いつか記憶からこぼれおちるとしても (朝日文庫 え 10-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022643544

感想・レビュー・書評

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  • 私立の女子校の、同じクラスの女の子たちの連作短編。
    制服の女子高生は、まだ大人になる一歩手前で、中学の頃とは違ってちょっぴり孤独も味わってみたり、大人の世界をのぞき見したりする微妙なお年頃。

    「制服は、一人ずつの生活をすっかりみんな隠してくれる。」という言葉のとおり、
    彼女たちは、女子高生という一括りの集団ではないということを、まざまざと見せつけてくれました。
    とても上質な感じのする一冊です。

    電車通学も、友達との昼休みも、彼氏とのデートも。
    それ以上に、彼女たちが隠し持っている個々のさまざまな想いが愛おしすぎて、いつかまたこの本の扉を開けてみたいと思ってしまいます。

  • 男女別学校にするか、共学校にするか、それぞれのメリット、デメリットの判断基準は大きく異なります。戦前まで(といってももはや大昔ですが)は、中学校以降は男女別学がこの国の原則だったようです。それが、GHQの指導によって共学校化が進められ今日に至っているという歴史がこの国にはあるようです。そんな共学の対象から外れていた私学も少子化の波には勝てず共学校化が進んでいる今日。希少価値が高まる男女別学校。でも男子校、女子高と言っても決して特別な世界でもなんでもない。みんながそれぞれの学校生活を送ってきた、青春時代を過ごしてきた。全体から見れば特別じゃないけれど、それぞれ自分から見ると自分だけの特別な世界がそこにはあった。

    同じ時代、同じクラスの生徒の日常を6つの連作短編という形でまとめたこの作品。『学校では毎日いろいろなことがおこる。教室のあちこちで』大きなことから些細なことまで、学校という閉じられた空間では思った以上に色んなことが起こる日常があります。『女子校は不思議だ。気楽で、それでいてよそよそしい。制服のせいかもしれない』と感じている菊子。そんな彼女は『制服は、一人ずつの生活をすっかりみんな隠してくれる。学校の外ではかけはなれている人たちを、一つの集団みたいにみせてくれる』という少し冷めた視点で学校を語ります。友だち4人で行動することの多い菊子。菊子はそんな友だちのことを『柚、麻美子、竹井、みんないい子で、私は三人が好きだ。私はいつも、新しい人たちが好き。おなじ人たちとながくつきあうより清潔で安心な気がする』というやはりどこか冷めた一面を感じさせます。

    作品は章毎に一人称が入れ替わっていきます。菊子の章に出てきた柚は『菊子はいい子だけれど地味すぎる、と、あたしは思う』という視点で菊子を見ています。一人称が変わると、それまで見えていた人の印象が違って見える。同じはずの景色までもが別物に見えるからとても不思議です。

    読み始めて最初は、女子高の中での日常を中心に語られる作品かと思いましたがそうではありませんでした。どちらかと言うと、家族や学外の人たちとの関わりが多く描かれます。父親との会話に必ず『ま』ができてしまうことや、父親と自分、母親と自分、という二人だけならいいのに三人になると微妙になる親子関係など、なかなかに機微な視点での親子関係の描写が印象に残りました。

    そんな中で唯一、デートの風景を描写した章がありました。
    吉田くんとつきあうようになった柚。その柚が一人称となる章の記述です。
    『ぐるぐるぐるぐる、ただ歩くだけだよ。歩きまわるデートはうんざりだった』という初めてのデート、それが、『デートはあいかわらず歩いてばっかりだったけれど、たのしかった』、そしてついには『次の日のデートも、ぐるぐる歩くやつだった。いつもの渋谷、いつもの吉田くん』付き合い始めた頃ってお互い相手のことがわからない中で、二人にとって心地良い時間を模索する期間というものがあるように思います。相手の価値観と自分の価値観、折れられる部分と折れられない部分、そして、それを超えて相手と一緒の時間がそこにあるだけで幸せになれる感覚への到達。この表現など読んでいてこちらにまでほっこりとした幸せが伝わってくる感じがしました。

    また、とても詩的な表現も出てきました。『きゅうりの緑はなんてきれいなんだろう。外側の濃い緑と、輪切りにしたときの、みずみずしく淡い緑も。外は雨。私は一人台所にいて、きゅうりを眺めている』こんな風に感じられる感覚っていいなあと、その雰囲気感にも引き込まれました。

    『きょうおじさんと六本木でランチしたの』『そのあとは?』『ホテルにいった』『した?お金もらった?』『うん、もらった』という淡々とした会話の一方で、『クラスの女の子たちも異変を敏感に察知して、エミとあたしのまわりにさっと線をひいた。あたしとエミをとり囲む線』というような描写など。女子高の狭い世界で同じ時代を、同じ時間を生きる彼女たち。色んなことが起こるけど決して彼女たちが特別なわけでもない。どこの学校にもありそうな、なさそうな一コマ、一コマがそこにはありました。それぞれの日常に時間は流れていく。

    「いつか記憶からこぼれおちるとしても」、とても印象的な書名です。この作品で描かれたような日常は登場人物たちにとっても、彼女らの未来の時間から見れば取るに足らない時間、取り立てて記憶に残る、もしくはわざわざ残すべきものでもないのかもしれません。でも、誰にとってもそういった時間の積み重ね、繰り返しの先に今があります。記憶にも残らない平板な時間ですが、その時間、その瞬間には、その時々に感じ、考えて、自分の歩く道を選び、行動してきたのも間違いない事実です。記憶に残らない時間にもひたむきに生きる自分がいた、今の自分を作ってきた時間があった。自分にとっては特別な時間。

    各話とも起承転結が特にないため、この点では少し印象に残りにくい作品だとは思いましたが、時代を映した表現の数々とともに、江國さんの描く独特な雰囲気感を楽しめた、そんな作品でした。

  • 大正時代から続く「健康、知性、奉仕」をモットーとした歴史ある私立の女子校を舞台にした連作短編集。

    同じクラスに在籍するイマドキの女子高生たち。当然ながら性格、家庭環境、親の経済力、成績の良し悪しなど全てにおいて異なるし、そのことは彼女たち自身が痛いほど分かっている。
    たまたま同じクラスになったクラスメイトとして、一種のコミュニティで共に過ごす彼女たちの共存の仕方は、その辺の大人よりもオトナでどこか達観さえしている。
    そして彼女たちの身近な大人である親のこともいつも冷静に見ているし、時に顔色をうかがったり気を遣うこともある。
    「ママの考えることはときどきよくわからない。これはあたしが子供すぎるのではなくて、ママが年をとりすぎているのだと思う。(中略)もしなにかをわかるのに子供すぎるなら、いつかわかるときがくる。でも、なにかをわかるのに年をとりすぎているのだったら、その人はもう、永遠にそれがわからないのだ。これはとてもかなしいことだ」
    実際に女子高生の親として、この文章には打ちのめされた気分。なにかを理解するにはもはや年を取りすぎたということか。反論の余地なく納得せざるを得ない。

    女子高生として過ごした短い時代は、大人になるにつれいつか記憶からこぼれおちるのだろう。けれど彼女たちがその時感じたやるせない気持ちや不条理さは、いつか思い出に変わりあの頃を懐かしく思い返せるといい…。
    というのが、元女子高生(女子校ではなかったけれど)としての感想です。

  • 懐かしい、と思った。
    それは私の記憶からこぼれおちてしまった時間たちとひどく似ていた。

    晴れた昼間、廊下の窓から外を眺めて今すぐ出て行けたらと願ったこと。
    吹奏楽部が吹き鳴らすトロンボーンだかオーボエだかのぶつ切りの音色。
    仮設のプレハブ校舎の床の弾む感じ。
    見るたびに違うグミを持ち歩く女の子がいたこと。
    少し派手な女の子が髪につけていたミニーマウスのリボンの赤。

    携帯電話と同じ大きさのぬいぐるみのストラップ。
    教育実習の先生に憧れて、見かける度にきゃあきゃあ言ってた友達。


    記憶の中の高校生活はまだ生々しい。
    友達に冷たい態度をとられたことや、教室の中心にいる派手めな子達をどこか羨ましく思っていたこと。
    いい気分にならないことばかり覚えているんだから嫌になる。


    自由にサボったり出来たら良かったのにな。三年間、インフルエンザにかかった時以外一度も休まなかった。
    親にも学校にも嘘をつけたら、もっと自由だっただろうに。

    まぁそんなことしてもドキドキして楽しめなかっただろうけど。


    私が高校生活で愛していたもの。
    こげ茶のローファー、手のひらに収まるiPod、学校が早く終わる日の帰り道の昼間の住宅街。
    家族から誕生日にもらったピンクのチェック柄の箸箱。
    わざわざウェブサイトからダウンロードして使う、動く水彩画のような絵文字。
    ブレザーから敢えてのぞかせるセーターの袖。
    蛍光ペンみたいな黄緑色のゴムバンドの腕時計。


    私立の女子校に通いたかったです。今すごく思う。
    東京で、渋谷や銀座をぶらぶらできる女子高生。生まれ変わったら江國さんみたいになりたい。



    ***********
    他の方の感想を読んでみたら、それぞれがまるで違う風に感じていて面白かった。この短編集のように。同じものを見ているのにね。

    • 大野弘紀さん
      感想は、あなただけの万華鏡が描いた風景だったのかもしれません。素敵な感想ですね。
      感想は、あなただけの万華鏡が描いた風景だったのかもしれません。素敵な感想ですね。
      2020/07/05
  • 女子高時代の現代文のテストで、収録作「緑の猫」が使用されていた。今思えば凄いセンスの先生。(中年の男性だった)
    女子高生だった私は、この繊細でヒリヒリした不安定な物語の数々に共感しながら何度も何度も読み返した。
    大人になった今でも文庫は手元にあり、たまに読み返す大切な一冊。

  • 最初はショートショートのような短編集かと思った。すると中身は、同じクラスメイトの同時系列の別視点で描かれたそれぞれの物語だった。
    私も私立中高一貫校の女子校だったのでこの本の雰囲気は大体わかった、私にとってはかけがえのない学生生活だったがそれは私の視点だけであって同じクラス内で何もつかめずにただぼんやり過ごしていた人もいたのかもしれないと少し切なくなった。

  • いいなぁーそんな女の子らしい瞬間を過ごしたかったなーと思いながら読んだ。
    恋の話はキュンキュンした。
    幸せなJKたちの話です。最後はおじさん(?)だけど笑

  • お母さんとお買い物、いいなあ。
    雨の日にベランダで吸うハイライト、いいなあ。
    いいこと、のほうが記憶からこぼれおちていく気がする。

  • 彼女たちは自分が高校生のときと比べてずっと大人びているけれど、あの頃を思い出して、なんか、わかるなーと思った。群れているけどひとり。可愛いあの子がうらやましかったり、目立たない子だと思っていたのにびっくりするような経験してたり、親や友達や自分を冷静に見てたり。全部の話に余韻が感じられて、もっとみんなのことを知りたくなった。高野さん、ペンを借りるシーンでは話し方とかなんか想像できるなと思っていたけど、傘の件でぞっとして、終盤になり美代という女の子らしい名前や大人びた表情を持っていること、男性経験の豊富さなどが明かされてびっくりした。恐るべし…。 

  • 女子校出身ですが確かに女子校ってこんな感じです。
    江國さんの小説は会話の行間がすごく綺麗。読むたびにうっとりする文章だなぁと思います。

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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