この世からきれいに消えたい。: 美しき少年の理由なき自殺 (朝日文庫 み 16-5)
- 朝日新聞出版 (2003年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022643179
感想・レビュー・書評
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大きな物語」に帰属し続けるための目標=意味を求めて生きてきた世代が、「大きな物語」が崩壊した中での生き方を考えるきっかけとしての「意味」と「強度」について、ヒントをもらえる本。 「〜のために生きる(「意味」)」ことの無為さに気づき始めた世界で、自分が幸せに暮らすためには「強度」を求めればいいから、自分が楽しめることを何でもやってみて日常を送ることで悩まずに生きられるというのが本論。
物事を客観視して世界を理解していくことが、実は自分自身の解体にもつながってしまい、その重圧に耐えられなくなると鬱だとか自殺だとかを引き起こすことになる。これは構造主義から未だに脱却できない我々共通の問題であり、客観視すればするほど主体性がなくなる恐怖は、いまや構家庭・学校・職場等どこにでも見られるようになった。パターン化による不幸が、強度を得にくくしているという指摘。
何かゲームをやろうとするとき、今は攻略サイトなしではできなくなった。物語分岐のフラグを無視したり、アイテムを取り逃すのが怖いから。しかし、攻略サイトを見て完璧に攻略したところで、それはパターンの検証/追体験に過ぎないから、ほとんど面白くない(「強度」が無い)。
一般に、物事はコントロール可能なパターンになればなるほどつまらない。必ず倒せる敵など倒したところで何のカタルシスも無いし、絶対に儲かる株があったら仕事も楽しくない。ディストピア=ユートピアに、我々の社会が近づいている。
是非文庫本のあとがきの最後まで読み切ってほしい。 -
1月8日購入。1月22日読了(2日間)
宮台真司の本を読むと、全てをわかりきったように感じてしまう─これはその通りであると思う。退屈な日常の原因に「意味(先延ばし的な生き方、受験、就職・・・)」と「強度(今が楽しければいい、ダンス、サッカー、セックス)」の対概念を当てはめ、意味からの解脱と強度の獲得を目指す「まったり革命」なるものはまさに今の世代の若者を惹きつけるのには十分な要素を備えつつある(刹那主義、現実逃避)。ただ、それはやはりそう簡単にできるものではない。その実行可能性の未知数さと具体的なが、社会システム理論家宮台の功罪の「罪」の部分ではないだろうか。主人公のSの自殺も、強度への獲得の困難さに彼が苦悩の帰結である。この主人公のは本を読む限りでは、容姿端麗で、それなりに教養もあり、家庭環境も良好(これに関しては親が甘やかしすぎという見方もあるだろうが)、しっかりと自立できている青年である。なのになぜ自殺を─などという愚問はもつべきではないだろうな。Sは彼なりに苦悶していたのだろう。自分のありのままを受け入れてくれる人物を探していたのだろう。共感はできないが、理解はできる。
本自体は藤井誠二のルポと宮台真司の独白で構成されている。ルポはなかなか読み応えがあったが、独白は残念ながら、宮台の他の著作をすでに読んでいる自分にとってはなくてもよっかたと少々思わざるをえなかった。
巻末の対談とあとがきはもしかするとある意味本文よりも示唆に富むものであった。「いつでも死ねると思えば、生きる気がでてくる」というのはピュアな喜怒哀楽の感情である─鶴見済の著書を読んで以来、これはかなりプラクティカルな警句だと感銘を受けたのだが、どうやらもうそんな時代ではないらしい。コンビに化やネット化によって生死の境界線が薄れてきた今、たとえばSのような意味から無意味へ覚醒し、それに苦悩して死を選ぶという意味のある自殺は少なくなってきているらしい。そうではなく、生きたくもないが死にたくもないというもやもやした人々が増えている。そうであればもはや「生きていれば必ずいいことがある」というポジな文言はもちろん、「いつでも死ねる〜」といったアナーキーな文言も意味を成さない。「気分を変える」ことが一番有効らしいのだ。なるほど。自分の近くに、鬱気味の人や自殺願望者がいたらこれから私はどこか楽しい場所に連れて行こう。最後に付しておくが、それにしても美しい表題であると毎回感じる。 -
生きることの意味を追いすぎた
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自殺願望とか微塵もないです\(^o^)/
宮台真司の本が読みたかったのと、丁度良く友達がくれたので読みました。
引用とか感想とか。
「僕はすべてを知ることで自由になりたいという気持ちが強いんです。なんで強いのかは僕にもちょっと分からない。知らないでいるほうが幸せということに、どうしても耐えられないんです。(中略)そうやっていろいろ知り尽くしていく道とは、実は断念への道なんです。断念を積み重ねていけば行くほど、楽になると同時に、認識も深くなっていく。いかにうまく断念するかっていうことが、僕のような人間にとっては幸せの道なんです。」
「フレーゲは言葉の意味(真理値)と意義(思想)を区別しました。真理値というのは現実社会における対応物(の有無)で、思想というのは文脈次第で変わる共有可能なイメージのことです。
(中略)
『真理値を問うコミュニケーション』と『問わないコミュニケーション』の区別は示唆的です。これはちょうど若い子達のいう「イケてないコミュニケーション」(真理値を問う)と「イケてるコミュニケーション」(真理値を問わない)の区別に対応しています。」
→何となく言いたいことは分かったんだけど、その真理値を問うコミュニケーションっていうのの具体例があまりしっくりこなくて残念だった。
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作中に出てくるフレーズ
「世の中無意味だ。でもそこそこ楽しい」
or
「そこそこ楽しい。でも無意味だ」
の違いともろもろの感想。
そこそこ楽しい、というのは“強度”があるということらしい。そして、その強度とは「体感」のことであり、意味とは「物語」のこと。
強度⇔意味 であるので
楽しさ⇔悲しみ になると思われる。
悲しみに代表されるのは“死”であり、葬式である。この葬式という儀式は斎藤環の本の中では
「ひとが物語なしに生きることはむずかしい。とりわけ大切な人を亡くして、しかし確実ななにかにすがることもできない時、ひとは物語にすがりつかずにはいられない。そうすることで、喪失感からくる麻痺やショックを逃れようとするのだ。うまく物語に組み込まれなかった喪失感は、亡霊のようなトラウマとなって、いつまでもひとの心に取り憑くだろう。だから、例えばお葬式は、一般的には遺されたものたちを物語によって癒そうとするセレモニー兼セラピーにほかならない。」(フレーム憑き―視ることと症候)
と記述されている。つまり、人間はポジティブな意味で必要なものが「強度」であり、ネガティブな意味で必要なのが「物語」なのか?と思った。
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「欧米には社交術の伝統がある。自分をAとし他者(たち)をBとする。Aの社交術というとき、AがBの期待を満たすように行動できるかどうかという点には、実は力点がない。日本人は共同体的なので、このことを全く理解していない。
Aの社交術とは、AがBの期待を満たしうる存在であることをBに示すこと、あるいはそのことによってAにBを受け入れる用意(キャパシティ)があることを示すことである。どう見られるかという「体験」ではなく、ゲームに参加する意思を示す「行為」なのだ。
(中略)
こうしたことは、例えば日本人の『愛の告白』下手、というかナンパ下手にも関わる。社交術上、愛の告白は素朴に相手を喜ばせるためになされるのではなく、自分に相手を喜ばせるゲームへの参加資格や産科医師があることを表明する点にこそポイントがある。
だから、相手に喜んでもらえなかったという「体験」に一喜一憂したり怯えたりするのは社交的ではない。ゲームへの参加資格や産科医師を効果的に表明することに成功することこそが目標であり、そのあと相手が自分を『受け入れる』かどうかは単なる結果の話だ」 -
意味から強度へ。人間は知らないから生きるんだ。
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宮台に共感した青年が共感する余りに自殺してしまう。 偶然宮台はそのことを知っちゃう。 そして、宮台、苦悩。 いち社会学者である宮台の発信した言説に共鳴して死んでいく青年。私は宮台真司という人に今まで強い先入観があった。あまりにも有名すぎて、イメージばかりが先行していた。そんな自分を反省する。彼はただ有名なだけではなく、立派な(という言葉は不適切かもしれないけど)社会学者だなあと。全ての人間がパターン化され得るという考え方が、必ずしも賛成はしないけども、私にとって面白い。繰り返される<意味>と<強度>という言葉も新鮮だった。
「癒すよりも不安を惹起することで、社会変革の動機付けを調達する」姿勢から、「社会変革を動機付ける理念によって、同時に癒しを提供する」という宮台の方向転換はS君が亡くなってしまったことがきっかけらしい。生き辛さがテーマになっているこの本は、思っていた以上の収穫だった。「例えば僕らの頃はマルクス主義があったでしょう。そうすると、マルクス主義がだめになったとしても、例えばイデオロギーが自分の理想主義を支えてくれた記憶があるから、新しいイデオロギーを探せるじゃないですか。ところが、そういうイデオロギーによって自分を動かした記憶のない、僕らより5歳以上若い世代の人たちは、そういうイメージがもうないでしょう。僕たちよりも資源が一個足りないわけです。重要な資源が一個欠落しているわけだから、理想主義的であるための工夫はより難しいことになると思うんです。」(P198/宮台) -
06/04/2008
宮台教の殉職者と教祖の弁解。
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孤独と今。
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今の世の中を生きるには強度が必要なんだそう。
作中でも触れられてたと思うけど、死にたがる若者の中でもこういうタイプの人は少ないのだと思います。
少なくとも私は違ってたので共感はしづらい部分もありました。
こういう人がいた、こういう考えがあった、と知る分には興味深い本です。