新書576 ルポ 保健室 (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736765

感想・レビュー・書評

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  • 今の保健室の現状。貧困、虐待、性。
    養護教諭の負担は計り知れない。
    それでも子供たちに寄り添い続ける先生たちのお話。
    読了後はなんとも複雑な気分になった。
    親の気持ちで読んだし、子供の頃を思い出しながら読んだ。

  • 保健室は『最後の砦』

    教室や家庭、どこにも居場所のなくなった子が最後に辿り着くのが、保健室。
    貧困、LGBT、いじめ、虐待、心の問題。
    保健室の風景は、10年前とはまるで違う。
    そんな子たちの些細なSOSにいかに気付けるか。


    私のバイブル本。
    どんな子も、見捨てない。
    奮い立たせてくれる一冊。


  • 子どもの頃、保健室には身体測定とケガをしたとき以外ではお世話になったことのない僕です。たまたまなにげなく見たテレビの特集でなんとなしのイメージがあるばかりで、具体的には保健室ってよくわからず、でもなんだか知っておかねばならないような……というひっかかりを本書のタイトルから感じて、手に取りました。

    保健室ってどう機能しているのだろう? どのような苦しみを背負った子どもたちがやってきて、どういった悩みが寄せられるのだろうか。そこで養護教諭はどんな対応をしているのだろうか。著者が実際にいくつかの中学校の保健室に滞在し、そのなかでリアルタイムに経験したものや、養護教諭や生徒への取材から知ったことなどを中心とした内容です。昨今の子どもたちのリアルな負の部分、それは虐待や貧困がそのひどい部分が主なところです。また負の部分というよりも、子どもたちが悩んでいたり弱っていたりする部分、社会の変化やその社会の変化からの相互作用によって自分たちに生じた変化にもがいているような部分、そういったところから保健室でこそ発せられるSOSを世に明らかにすることで、その内容が多くの大人の読者たちが知ったり考えたりすることができるように問いかけてきます。

    第一章では、さまざまな子どもたちのいろいろなケースが語られる。しかし、養護教諭は話を聞き、励ましたりアドバイスしたり寄り添ったりはできますが、たとえば家庭での貧困や虐待にはなかなか介入ができない。それに、中学校の三年間が終わったり養護教諭が転勤や退職になると、悩める子どもとの縁が切れてしまう。第一章だけ読むと、歯がゆくてたまらなくなります。ほとんど放置じゃないか、と。家庭の味はインスタントラーメンという母子家庭(母親に健康上の問題がある)の子ども、愛着障がいの子ども、マスク依存の子ども、それぞれが難しいケースで対症療法的な軽いアプローチをするのが関の山のようなところがありました。

    しかしながら、第二章のひどい虐待を受けている女生徒、それもあらゆる虐待を経験し続けている女子ですが、彼女と養護教諭との交流や、第三章のつよい精神薬を服薬しながら保健室登校している女生徒と養護教諭とそのチームの関わりの話、第四章のLGBTの男子生徒と、卒業後も続く養護教諭(養護教諭が退職後に町の保健室を開設したがため繋がっていられた)の話、それらが、各々の場所でなんとか活路を見出すために獅子奮迅しているさまに、なんともいえず胸が熱くなるときがありました。

    「困った子は困っている子」という本文中の言葉に、そうだよなあ、と肯かされました。各学校に少数でもそういった困っている子がいるとして、全国でトータルしてみれば、そして各世代を合計してみれば、いまも苦しんでいる人はかなりの数になるでしょう。

    児童相談所に連絡しても、かなりひどい案件だったとしても「様子をみましょう」という対応になることが多いそうです。児童相談所が抱える事案がことのほか多いためではないか、と書かれていました。だとすると、「ちょっと待て」となりますよね。苦しんでいる子どもたちがどれだけの数いるのか、と。その一人ひとりの苦しみの深さを考えたうえで、その一人ひとりのケースの集積を思うと、子どもたちの問題はとてもつもない大きな問題だとあらためてわかってきます。

    第一章ではがゆいような思いをしたと書きましたが、こういった多くのケースは家庭に介入できないことがネックになっているからでした。文部科学省では何年か前からスクールソーシャルワーカーを地域ごとに設置し始めていて、彼らであれば家庭に介入する動きができるため、今まで助けられなかった子どもたちと同様のケースに希望がすこしずつ見いだせるような体制にはなってきているとのことです。

    本書を読んでいると、養護教諭はなんだか伴走者のようです。といいますか、訪ねてくる生徒に対してまるで伴走者のようにふるまえる養護教諭であれたならば、コトは好い方向へと流れていきがちなのかもしれない、という印象を持ちました。現役の教師でも、養護教諭や保健室に対して否定的な考えを持っている人が多いようなのですが、たぶんに、養護教諭を伴走者のイメージで見てもらえたなら、価値観がちょっと変わるのではないでしょうか。まあ、教師っていろいろと信念や考え方ががちっとした人も多いでしょうから、なかなかそうはいかないのかもしれませんが。

    保健室という場は、たとえばSNSがそういった場として機能する場合だってあるのではないでしょうか。僕がネットを始めた97年ころ、契約していたinfowebというプロバイダに加入者専用の広場(掲示板)があって、そこはとてもくつろいだ優しい雰囲気で、そこでの会員同士の交流には悩みの告白とそれへの励ましなども多く、またネット初期特有の独特なオルタナティブな感覚で時間がゆっくり流れていて、今思えば保健室的かもしれないなあと思えるのです。そこは加入者が増えていくにつれて荒らしが増え、悪貨は良貨を駆逐するのごとく閉鎖にいたるのですが、荒れだすまでの良質だった空間をその場で過ごせたのはネットに対する原体験として僕にとってはとても好いものでした。そういったコミュニティーがSNS上にぽこぽこと点在している状態になったら「豊か」ではないですか。

    本書のようなルポから、子どもたちの「現在いるところ」に注目できると思います。まるで見えてなかったところに視線を定めてもらえた感じは僕にはしました。
    著者ははじめとおわりにこう書いています。
    ____

    保健室が、子どもたちを救う最前線として認識され、その力をさらに発揮できるようになることを願う。この社会はそれだけでずっと良くなるはずだ。
    p10 & p249
    ____

    読み終えた今ならば、肯くばかりです。

  • 小学校の時、保健室は逃げ場の一つだった。
    周りより少し大人びていた私は、放課後に、休み時間に、そこに駆け込んだ。
    話を聞いてくれる大人がいることに安心した。
    中高ではそんな少女たちがたくさんいた。
    追い返されたこともあったが、今考えればある程度見極めていたように思う。

    本書に登場する子供たちは、当時の私よりずっと過酷な状況である。
    私と同じ、などとは言えない。
    発達障害が疑われるのに、保護者や教員の理解を得られぬ子、虐待を受けている子、貧困に喘ぐ子......。
    見えない、見ようとされない子供たちを必死で支えているのが養護教諭たち。なのに彼女たちも理解されず、孤軍奮闘を強いられている。
    この需給のミスマッチはなぜ起きるのだろう。

    「困った子は困っている子」という言葉が印象に残る。
    一般の大人が考える以上に子供たちは困っている。
    しかし彼らは、表現方法も、発信力も、何もかも未熟で、うまく自分を語れない。
    それを補って汲み取ってあげる側の大人も、余裕がない、知識がない、いろいろな理由で十分に向き合えていない。
    そのため、「できる人」に負担がのしかかる。

    すでに提言されているようだが、本当に今、必要なのはチームを組むことだ。
    スクールソーシャルワーカーを入れたり、複数配置にすることが子供のためにも、支援者のためにも重要なのだ。
    善意だけでは人を支えることなどできない。
    本当に、この社会を持続させていきたいのなら、もっと子供に予算を使わなければ、間違いなくこの社会は消滅する。

    「まちかど保健室」の提案は魅力的だ。
    子供食堂と合わせて解説できれば、より適切なフォローができるように思う。

  • ネグレクトや貧困、どんな状況でも学校に来ている子どもたちがたくさんいる。保健室は子どもたちが平等に頼れるセーフティーネットでなくてはならないなぁ。

  • 自分が小学生の時のいわゆる「保健の先生」は、ちょっとすりむいたくらいで来るな!と追い返す年配の女性だったから、気軽に行くことはできなかった。しかし子供は、ちょっとした怪我でも絆創膏1つ貼ってもらうだけで安心するのだと、大人になってから気がついた。本当に欲しいのは手当てではなく、構ってもらえた充足感なのだと。
    学校だけでなく地域にも保健室を、という活動はとても素晴らしいが、それだけ心の拠り所を求める人が増えているのかと思うと、メディアによる社会や家族の在り方への警鐘はほとんど無音に近いのかもしれない。

  • 学校関係者の方ではなくても、読んで欲しいです。私の家族には、私がどんなことをしているのか、話すよりも読む方がずっとよく解ると思います。

  • ▼東京大学附属図書館の所蔵状況(UTokyo OPAC)https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003664288

  • 臨床心理士の立場から。養護教諭の先生の役割はとても大きい、どちらかというと閉じて入りづらい(相談という用事がない限り)スクールカウンセラーの部屋とどちらかというと開いていて入りやすい保健室、そこの違いも大きくあるような気がした。どちらが何を背負うべきという話ではなく、スクールカウンセラーはスクールカウンセラーとしてより学校に根ざせるように何かできないものかと考えさせられた。

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著者プロフィール

1980年生まれ。東京都出身。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当 。2013年に退社し、フリージャーナリストに。九州女子短期大学特別客員教授。著書に『ルポ保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)、『戸籍のない日本人』(双葉新書)。

「2019年 『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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