丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 (朝日新書)

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著者 : 高橋源一郎
  • 朝日新聞出版 (2016年11月11日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736949

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丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 (朝日新書)の感想・レビュー・書評

  • ぼくらの民主主義なんだぜ2
    私は考える事が大変苦手ですが、今後の日本の事を思うなら、考えることを止めてはいけないんだと思いました。声を出せるかどうかはわからないけれど、考える事は続けます。

  • 2017年?冊目(途中から数えていない)「丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2」読了。

    著者の高橋源一郎さんは、以前読んだ内田樹さんの書籍にとても面白い文章を掲載されていた方だったので、気になって読んでみた。本書もそのとき読んだ内容と同様、とても面白かった。他の方の引用も多く、興味が持てる。中でも政治批判がとても痛快だった。読み終わって感じるのは、著者は常に自分の中にある違和感と向き合っているということ。人間なかなかそういうものに深く剣に向き合うことはできないなと。

    (以下抜粋)
    「政治って私たちが参加できるものなの?」という問いに、木村は「まず考えることが政治にかかわるということ」と答え、「18歳からの選挙権、何をすればいいの?」という問いには、「自分をしっかり確立し、意見の異なる他者と共存する準備」をするよう呼びかける。その木村の誘いへの、女の子たちの応答の柔らかさが素敵だった。

    大人たちがやっきになって、なにか教えこもうとしても、子どもたちは聞く耳を持たない。なぜなら、この世の中には、もっと楽しいことがあって、それは「授業が終わった後」、「学校の外」に存在していることを、彼らはよく知っているからである。この、大人によって教えることのできない、子どもたちの性質を、鶴見俊輔さんは「教育をはじきかえす野生の力」と呼んだのである。

    アーシュラ・クローバー・ル=グインは、少数派のことを「左きき」と言いかえてみた。確かに、わたしたちの世界は「右きき」の人たちに適するようにできていて、同時に、それが当然のことになっていて、わたしたちは、「左きき」の人たちが、どんな風に不自由を感じているか知らないのである。だから、少数派は、いつも不安だ。けれども、少数派は、多数派の知らないことを知っている。諷刺漫画家は、いつも世界を歪めて描く。でも、彼らは、わざと歪めて描くのではない。世界はもともと歪んでいることを(少数派にとって、多数派が作る世界は歪んで見えるのだ)知っていて、それをそのまま描いているのだけなのだ。

  • 公開謝罪、自主規制、空気と暗黙のルール。。。民主主義(デモクラシー、民衆による支配)には、本質的に愚かしさがある。民衆の気持ちは移ろいやすく、事柄の成否を本当には判断できない。本来、政治とは公の議論である。紀元前、ギリシアのプニュクスの丘の上では数千のアテナイ市民が論じ合った。

  • 昨年発売された「ぼくらの民主主義なんだぜ」の続編、朝日新聞の論壇時評で書かれたものとその他雑誌などで発表された文章に加筆・修正されたものがまとめられています。

    前作に続けて、たくさんのメッセージが読者に投げかけられていました。
    中でも僕が印象に残ったのは、「オバマさんのことば」。昨年、5月ヒロシマを訪れた際のオバマ演説を聞いてひっかりを感じた高橋さんが、演説の中で使われた「私」という言葉の回数を数えた(私たち…75個、私…4個)ところから内容に関する分析をおこなったところ(「私(オバマ氏)は思う」と触れられたのはたった1か所だけ)。政治で使われる「私たち」は、抽象的な囁きで「私」を見失わせていくという指摘はとても考えさせられました。「私たち」といった瞬間にそこに入らないと感じる人たちをつくり、また無意識の内に作り分けてしまう面があることは、社会運動においてもきちんと考えておかないといけないですね。

    障害者運動は、権利条約の策定過程で使われた「Nothing About Us Without Us」(私たちぬきに私たちのことを決めないで)ということをこの間の運動のスローガンにしてきましたが、そのことの意味を深く考えたいと思いました。

    「オバマさんのことば」と対比する形で、本では「美智子妃のことば」が取り上げられています。ほとんど触れたことのなかった僕としては、その内容もとても印象的でした。

    ぜひたくさんの人に読んでほしい一冊です。

  • 朝日新聞の論壇時評として定期的に掲載された文章を載せた『ぼくらの民主主義なんだぜ』の続編になる。第一部は、同じく論壇時評を収めたものになっている。第二部と第三部も、雑誌などで既出したものを集めているが、読んだ感覚からもそうだとわかるように大幅に書き直されたものであるという。

    朝日新聞に掲載された論壇時評をほぼそのまま載せた第一部は、正直に言うと高橋さんのものとしては少し期待外れではあった。新聞向けに書かれた文章というものは、そこに置かれてこそフィットするものであり、単行本に収められたときには、どこか収まりが悪いように感じられた。内容には、高橋さん自身が震災のために卒業式が中止になった卒業生に贈ったことば、大岡昇平の『野火』、パリのテロに対する「憎しみはあげない」のメッセージ、ノーベル賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェイビッチ、SMAPの謝罪会見、森達也監督のドキュメンタリ『FAKE』などが取り上げられていて興味はそそる。ただ、字数の制限もあるのか、高橋さんのいつもの深みが感じ取れないようにも思えた。おそらく、高橋さんに対する期待が高いからだということもあるのだろう。

    そのことを考えると、第二部と第三部は、朝日新聞に書いた論壇時評の長い補足でもあったように思う。その並びも丁寧に考えられたもののように感じた。そして、論壇時評を書くことで高橋さん自身が影響を受けたことを示すものでもあったのだと思う。特に第三部は、高橋さん自身の告白であり、これまで高橋さんが書くことがなかったようなことばが書かれていると感じた。

    第二部は、「彼と彼女と彼らのことば」と題され、安倍さん(とお友だち)のことば、オバマさんのことば、美智子妃のことば、が並べられる。安倍さんとそのお友だちの百田さんのことばについては、断定的な彼らのことばに複雑さの排除とそれがゆえの浅さを見る。他者のことばに対して耳をふさぐことの危うさをユーモアを交えて指摘する。
    一方、オバマさんについては、広島訪問時のスピーチを引用して、そこに「私たち」の多用、すなわち「私」の不在のことば、を見つける。わたしは、単にそれを歴史と現状を踏まえたとても素晴らしいスピーチだと感じたのだが、それはわたしの「ことば」に対する感度の低下と「考えること」が欠けていたのではないかと思った。「私たち」は、「私」に比べて抽象的である。「私たち」を使うことで、ほんとうはだれのことを指しているかわからないことばになる。また、「私たち」という言葉の中には、そこに属さない「やつら」を無意識に置いてしまうことで「やつら」の排除を含意することもある。高橋さんはオバマさんの「私たち」に政治的なにおいを感じ、このスピーチ以外でも「私たち」が使われることに違和感を覚えるのだ。
    そして、両者のことばと対比するように意外にも美智子妃のことばを取り上げる。美智子妃の文章には明確な「私」がいる。政治的な立場でことばの自由を縛られた立場の中で発したことばの中において「複雑」な世界の「複雑さ」を表現している様について感嘆する。そこに辿り着いた道のりを高橋さんは知りたいという。高橋さんは「文学」を「複雑なものを複雑なまま理解しようとする試み」であり、「最初から最後まで、その対象と共感しようとする試み」であるという。なぜなら人間とは複雑なものだからだ。高橋さんは「文学」を通してずっと「複雑さ」の表現を求めてきた。高橋さんにとってはそれは守られなければならない価値でもあったし、「文学」にこだわる高橋さんの姿勢でもあった。民主主義をテーマに掲げる本で、その仕組みの中で選ばれた安倍さんやオバマさんのことばに「複雑さ」を壊すことば見て、自らの意志によらず置かれた政治的な立場の中で語る美智子妃のことばに高橋さんが大切にする「複雑さ」の表現が同じよう... 続きを読む

  • 政治に「専門家」なんて必要あるのか?
    ホントは政治家は「丘の上のバカ」でなくてはいけないのではないか?
    なぜ政治の専門家の親分が右向け右と言ったら、全員が右を向くような政治になってしまったのか? 私たちにも責任があるんだろうな、こんな政治を行なっているのに内閣支持率は高止まり。
    我々も政治的無関心の「専門家」になってしまっている。

  • 前作が素晴らしかったから、当然のごとく入手した続編。今回は、前回よりも引用が減っていて、その分、筆者の言葉が強く響いてくる。といっても、大声でただ主張している訳ではなく、どちらかというと控え目に、でも徹底的に思慮深く紡がれる言葉の数々は、いちいちが瞠目に値する。タイトルも、最初は”何のこっちゃ?”って思ったけど、民主主義の本質を表すものだったんですね。って、そういう一面的な理解を、恐らく筆者は望まないのでしょうけど。

  • 『ぼくらの民主主義なんだぜ』の続編。
    前作は新聞の論壇で書かれたものを集めたものなので正直字数制限から踏み込んだ議論ができていないように感じたが、今回はその連載の残りのぶんに加えて様々な媒体に書いた長めの論考も収められており、読み応えがある。
    相変わらずの引用の手つきといい、最近ちょっとついていけないなあと感じていたけれど、この人はやっぱり「自分の言葉」をしっかり持ってる人なのだなあと痛感。

  • 自分自身、丘の上のバカのひとりであること。
    呼び込むつもりがないものでも、ある環境が整えば産み出される。民主主義とは本当に生き物だ。しかも、最も質の悪い生き物と思える、人間が産み出した生き物だ。この先、どこに行き着くのだろうか。終焉へのスイッチ、もう押されてしまったような気がする。

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丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 (朝日新書)の作品紹介

公開謝罪、自主規制、空気と暗黙のルール…。それらに屈することのない、自由な「バカ」ものはこの国にもたくさんいる。強きを尊しとしない、ほんとうの民主主義を全力で考える。

丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 (朝日新書)はこんな本です

丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 (朝日新書)のKindle版

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