることが本当の意味で同じようなことが起こらないことの最大の予防策だ。(杓子定規にダガーナイフの所持を禁止してもしょうがない) 
    ぺこぱ風に言えば「圧倒的な悪に対して思考停止して懲罰願望をいたずらに発揮することはもうやめにしよう」

  • 2008年に起こった秋葉原無差別殺傷事件の犯人がたどった軌跡をていねいに追いかけ、彼の幼少期からの家庭環境や職場、友人関係やネット上での振る舞いなどを明らかにしているノンフィクション作品です。

    著者の分析の枠組みは、リアルにおける「建前」のアイデンティティとネットにおける「本音」のアイデンティティの対比、あるいは、北田暁大らの仕事によって広く知られるようになった「ネタ」と「ベタ」の境界が消失してしまうという見方がとられており、理論的な著作ではありません。社会評論ではなくノンフィクション作品であり、ややドラマティックな構成になっていますが、全体を通じて興味深く読みました。

    この事件などを契機として、社会的包摂の重要性がかまびすしく論じられるようになりましたが、わたくし自身はそうした議論に対してどのような態度をとるべきなのか、まだ明確にできずにいます。ともあれ、本書を読んであらためて問題の所在について学ぶことができたように思います。

  • 2018/1/17図書館で発見し「百年後」を中断して一気読み。掲示板に自分を探す加藤智大。★4

  • 家庭環境が人格へ及ぼす影響の大きさを感じる

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著者プロフィール

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『思いがけず利他』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』、共著に『料理と利他』『現代の超克』などがある。

「2022年 『ええかげん論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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