司馬遼太郎全講演[4] 1988(2)-1991 (朝日文庫)

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著者 : 司馬遼太郎
  • 朝日新聞社 (2003年12月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (411ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022643223

司馬遼太郎全講演[4] 1988(2)-1991 (朝日文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 1988年~1991年の講演集
    中でも、「漱石の悲しみ」は目から鱗の絶品でした。

    私の中学校時代?だったような記憶ですが、学校の授業での「夏目漱石」とはどんな作家として教えられたかというと、「則天去私」という悟りを啓いた偉大な明治の作家というような内容だったと思います。主に漱石門下の小宮豊隆の漱石論を中心に評価されていたようです。
    その後、江藤淳が大学の学部生の時に、それまでの小宮豊隆によって神格化された漱石像を壊し、悩み多き近代人としての漱石像を打ち立てたと理解していました。

    そして今回の司馬遼太郎講演録の「漱石の悲しみ」を読んで、愕然としました。
    司馬が言うには「漱石が現代の文章語を完成させた」という極めてシンプルな事実です。しかも講演時期は1991年。

    明治は、文章の大混乱期であり、文章を近代化させるという課題は、文章を書くマスコミや小説家にとっては最大のテーマだったようです。
    具体的には、徳富蘇峰の文章は、文語読みをそのまま写しただけであり、一方泉鏡花の文章といえば、どこが切れ目だか分からない、センテンスの長い、くねくねと続いていく文章だそうです。そして二葉亭四迷の「浮雲」が日本語の文章として口語になった最初だが、それも作者が東京生まれだからというだけのことでした。

    司馬は以下のように講演している「漱石の文章の特徴は、1つの意味は1つの荷車にしか載っていないということです。漱石の文章はセンテンスが短い。日本語には関係代名詞という言葉の蝶番がないので、長い文章はだめなんです。漱石の文章は、短い文章が幾つもあって、それが畳み込まれていく。センテンスのつなぎ方によってはそれが関係代名詞のかわりもなす」
    「漱石の『吾輩は猫である』『坊ちゃん』は今でもおかしいですが、やはり江戸時代の日本の風土の中での小説の伝統にのっとって書いている。漱石の偉大さは、そのようなものを二度と書かなかったことです。一作ごとに違うことを書いて、「それから」とか「明暗」の後期の作品は、人間の普遍的な、重要な問題に踏み込んでいます。そして文章も一作ずつ変わっている」

    この講演は上記だけの講演ではありませんが、「現代の日本語の文章は漱石によって完成された」という極めてシンプルな事実に今更ながら驚いた次第です。
    これを読まれた人は、そんなことは当然じゃないかと思われる人もいるかも知れませんが、私には目から鱗でした。

  •  仏教について仏が人間を救済してくれる要素は大乗経典以前にはない。みずから修行して解脱することは天才の道であるり、凡人が簡単に到達できる境地ではない。日本で信仰を成立させたのは十三世紀の法然と親鸞であり、信じれば救われると説いた。それもまた仏教の新しい姿ではあるが釈迦がきいたらびっくりすること間違いなし

  • 司馬遼太郎の晩年の講演になってきた。何度も繰り返し、司馬史観を聞いてきたので、諳じられるほほどになってきたかも。夏目漱石は偉大なのである。

  • 15/1/25読了

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