街道をゆく 25 中国・びんのみち (朝日文庫 し 1-81)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644787

作品紹介・あらすじ

大航海時代をヨーロッパからの視点で考えたのが『南蛮のみち』であり、中国からの視点で考えたのが『〓(びん)のみち』になる。中国東南部の福建省は古来から「〓(びん)」と呼ばれ、日本とのつながりが深い。マルコ・ポーロが立ち寄った泉州、一大海上王国をつくった鄭成功ゆかりの厦門を訪ねてゆく。筆者の脳裏に、東西交渉史の主役たちが浮かんでは消える。

感想・レビュー・書評

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  • ▼(以下本文より抜粋)
    唐代、東西文明の交流は、ほぼ平和のうちにすすんだ。ただ一度だけ戦争の形態をとった。唐の遠征軍とイスラム軍が大規模な会戦を演じた「タラスの戦い」(七五一)である。 タラスは、いまはソ連領内(ソ連邦カザフ共和国)にある。この会戦では、唐軍が敗北し、得るところがなかったが、イスラム側は巨大な文明史的な利益をえた。紙を知ったのである。捕虜の唐人のなかに紙漉工がいたために、製紙はたちまち西へつたわった。

    ▼(以下、本文より抜粋)
    いうまでもないことだが、日本漢音には、呉音と漢音がある。最初、呉音が渡来した。たとえば、「正月」 という。これは呉音である(漢音なら、むろんセイゲツ)。元旦も呉音で、ゲンタンとはいわない(ただし元日といったときは、呉と漢がまじっている)。「明けの明星」も呉音。大阪に明星高校というカトリックの学校があるが、メイセイは漢音である。明治のキリスト教は、呉音をきらった。理由は、呉音が主として仏教経典の音で「坊さんよみ」ともいわれていたからである。このためキリスト教は徹底的に漢音を用いた。聖書は、呉音──坊さんよみ──なら聖書だが、むろんセイショ。「関西」の西は呉音である。大阪の私学の関西大学はむろん土地の慣習音どおりカンサイだが、キリスト教系の関西学院大学にかぎっては、呉音をきらい、カンセイという。 呉音の呉は、揚子江下流の地域をさす地理用語で、必ずしも呉ノ国ということではない。 

    ▼(以下、本文より抜粋)
    隋・唐帝国の成立以前、中国はながく不統一状態がつづいていた。そのころ、揚子江流域に興亡したいわゆる六朝の文化が、もっとも高かった。この地方が「呉」である。だから呉音は、六朝時代の代表的な音だった。 当時、朝鮮半島は三国にわかれ、黄海に面した百済はさかんに六朝(呉地方)と交通し、その文化を吸収していた。五、六世紀のころ、日本は百済を通じてはじめて漢字を入れた。百済音だから、当然、呉音である。このため『古事記』の仮名も呉音が基調だし、万葉仮名もそうである。経典にいたってはすべて呉音だった。 
     ところが、隋・唐が中国を統一してから、日本はじかにこれと交流するようになった。このときはじめて、呉音が一地方音だったことを知った。 奈良朝の日本は、新音(当時正音といった)を学ぶようになった。それが、漢音(この場合の漢は、華北というほどの意味)である。そのくせ、聖武天皇などと呉音で諡名したのは、呉音の勢力がいかにつよかったかを思わせる。奈良朝のある時期、朝廷では「漢音で統一しよう」としたらしいが、興福寺などの大寺の僧侶団が反対しておこなわれなかった。僧侶たちの無意味な反対のおかげで、われわれはいまなお呉漢両用という言語上のわずらわしさをかかえているのである。

    ▼今回旅するのは、中国の南部の海沿いの方。福建省のあたり。なんとなく「呉」と呼ばれる地域です。船の話。文明の話。世界史と日本史。オモシロイ。僕は大好きです。

  • 司馬遼太郎さんの中国への知識や歴史的文化的視点の深さは敬服するばかりです。

    中国の閩は福建省の地域名です。以前に読んだ街道をゆくシリーズの蜀・雲南、江南とそれぞれ違った歴史や文化があって、中国は広く面白いなと思いました。

  • 司馬遼太郎の福建省を旅した時の旅行記。
    これまで江南の道、蜀・雲南の道と読んできたが、これもまた
    彼の見聞に加えて多大な知識がギュッと詰まった内容で面白い。
    江南の道の時もそうだがジャンク船に多くのページが割かれていて
    構造や元寇の際に元がどうやって撤退して行ったかなど
    詳しく書かれていて面白かった。
    この後洛陽の京杭大運河博物館に行ったのだが、実物大のジャンク船が
    中の構造がわかりやすいように展示されていてそれが本書に記載された通りで
    テンション上がった。
    あんなに頼りない見た目なのに色々な工夫がしてあって面白い。

    また、彼の愛する友人張和平さんが数十年の時を経て故郷(の近く)に帰るというのもあって
    彼に関する描写がすごく郷愁を含んだロマンチックでよかった。

  • 司馬さんは再び海外へ。今回は福建省ということで中原の平たいところとは違う特徴があります。どうも日本も山がちなせいか、四川や福建の話はなんか落ち着きます。
    あと陳舜臣さんが求められて漢詩を作るシーンが出てきますが、求める人も応じる人も文化レベルの高さを感じます。今では難しいでしょうね。

  • この本を持って中国旅行

  • 福建、泉州が舞台。海外紀行の見聞と思索が繰り広げられる中、感じるのは、東西両文明に偏らない著者のフラットさと謙虚さ。膨大な知識の蓄積がその背景のにあるから、どんな雑談でも傾聴してしまう。呉越と日本の海を通じた古い関係は、日本のルーツのひとつを垣間見るようだった。西遊記、元寇、鄭成功など、面白いトピックも自由に挟まれる。多分に科挙の弊による明の知的停滞がもたらした世界史への影響については、もしそうでなかったらと想像すると、一層興味深い。

  • 新書文庫

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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