続氷点(下) (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 1488
感想 : 97
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041003855

作品紹介・あらすじ

大学生になった陽子は偶然実の弟・達哉に出会い、実母・恵子のことを知る。また兄・徹と、徹の親友・北原に求愛され悩む陽子。複雑な人間関係の中で、いつしか陽子は成長し実母への憎しみが薄れていく……。

感想・レビュー・書評

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  • ふとした出来事から歯車が狂って、取り返しのつかない状態に陥っていく。
    後悔しても、後悔してもしきれないところではあるのだけれど、それも人生と割り切るしかないのだろう。
    最近読んだ「さくら」もそう、きっかけは時計の電池切れ、だった。ほんと些細なこと。
    全然関係ないけれど、「ダーウィンがきた」でやっていた「巨大なまずの鳩のみ」を思い出した。ほんの一瞬の気のゆるみ、それが鳩の人生を変える。鳩は水を飲んでいただけだ。

    根底にあるのは、皆さんのレビューにある、「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」。これは強烈に心に残る。

    (コレクションした音楽も、録画した映画も、本も、もうすべて読む/観る/聴く時間はまったく残されていません。集めても仕方がない。そんなことする時間が人生の貴重な時間を捨てていることに気づくべきだ。いつか見る、いつか使う、そんなときはもう来ない。断捨離して、家族との時間を大事にして、外の空気を感じた方が、人生豊かに終われるだろうな、とわかってはいるのだが。。。)

    陽子ちゃんの人生はこれでよかったのだろうか、大事なのは家族で、それはしみじみ感じるけれど、この家族は幸せだったのだろうか。ちょっと悲しい。

    クラ館、黒百合会、古川講堂、中央ローンなど、卒業生であれば馴染みのある風景が散りばめられている。

  • 学びや自己覚知のない母夏枝の存在が
    自己愛性の強い女性の象徴に感じられてならない
    人物それぞれの視界が広がり重なって変化し
    万事を受け入れて生きる人間の強さに胸が熱くなる



  • 終盤、どんどん読み進めた。
    私も、陽子の立場なら、北原を選ぶかも。

    一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。
    この言葉にこそ、真の人間の生き方が示されているような気がする。

    与えられる、人になりたい…。

  • どういう帰結になるかなと思っていたら、こういう終わり方か〜、、なんとも言えないな。本当はすっきりハッピーエンドで終わって欲しかったけど、つくづく辛い身の上の陽子、、、
    「続・氷点」は、人への「赦し」や「裁き」について考えさせられるものだった。たまに聖書から引用や牧師さんの言葉が出てきて、なるほど聖書を読んだり教会に通ったりするとこういうことが分かるんだなと思った。
    「人のことを責めたり裁いたりしていいのは、罪のない人間だけ」というようなことや、「人は皆自分のことが正しいと思っていて、考えが違う人間のことは見下している」など、なるほど確かに、私も人のことをどうこう言える資格はないなと思ったり。
    「愛とは感情的なものではなく、意思的なもの」といった啓造の言葉や、「たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である」という聖書の引用も、とても印象的だった。

  • ゆるし
    読みやすかったけど難しい内容だった。
    正しいこと、ってなんでしょう。

    生い立ち、が人生に影響を与えている登場人物の気持ちはわからない。しょうがないか。

  • ひとまずは読了。

    “赦す”がテーマなんだろうが、やはり思想感の違いか、おっちゃんには難しいテーマだった。

    続の二冊は、前作より少し間が空いた後の作品らしい。ならば、おっちゃん的には無理して世に放たなくとも…と思えた。

    登場人物それぞれに思うところや、スネに傷が…みたいな話は承知だが、…無理に理解しようとするとなると、一筋縄では理解し難い。

    時代背景が重苦しい時代なのだから…ってのは、言い訳なのかな?

    自分の喉元に刃が突きつけられているのに、他を守ったり…ってのは、おっちゃんには出来ない相談ですね…。
    だからといって上官の思う通りにしたらば、それはそれで非難される…。

    本当に激動の時代を生きてきた、見てきた人にしかわかり得ないお話だと思う。

    たとえ物語と言えど、おっちゃん風情若輩者がとやかく言うことは、憚られる気がしてなりません。

    そしてシュークリーム様、閲覧ありがとうございますm(_ _)m

    またXにてもネタを出してます。

    乞うご期待!w

  • 上巻は、『氷点』の最終盤での騒動の直後という情況から物語が起こる。そして時間が少し経過し、『続 氷点』の鍵になる「三井家の人達」が登場するようになる。
    下巻では、血の繋がらない兄の徹と、兄の友人ということで知り合って親しくなった北原との間で揺れていた陽子、そして「三井家の人達」を巡る挿話が多くなる。
    『氷点』は陽子が成長する過程の子ども時代が相当に入るのに対し、『続 氷点』は陽子が既に高校生や高校卒業後、或いは大学生である。それ故に「陽子の目線」という部分が多い。
    『氷点』の最終盤で陽子は高校2年であるが、『続 氷点』の中では大学生になっている。数年経っているということになる。そういった事情を踏まえ、<見本林>が在って、辻口邸が建っていることになっている神楽や旭川の街での挿話に加え、札幌での挿話も少し多くなり、加えて作中人物達が旅行に出るような場面も在る。
    作中、作中人物達が色々と行動する中、東京方面への旅行に飛行機が登場する、蒸気機関車が牽引する客車が専らだった中にディーゼル機関車やディーゼルカーが散見している様子が登場する、更に自家用車を使う例も色々と出て来る。そういう辺りに、「昭和40年代前半頃」という「色々な意味で様子が変わっていた時代」を想った。
    時代が如何変わろうと、結局「人間」は然程変わらないという一面も在るのかもしれない。故に、本作のような、発表されてから相当に年月を経ている小説が読み継がれているということなのかもしれない。
    「秘めてしまっている悪意がもたらす何か」という人生模様、「悪意」たる「罪」というようなモノと向き合わざるを得なくなって行き、心が凍て付く思い(=氷点)を経験することになる陽子というのが『氷点』だった。これに対して「悪意」たる「罪」を「償う」とか「赦す」というような道筋を見出そうとする劇中人物達を描くのが、この『続 氷点』ということになるかもしれない。
    やや旧い作品で、既に読了という方も多いとは思う。が、自身が極最近迄未読であったことから、未読の方も多いと想定する。そこで内容に踏み込み過ぎないように綴っている。
    作品内容と直接的に関係は無いかもしれないことを加えておく。偶々、三浦綾子作品を何作か読んで興味深かったことから、『氷点』と『続 氷点』の「辻口邸」の辺りということになっている<見本林>、その辺りに在る<三浦綾子記念文学館>を訪ねる機会を設けることが叶うという出来事が在った。旭川を訪ねた折りに時間が在ったので、訪問機会を設けたという訳なのだが、作家の作品や人生を広く深く紹介する文学館も興味深く、晩秋の好天という中で散策した<見本林>も好かった。
    『氷点』は独立して完結はしているが、『続 氷点』をも加えて、「昭和20年代の初めから昭和40年代半ば近く」の20年間程を描く“大河小説”という体裁に纏まっていると言えるのかもしれない。発表されて半世紀以上を経て読み継がれる「古典」である。自身は極最近迄読んでいなかった。が、読んでみて「広く御薦め!」と思った。

  • “罪”から“ゆるし”へ。
    人はそれぞれが考えを持ち、感じ、言葉を発し、行動する。生きていく上で、人と人との関わり合いを持つことになる。それが尊い絆をつくり出すかと思えば、一方では恐ろしい確執を生むことにもなり得る。
    けれどもそれは、人が生きていく上で、誰もが避けられないこと。
    考えるべきことは壮大かつ深淵。終わりは見えない。
    なにが正解かも分からない。

    この小説を読むことは、物語の行方を見届けると同時に、啓造や夏枝や陽子、徹をはじめ登場人物たち全てを通して、常に自分にも問われている、問いかけることにもなった。
    本シリーズはギュッと濃縮されているけれど、
    生きていく限り、人は模索し続け、またそうあるべきなんだろうと思う。

  • 古さを感じる事なく、それぞれに感情が付いていきながら完読した。
    正しいと思う事自体が、裁きになっている。
    「罪」を深く考えさせられます。。。

  • 読んで良かったとすごく思う本。キリスト教を少しかじっていたから響いたのかもしれない
    人を責めるって弱い人間がすることなのかな、と思った。そして自分も例外なく当てはまるのでグサグサと刺さった


    好きな言葉をいくつか。
    「だから、人間は大過なく生きていても、威張ることはないし、過失を犯した人を、そう責めることもできないんだよ」
    「相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか。」

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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