百けん先生 月を踏む (朝日文庫 く 23-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644718

感想・レビュー・書評

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  • 文学

  • 1/23 読了。
    借金取りと妻および妾から逃げるように小田原へやってきて寺の一角で暮らし始めた内田百閒。部屋に原稿用紙を散乱させ、筋の有るようで無い、支離滅裂な夢をそのまま書き写したような話を書いている。行き詰まると、住職より百閒の世話を仰せつかった小坊主の果林に手を引かれて、色街へいく。花の名がついた女たちと戯れ、熱い狐饂飩をすすり、浮浪者の竹さんと文学談義をしたりもする。百閒の猶予期間を描いた小説であり、久世光彦最後の作品。未完。

    『一九三四年冬ー乱歩』と似た構成。時代設定を作家の空白期間に置き、作中作のパスティーシュ小説が大きな役割を果たしている。テーマは老境の生と性。それを必要以上に生々しくなく、トボけたように、しかし物悲しい風情で語るには、百閒がぴったりなのだろう。作中で、百閒は黄色が好きで、それはあの世とこの世のあわいの色だからだ、と語られる箇所があるが、そういう「乾いた黄色の風情」が全編を覆っている。
    『乱歩』の作中作パスティーシュ「梔子姫」も素晴らしかったが、今作の『冥途』を下敷きにした短編たちの出来もすごい。小説とそれが書かれる背景としての日常を交互に描き、繋ぎ合わせるという構成を持ちながら、楽屋落ちにはせず日常側にも<不思議>を匂わせるのが手練れの仕業である。辻原登の『遊動亭円木』に近いものを感じた。

  • 今回は内田百閒のおはなしであり、久世光彦、未完の遺作。
    実際に〈未完〉て書かれてるの意識したの、初めてかも分からんな…。

    ある意味道半ばで、だけどあらゆることをやりきって一生を終えた人だったんだろうなあ。

  • p.2009/1/27

  • 「百閒先生 月を踏む」大分の図書館で読んで、引っ越しして、また読みたくなって買った本。とても好み。
    『世の中に 人のくるこそ嬉しけれ とは言ふものののおまへではなし』←百閒先生センセイの玄関に貼ってある札w

  • すきだ。

  • タイトル通り(このタイトル好きだなぁ)内田百閒の小説である。小田原の経国寺の仏具小屋に身を寄せる百閒先生の創作と日常を、寺の小坊主果林の視点で描いている。
    告白すると、私は内田百閒の作品を読んだことがない。たぶん。せめてこの作品の鍵となる「冥途」や「サラサーテの盤」くらい読んでからこの感想を書こうと思ったのだが、いつになるか分からないのでもう書いてしまう。
    偏屈で人嫌いの百閒先生が果林の批評だけは甘んじて受け入れているのがおかしい。親子のような恋人のような、不思議な関係である。解説がいうように作者が果林に自己投影しているとするなら、果林の百閒先生への少し曲がった思慕や敬愛も一層深い意味を持つ。
    漱石の「明暗」が未完であっても何とも思わないが、本書が未完なのは甚だ残念。

  • 2011/10/27購入
    2011/11/27読了

  • 恩田陸先生推薦

  • 未完なのが惜しい。このナンセンスで埃っぽい、なぜか背徳感のある文体はもう見れないのか…

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著者プロフィール

久世光彦

一九三五(昭和十)年、東京生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。TBSを経て、テレビ番組制作会社を設立、ドラマの演出を手がける。九三年『蝶とヒットラー』でドゥマゴ文学賞、九四年『一九三四年冬――乱歩』で山本周五郎賞、九七年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞、二〇〇〇年『蕭々館日録』で泉鏡花賞を受賞。一九九八年紫綬褒章受章。他の著書に『早く昔になればいい』『卑弥呼』『謎の母』『曠吉の恋――昭和人情馬鹿物語』など多数。二〇〇六年(平成十八)三月、死去。

「2022年 『蕭々館日録 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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