- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022737977
作品紹介・あらすじ
【社会科学/社会】高級官僚の異様なまでの忖度力。超エリートとして高い実務能力を持ちながら、なぜ倫理意識の欠如は起こるのか。淵源には「城山三郎の官僚史観がある」と指摘。小泉・新自由主義後に現れた「第二官僚」とは何か。「民主主義の迂回路」を形成する政官の実態と思想的背景に迫る。
感想・レビュー・書評
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官僚になる人はスーパーエリートに違いないのだが、近年??と思うことも目立つ。
安倍政権の時に、森友・加計案件が問題視された。
このように後で問題が発覚した時に、事実確認と問題の原因を検証するために記録がある。
正直に文書を開示すればいいだけなのに、なぜかそうしない。
これが日本の政治か?官僚のモラルはどうなっているのか?と悲しくなった。
・森友公文書改ざん問題での佐川宣寿(当時財務省理財局長)の黙秘
・加計学園問題での文科省「総理のご意向」文書の存在隠しや公開拒否
と、官僚がなぜ真実を隠す行動に出るのか、何に怯えているのか、理由が分からなかった。
安倍政権が設置した内閣人事局。これで首相官邸が官僚の人事権を完全に握った。
その結果、官邸の意に沿わない高級官僚を排除する人事が次々となされた。
逆に官邸の意向に沿う官僚はとことん優遇された。
この、総理大臣に近しい人を異常なまでに優遇し、そうでない人は排除するという権力の乱用が組織のモラル低下原因だった。
民間企業は新自由主義の社会にいて、成果主義・能力主義で無駄をそぎ落とした生産性の高さで他社と競争している。
対して官僚組織は外部にライバル組織がない競争なき世界である。
見方を変えると、外部に同等の働き場所がないので、今いる組織の中で生き延びるしかないのだ。
官僚は法令に違反しない限りクビにはならない。
人材の潰し合いになるから年功序列で(同期以外とは)競争はない。
そして、政治家なしには仕事ができない。
政治家のご機嫌取りの仕事をしないと自分が潰されてしまう圧力の中で働く職場になってしまった。
何年もこんな状態が続いたので、今や官僚の仕事は魅力的でやりがいのあるものではなくなった。
政権がこんな官僚の使い方をしてはダメだと意見する議員はいないのか?とも思っていた。
安倍政権では閣僚に対しても、反論する大臣に「総理大臣を支持しないなら辞職せよ」と「恫喝」した。
これでは、全員一致の閣議決定で反対者が出ないのも当然だ。
自民党議員も黙認または支持する人ばかりなのが異常に見えたが、仕打ちが怖かったのだろう。
佐藤優さんは、政権発足からしばらく、安倍晋三は「反知性主義」の人間だと批判していた。
これは知らなかったし、「反知性主義」って言葉も初めて聞いた。
反知性主義の人は、「自分が理解したい形で世界を理解する」のだそうだ。
自分のことが好きで好きでしょうがないので、周囲を見ない。
自分を攻撃する人には、すぐに感情的になって、非論理的な言葉をまくしたてる。
知識が足りないだけでなく、知識や知性を憎んでいる。
都合の悪い要素は、いくら正論であっても雑音にしか聞こえない。
だから、啓蒙による説得は不可能。
ゆえに、権力を持つと手強い。
そういうことなら、新たな疑問が湧く。
なぜ、安倍晋三が総理大臣にまでなれたのか?
その理由がわからない。
政治家も国民も「反知性主義」がメジャーになっているから?
そうだとすると嫌だな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
官僚は社会のどの階級にも属さず、税金の徴収と再分配という本来国がやるべきことを、今の社会はできていないというのが印象的だった。官邸の意向を見て動かないといけなくなったことはやりがいの減少につながり、社会の弱体化にとつながると思った。自分の頭で考えられる人になることが皆大事だと思う。
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ふむ
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元外務官僚の佐藤優が、官僚の実態について書いた一冊。
元官僚だけあって、その言説には説得力があった。 -
●佐藤さんの著者の中ではちょっと精彩を欠くというか、切れ味が少ない。
●なんだか尻切れ蜻蛉みたいな終わり方だし、全体的にくどいし、何を言いたいのかイマイチね…
●前にも階級論で本を出していたけど、それよりは全然平易で読みやすい。 -
少し内容が拡散気味で、なるほどと思う部分が半分、やはり元官僚と思う部分が半分という感じ。
「第二官僚」の恐ろしさはもっと世の中に認知されるべきだが、それも官僚社会が生み出したものと言えないだろうか。
税の再配分がおまけというのも悲しいながら納得。
徴税においてさえ、ふるさと納税、軽減税率がまかり通っている現実では再配分の議論も空しい気がする。 -
国家は社会に対して支配力を行使する、その実務を担うのが官僚。
社会の側にいる人たちが働いて得たお金を強制的に税として収奪して見せかけの再配分をしてくっている人々。 -
統率者が当事者能力を失い、権力が下降すると複数のローカルルールを組み合わせる必要があり、全体像が大きく歪む。という権力構造については今後考察してみたい。
あとはオウムの死刑執行は天皇の赤子から天皇の官吏への移行であり、「平成のことは平成のうちに」という「国家の都合」であり、恣意的になされたものであるという指摘は盲点であった。こういう事にオカシイと気付く能力がないとイケナイ。が、その事に対する国民の反発は殆どなかったので、いちおう主権者としての統治は利いているという事にはなるのだろうが、国民の側ももうちょっと勉強をする必要があるのかもしれない。でなければ、感情や情緒によって国家運営がなされていくことなりかねない。 -
●中央省庁と言うのは「競争の土俵に上がらない」「自分を追求して個性を発揮できなくても生きていける」まさに保障された安全地帯でもあるのです。
●エリート集団の中で激しい競争でもされたりしたら、人材のつぶし合いになって、組織としての機能不全を起こしかねないからです。
●人間の承認要求を利用して「ただ働きをさせる」つまりそれは「やる気の搾取」です。人々をバラバラにして競争させる、こういった新自由主義社会は官僚にとってとても統治しやすい国である。
●筆者は、安倍政権も反知性主義だとして批判的な立場から評論している。反知性主義とは「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が理解したい形で世界を理解する態度」
●外務省ノンキャリア、20代で2000万くらい軽く貯まる。非課税の在外手当がでかい。
●外交官と言う身分に政府専用機が組み合わされると、一般国民には決してできない「密輸」ができる。