人物破壊 誰が小沢一郎を殺すのか? (角川文庫)
- 角川書店(角川グループパブリッシング) (2012年3月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041002582
感想・レビュー・書評
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オランダのジャーナリストであるウォルフレン氏は「人間を幸福にしない日本というシステム」を筆頭に、極めて挑戦的な著書が多い。反体制的な書籍は国内外を含めて、あるいは何時の時代においても語られる内容に大きな違いがあるわけではない。体制に対する声というものは、古今東西それほどの大きな違いがあるわけではないということである。現在の状況を見ると「他人の話に耳を傾ける」権力者というものは存在しないのではないか、と絶望的な気分に陥る。別の言葉を使えば「他人の話に耳を傾けるような人間は権力者には向かない」ということなのかもしれない。
長期にわたって繰り返されているウォルフレン氏の日本における体制批判をこころよく思っていない人も多いように思う。しかし、そうした論調こそが同氏の言う批判の骨格となっているのではないか。脅威となる人間の排除。しかもそれがひっそりと行われるということが大きな問題である。もっとも現状を維持したい人間からすれば「脅威となる人間」の存在自体が問題なのだろう。こればかりは水掛け論となり結論が出るということに期待は持てない。
小沢氏失脚のタイミングと強制起訴に至るまでの経緯に違和感を感じた人は多いのではないか。この手の話題に触れると「お伽話のような陰謀論はやめてもらいたい」として非難されることが多い。しかし、どんな人間でも自らの意思で動いている以上「陰謀」という言葉がそこに入り込んでくる余地があることは否定できないはずである。国や会社というシステム内での活動でも、最終的なバックボーンとしては「従うか否か」という判断が含まれるという意味で、人の意思は「陰謀」として発現することもあるように思う。ちょっとした思惑が後になって「陰謀」だっと評価されることはそれほど珍しいことではない。たとえ本人が意識していないとしても。
彼らは「変えようとする力」が弱いうちは無視を続ける。それは平和な光景に映るかもしれないが、一部の人間に多くの物事を支配されているということであり、決して健全な状態であるとはいえない。なぜかと言えば、そうした状態は単一の方向以外に動く可能性が極めて少なく、状況が画一化されることによって、多彩な方法を探すという手段が抹殺されていることとなるからである。そんな世の中でいったいどんな問題が解決されるというのだろうか。
司法、行政、立法に加えて第四の権力たるマスコミですら画一化された状況は「認識」しておきたい。報道されたときには多くの関心が寄せられる。しかし、そうした事実の後日談はいったいどこにいってしまったのだろう。多くの事実が曖昧なまま闇の中を彷徨っている。こうした事態に対応するには個人個人が与えられる情報のみに満足することなく、自ら情報を追求する術を身に付けること。仮に同じ横暴を受けるにしても、多くの事実を認識したか否かという要素はその意義において大きく異なる。それはそのときの精神状態にも、今後の行動にも大きく影響するのではないかと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ウォルフレンは肩書きがジャーナリストなんだけど、どういう取材対象にあたっているのかその著書から見えてこないので、記述から推測の部分を切り離すことが難しいな。この本では、山縣有朋についての考察を、もう少し詳しく書いて欲しかった。