- Amazon.co.jp ・本 (461ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022640758
感想・レビュー・書評
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作家となりたいならば、多くの知識に通じ、多くの人の考えに触れなければならないと思う。多くの世界と言い換えてもいい。本作は、著者の藤原信也さんがチベットを文字通り放浪しながら、写真を撮りため、文章を付けた作品である。
衝撃を受けると思う。チベットにある死生観というものにだ。若かりし頃の私はそうだった。
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チベットに行くなんてミーハーだから嫌だ(意訳)と思っていたが、心境の変化で行くことにした紀行(1977年刊)。
ただし、やっぱりラサっぽいことは書かない(行ったかどうかも不明)。僧侶についても神秘のベールに包まれた高潔な人々という面ではなく、俗っぽい部分を書く。
そして市井の無名の人々の振る舞い、信仰について無名の部落での出来事を描く。
民俗学のようでもあるけど、それはまるで「民話の起源」のようだ。数年前の出来事が太古の物語のようになるし、「現在」の出来事が数年後には伝説化していることが容易に想像できる。
チベットならではの面もあるだろうが、藤原新也のフィルターを通したからという気がする。そういう書き方をするもんね。
そのオリジナリティが面白いのだけど、一冊読むとお腹一杯になるし、沈殿するまで待ちたくなる。
本書を読む気になるまでには、前作『印度放浪』を読み終えてから十年以上のインターバルが必要だったのだが、そういうことです。
『東京漂流』は何度も読み返したんだけどね。 -
著者は旅先で見たものや起こった出来事に何かしら特別な意味があると考えて旅をする。
一層旅に深みが増して、濃密な1人の時間を過ごせそうだ。
来世での幸福を信じて生きるチベット人たち。日々何もすることなく、質素な食事をとり、ひたすら呪文を唱える。
信仰の力の偉大さを感じる。信仰さえあれば人々は満ち足りた暮らしができるのかもしれない。たとえそれが外からみると酷いものであっても。 -
インドからゆっくりとチベットへ向かっていく著者。いつの間にかチベットへ。そしてある貧しい部落に転がり込み、一般のチベット人の生活に入り込み、交わり、観察する。チベット語で話したのだろうか。ひどく乾燥した空気、ゆったりというのでは生ぬるい、時間の流れ、来世のための功徳を積むのに一生懸命で時に現世が疎かになっていやしないだろうかと思える生活。その流れにくさびを打ち込むかのように時折行われる祭り。僧といえば徳が高く神秘的なものかと思えば、食い詰めたり、口減らしだったり、気軽になる者も多く、普通以上に普通なものが多く、拍子抜けした印象を抱いたのだとか。そんな著者の切り取ったチベットの空気を感じさせてくれる。40年近く前のことが書かれているのだから、今どうなっているのかも興味が湧くところ。/以下、備忘録的に。/チャンチャベンマというのはこの地方の諺で、酒とバター茶を交互に飲んで暮らす無上の身の上を言うのであった/あんた、心配いらんよ、今、俺たちが住んでいる世の中にゃ、あんたたちの言う来世の世界、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上、ひと通り何でもそろってるんだ。きっと、ここは来世なんだよ......ここが来世でなきゃ、何であんたという人間の頭の上にあんなに真青な天国が見えていて、何であんたの足元に虫けらや犬っころが寝転がっているだろう。/
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http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784022640758 -
やっぱり、「地球の歩き方」シリーズは、日本最高の紀行文の一種だと思う。色々出ているけれど、あれより詳しいガイドブックはないし、あれ読んでると「あそこ行こう、ここ行こう。」って本当にウキウキしてくる。
ただし、それは「遠景」として、観光する場所や人と一定の距離を保とうとする場合の話。
1人の作家が自分の名前を明記して、それで紀行文を書こうとする場合、それとは逆で如何に「近景」で、如何に対象に近寄ることが出来るかが鍵になってくると思う。
僕はその代表例として、この一冊を挙げたい。特にパンを濡らして作った仏像をぞんざいにして、寺から追い出される話は、バスの中で声出して笑った。そう、近寄りすぎると、嫌われたり怒られたりもするんだよね。 -
ちょっとディープな感じだけど、載っている写真は、西蔵の風景と人情とを呼び起こしてくれる。
・・・自分もチベット人だったのかなぁ~なんて勘違いする本。 -
やっぱ印度放浪の方が好き。w
チベット、ラサ、カイラス・・・。
その言葉の響きだけで魅力的なチベット。
写真にしろ、文章にしろ、
藤原新也の執拗なまでの「見る」という姿勢に圧倒される。