京都ぎらい (朝日新書)

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著者 : 井上章一
  • 朝日新聞出版 (2015年9月11日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736314

京都ぎらい (朝日新書)の感想・レビュー・書評

  • 京都人とは、洛中に産まれ暮す人のことをいい、それ以外は洛外となり、京都人ではない。京都市民ならみんな、知ってる。そんな洛外の井上さんが書いた京都ぎらい。嫌いと言いつつ、京都愛をとても感じるなー。私も洛外なので、差別される感覚は良くわかる。室町時代まで遡る歴史や、寺社の写真掲載料の話など、意外で興味深い!こんなことまで書いても大丈夫なの?と少し思ったりもしましたが…京都好きな方に、ぜひ読んでみて欲しいですー

  • 著者の受け取り方が強調され過ぎていて、僕の好みでなかったので、途中で読むのを止めた。

  • 今残っているお寺の建物は江戸時代に建て直され、家康や家光は江戸の寺院復興に力を入れていた…など興味深い話もあったのだが、筆者の洛中への恨みつらみがひどすぎて、読んでいて嫌な気持ちにしかならなかった。
    私は東京の多摩地域の出身だが、正直、多摩地域だって23区の人たちからは東京都民扱いしてもらえなかったし、逆に今住んでいる横浜は、神奈川県民という意識より横浜市民という意識が高すぎて、横浜以外の神奈川県民からはうとましがられてるし、どこの都道府県も多かれ少なかれそういうことはあるんだと思う。確かに、京都の場合洛中の人たちのそれはすごいものはあるんだろうけれども、でも60過ぎたおじさんが、その劣等感をいまだに引きずって、恨みつらみを本で晴らすってどうなんでしょうね…?もっと若いときに折り合いがつけられないものなんでしょうか?
    また、南朝に思い入れがあるからという理由で右翼とか民族主義者だと思わないでほしいっていうのも、この世代の人たちってすぐそういう話になっちゃうんだなあ…。そういう凝り固まった価値観だから、苦しくなるんでないのかなあ‥。
    とにかく、私にはこの本が2016年の新書大賞第1位というのが理解できませんでした。

  • 著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
    これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。

    様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
    まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。

    兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。

    多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。

    そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
    尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・

    本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。

    井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。

    端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。

    この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。

    大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

    前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

    そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。

    といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。



    ※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。

  • 自分の心を客観視する理性とユーモアのセンスが感じられる。

  • 京都に都が長年あったのだということを再認識させてくれる面白い内容の本でした。
    洛外に住まいしていて、洛内の人間に所謂「差別」された筆者が持つ感覚は、本人でないと理解できないものなのだろう。
    それでも、京都以外の人間からしたら、筆者もれっきとした京都人であり、京都内で起こってきたこと、今正しく起こっていることを、面白おかしく、洛外人としてユーモアありのひねくれで、色んなことを書き綴っている。
    お坊さんのお話し、仏教の側面、歴史のなかから、見えること、平安京の副都心、など、今まで知らなかったことも知れ、興味深く読みました。

  • 京都ぎらいと言えども、著者は京都嵯峨の出身。
    著者によると「京都」というのは、「洛中」のことであり、京都市でも洛外は京都人にとっては、京都ではないそう。
    つまり「洛中ぎらい」ということである。
    それは、洛中の人にバカにされた経験に端を発するようだが、それにしても著者は随分根に持つタイプなのだろう。
    最初こそ、少し大袈裟に表現しているのかと思いきや、その怨念は本書の最後まで続く。
    東京でいうところの都下と23区のようなものではないかと想像してみたのだが、きっとそれ以上のものがあるのだろう。
    そして、全体を通して著者の言いたいことを、書き綴っているだけのように思った。そのあたり、乱雑に感じ、読んでいても腑に落ちなかった。
    とはいえ、拝観料と税金の問題や銀閣寺の古都税に対するストライキの話など、興味深い話もあった。

    ただ、個人的恨みがそこここに感じられて、読んでいても落ち着かず、少しだけ著者に対して嫌悪を感じた。

  • 素敵な京都、歴史ある京都、文化的な京都、とかく憧れの都として描かれる京都にこういう見方があったとは。
    興味深く読みました。

  • 発売当時から目を引くタイトルだったけど、新書大賞を取るに至って、これは読んどかないとってことで入手。自分の中での内容予想では、京都が好きなんだけど馴染めない筆者が、各方面から高評価を得ている店とか宿とか寺社とか諸々に関して、実はそんな言うほどでもないんだぜ、的内容なのかと思ってました。良い意味でその期待は裏切られ、京都人(というとダメな方)による京都人(として誇りを持っている方)に対するダメ出しだったんですね。終盤に差し掛かるまでは読み流していたけど、最終章で天皇家とかに話題が及び、靖国問題への考察に至る頃、かなり読まされている自分がいました。結論に向けての盛り上がりが良かったです。

  • 嵯峨出身の著者が洛中を妬む体裁の本。親戚が京都出身であることと、自分が大学時代を京都で過ごしたことから、著者の「京都ぎらい」の感覚を理解することができたので、個人的にはとてもおもしろかった。ただ、京都に馴染みのない人にはよく分からないだろうなとも思う。
    あと、「京都ぎらい」についての話はほとんど第一章のみで、第二章からは単に京都の歴史と文化という感じだった(ここでも著者の偏見が発揮されているが)。第二章以降の内容は、第一章がなければ読まなかったと思う。

  • よく京都行くけど、著者の書いていることはよくわかるな。みやこびと意識というか選民意識というか。
    でもいじめがなくならないのと同じで、人はほかの人と比べて優越感に浸りたいという脳のはたらきがあるのだろうな。京都の人は、生まれた場所を比べることでその満足感を得ているのだろう。

  • 結論から言えば、非常につまらない本であった。
    新書大賞って、なんなの?と思うくらいに。
    寺にまつわる話、武士のホテルとしての役割を果たしていたとかいう話、山の景観維持に一役買っていたという話、拝観料に関するアレコレは興味深く読めたけれども。

    ナントカ賞にだまされて、ホイホイと本を手にしてはいけませんよ、という教訓を与えてくれた点では、価値があったか。
    少なくとも、暇つぶしになりこそすれ、ためにはならない一冊である。

  • 年初に話題になったエッセイ、やっと読んだ。

    いやもう、笑ろた笑ろた。
    元・汎用関西人、現・首都圏住民からしたら、めっちゃ京都人な言い回しで全編埋め尽くされてますがな。

    嵯峨人としての洛中人への鬱屈、という体裁をとった京都地理案内。
    姫と坊主ならぬ花街文化と寺社文化を中心に展開する、京都財界事情。
    室町界隈と嵯峨との現在をわけた、南北朝と禅宗寺院から発する京都の歴史。
    すべてが最後の多様性を強調するくだりにつながっていく、なるほど!

    ところで、バブル絶頂期に京都のディスコに入店した舞妓さんのためにおのずと花道が開けたくだり。。
    当時、anan だか creaだか hanako だか忘れたけど、女性誌の京都特集に出てた舞妓はんがいうてた事とシンクロした。
    「お客さんの誘われてディスコにも行きますよ。だらりの帯とぽっくりでロックも踊るんどすぇ〜」
    という台詞に、その場面を強烈に想像したのをなぜかよーく覚えている。
    かっこええなぁと思たんやろなぁ (^^)

  • 著者の自虐的な書きっぷりがすこぶる笑える。本書で何度も書かれている洛中出身者のちっちゃな(本人にとってはおっきな)優越意識は、他県民の自分にはまだ信じられない。そして、坊主が袈裟姿で堂々と茶屋やキャバクラに出入りしているというのも、にわかには信じがたい光景だ。そして、寺院勢力にがんじがらめにされている都市、京都。

  •  はじめの「洛外を生きる」がとても面白い。東京も山手線の内側や旧15区が本当の東京、なんて話を聞くけれども、東京は人の出入りが激しく、「本当の東京人」や「江戸っ子」より、それ以外の人間の方が圧倒的に多い上、地価上昇と高齢化で、本物の東京人も郊外へ出ていくことが増えているので、そういった言説をおおっぴらに言う人は急速に減っている。それに比べると京都はまだまだ洛中に代々住み続けている人が多いのだろう。伝統や文化が受け継がれるわけで、そのいやらしさと素晴らしさは表裏一体のものだから、しょうがない。著者もそれは認めつつ愚痴をいっているわけで、そこが面白い。
     坊さんや芸子さんの話になると、京都に観光客として行く身としては、いやな気分になる。そんなに坊主が儲けていいのか、と。そんなに儲かるなら、そりゃ跡継ぐよな。田舎の寺は継いでも生活できないから継げないわけで。京都の大寺院の坊さんは課税されない収入でお茶屋遊びをしていると思うと、腹が立つ。特に夜間ライトアップするときは総入れ替えって話は、あきれた。それは宗教じゃない。テーマパークや映画館などの娯楽施設でしょう、それが許されるのは。
    そのあとの章で、一応フォローはしてあるが、よそ者としてはいやな気分は去らない。
     最終章では、自分の育った嵯峨がなぜ「田舎」扱いされる場所になったかを歴史的に説明している。南北朝の話だから、京都の人が「先の戦争」と言ったら応仁の乱を指すっていうのと、まあ同じ感じ。この部分は歴史好きや京都の人には面白いだろう。
     あとがきで「七」を京都では「ひち」と読む、とあり、本文を実際に確かめると上七軒に「かみひちけん(ママ)」とあり、笑ってしまった。
    もとは京都の読み方だとは思うけれど、西日本全体、「ひち」と読むところは多いです。別に京都だけの読み方じゃないのに「京都はこの読み方なんだ!!」と力説するところが京都人だな、と。東京の読み方が違うんだ!という、その自信。九州人は「ひち」と読みそうになるので、心の中で「どっちだっけ」と考えてから口に出すようにしています。慌てているときは間違えないように「なな」と言います。そんな自信、ありません。

  • なんか解るような解らないような京都論。
    洛中・洛外の地域格差はさもありなん。
    似たような意識はうちの地元や東国の方にもありますなぁ。
    京都はさらに千年の歴史が絡んで捻じれて縺れて出来上がった意識なのである意味根深いのかもね。
    実際京都に暮らしていた学生の頃は、生粋の京都人っていたかな~って思い返すと思い当らず、そもそも他府県出身者が多かったうえに、洛外の京都人しかいなかったかも。
    今の京都が江戸時代の景色で1000年の歴史はなかなか感じられないってのは言われてみれば確かになって思う。
    それでも京都すきですよ。
    わたしは洛中だけでなく伏見も嵐山も宇治も鞍馬もすきでっせ。

  • 東京を名乗れるのは旧15区で、品川・千住なんて処刑場だし、世田谷なんて狸の住む所でしょ?って感覚と同じなのかと。

  • 京都ぎらい。それは、京都の洛中に憧れる京都府民のこと。碁盤の目の中に住むことへの憧れ。平等院を有する宇治でさえ京都を名のることを許されないのであれば、我が故郷の田辺はいったいどこなんだ??

  • 井上昇一「京都ぎらい」読了。そうか、洛中以外はかっぺなわけですね。嵯峨出身の井上さんは、いやっちゅうほど洛中人に蔑まれてきたんだ。

  • 京都の人たちがもつ優越思想を、洛外に住んで被害にあってきた著者が忌憚なく書いている。
    だが本当に書きたかったのは、2・3章に記した京都の坊主の目に余る生臭さだったのではないだろうか。坊主丸儲けとはよく言ったものだ。宗教は、良いところだけではなく、恐ろしい面もあることを京都という宗教者に接することが多い著者が教えてくれた。

  • 評判になっていたから読んでみた。なんだかなあ。動物からは鳥だといわれ、鳥からは動物といわれた蝙蝠の子供のような歪んだ性格が、文章に染み出しているのが気になる。京都人には洛中選民思考が低通しているというくだりは普段から感じることではあるものの、そこまでひつこく(しつこく)書かれると食傷する。
    昔は舞妓芸子を呉服屋と映画産業が支えていて、今は生臭坊主が支えているという論は、さもありなんと思った。

  • 「京都ぎらい」というタイトルと帯から、てっきり京都以外に暮らす人々が京都を嫌いになるような本かと思っていたが、どうやら違ったようだ。最初から最後まで、洛外で育った著者が洛中の人々から受けた差別や蔑視に対する恨み言が並べられている。「京都ぎらい」ではなく「洛外を同じ京都とは思わない洛中の奴等ぎらい」といった内容。京都人はそこまで洛中洛外にこだわるのかと不思議な気持ちに。京都人や歴史好きには楽しめる一冊かもしれないが、それ以外の人には期待外れかも。古都税の話や僧侶と舞妓の話など興味深いテーマもあったが…

  • 京都(府)在住の著者が綴るアンチ京都本。
    確かに私の半径5m以内の京都人も揃いも揃ってろくなもんではないが、、、
    否応なく京都中心地を頂点とする地方カースト制度に組み込まれてしまった恨み言のようにも、裏返しの愛情のようにも思える。
    それほど深い部分もなく読みやすくて良かったけど、京都人に変な先入観がつきそうで人にすすめるかと言えばどうかな?って感じ。

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