悪魔という救い (朝日新書 (098))

著者 :
  • 朝日新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022731982

感想・レビュー・書評

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  • 「悪魔祓い」についての、本邦初の学術的入門書である。

     「悪魔祓いなんて、前近代の遺物だ」――と、そんなふうに思うのは認識不足。悪魔祓いはカトリック世界で正式に教理として定められ、教会の許可を得た「エクソシスト」によっていまも行なわれているのだ。
     しかもそれは、「まさに教会の聖務であって、決して異端的なものでも邪道なものでもない」、「教会における厳粛な儀式」なのだという。

     本書はその「悪魔祓い」について、オカルトの立場からではなく、澁澤龍彦のようにペダンティックなお遊びとしてでもなく、真面目に、かつシロウトにもわかるように概説したものだ。
     学者(著者は比較宗教史家で、東洋大教授)らしからぬ平明な文章に好感がもてるし、門外漢の私には目からウロコの記述も多く、わりと愉しめた。

     『デビルマン』から『デスノート』に至るマンガや、『エクソシスト』から『ダークナイト』に至る映画のように、悪魔の存在がベースにあるカルチャー/サブカルチャー(『デスノート』は悪魔というより死神だが)に親しんできた者なら、本書によってそれらの作品をいっそう深く味わえるだろう。「そうか。あの場面にはそういう意味があったのか」と……。
     
     たとえば、キリストが悪魔祓いに際して悪魔の名を問いただす聖書のワンシーンについての、次のような記述。

    《悪魔に名まえなんか聞いてどうするのか、と思われるかもしれないが、それは現代人の発想である。
     名を知るということは今の私たちには想像もつかないほど昔は重要な意味をもっていた。しかもこれはヨーロッパにかぎったことではない。
     名はその人を他人と分かつものであり、その人にとってかけがえのないもの、いわば自分という存在の一部である。むやみに他人に教えるものではない。
     呪いをかけるときがそうである。髪の毛一本でもその人の一部が手に入れば呪いをかけることができる。名がその人の一部である以上、ほんとうの名を知られると呪いをかけられる可能性が生じる。》

     「うーむ、『デスノート』というのはそういうことをふまえて発想されたのかなあ」とか思えて、興味深い。
     
     著者は本書の後半で、悪魔祓いに精神病理学からアプローチし、その謎解きも試みている。著者によれば、悪魔憑きの代表的症例はいずれも「精神疾患の症状として説明可能」なのだという。

     たとえば、異なるいくつもの声を出すのは「多重人格障害のごくふつうの症状」であり、全身を弓なりにして反り返るのも「神経症の発作としてはとくにめずらしい症状ではない」という。その症状は「後弓反張」もしくは「ヒステリー弓」と呼ばれるとか。 
     悪魔に憑かれた者が「他人の心を読む」とされる点についても、「ヒステリー患者が無意識のうちに発揮する感覚というのは、想像を絶するほどにとぎすまされるというから、それを発揮すればどんなささいな情報からも相手の心のうちを推量するのは不可能ではない」としている。

     まあ、そんなふうに理詰めで悪魔憑きを解説することについて、げんなりする読者もいるだろう。私は面白く読んだけど。

     もっとも、著者は大槻某のように反オカルトの旗幟を鮮明にしているわけではない。悪魔憑きを合理的に説明したうえでなお、終章「救いのありか」では、悪魔憑きや悪魔祓いのもつ“合理性を超越した意味”について、宗教史家らしい考察を展開しているのだ。 

     ただ、紙数もかぎられた新書のことゆえ、“悪魔祓いについて、一通りの知識と著者の思うところをざっと書いてみました”という程度のものでしかなく、深みには乏しい。

     中身も、少々薄い。
     たとえば、悪魔祓いを扱った映画の代表格『エクソシスト』『エミリー・ローズ』『尼僧ヨアンナ』に言及するのはよいとしても、その3本のあらすじを延々と紹介するのはやりすぎ。「これってただのページ稼ぎちゃうんかい」と思ってしまった。

     著者が同じテーマで、この2~3倍の分量でがっちりと書き込んだ大著が読んでみたい。

  • 映画のエクソシストなどを題材に悪魔と悪魔祓いの解説が長く続く。本の題名に近づくのは最終章。ここを読むと悪魔が人の救いとなることが理解できる。悪いことは全て悪魔のせいにして自分の心を救済する。

  • 悪魔というテーマというよりは、エクソシスト作品の紹介という感じ。もっとエクソシストや悪魔に対する考え方が具体的にかかれているかと思ったけど、「〜なのだろうか」「〜なのかもしれない」という文体ばかり。結局なんなんだ!てなる。
    それぞれの作品に対する考察は面白いけれど、内容としてはストーリーの解説と豆知識という感じ。
    がっつり悪魔やエクソシストについて知りたいという場合には向いてないかも

  • [ 内容 ]
    信者11億のカトリックの世界では、どうして「悪魔祓い」という摩訶不思議な儀式が、生き続けているのだろうか。
    解くカギは、「癒し」であり、「救い」であった!
    そして、その知恵は、現代日本の閉塞感打破につながっていく。
    「悪魔祓い」の、日本初の学術的入門書。

    [ 目次 ]
    第1章 悪魔祓いが今さらなぜ?―闇にひかれる人々
    第2章 不可知なものへのまなざし―『エミリー・ローズ』のメッセージ
    第3章 悪魔の存在証明―『エクソシスト』の衝撃
    第4章 神の愛の勝利―『尼僧ヨアンナ』の真実
    第5章 教会の公式見解―悪魔祓いと悪魔の正体
    第6章 エクソシスト・イエス―聖書が語る悪魔祓い
    第7章 二千年の伝統―『ローマ儀式書』への歩み
    第8章 悪魔憑きの科学―精神病理学からのアプローチ
    第9章 救いのありか―癒しを超えた可能性へ

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 宗教について学んでみたくなった。

    信仰の立場からではなく
    理性的な面から。

    この新書は初めてというくらい夢中になって読めた。
    リアルな描写にのめりこんだ。

    ただ、最後のまとめ方がなんかあっさり。
    前半が最高だったために、もっと心に迫る結論を期待してしまった。

    まあ、こういうまとめ型だよな、って感じで少し残念。

    エクソシスト見なきゃ

  • 2008/3
    キリスト教における悪魔という存在はどんなものか。日本でも狐に憑かれるなどという言葉もあるが、宗教的側面から人の心の問題に触れている。

著者プロフィール

1959年,横浜市生まれ。筑波大学卒業。トゥールーズ神学大学留学。東洋大学教授。博士(文学)。著書に『神呪経研究』『儒教・仏教・道教』『哀話の系譜』『妖怪学講義』など。

「2023年 『妖怪学とは何か 井上円了精選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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