書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315224

感想・レビュー・書評

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  • 刺激的な美しい言葉が並ぶ。自分勝手な論理とするどい意見。年を重ね自分が揶揄されアジられる側になってしまったことに気づかされる。若いときなら共感できたかも。

    でも、そんな寺山修司に憧れている。

  • 時代を超えて共鳴することが乏しい。なんかなぁ、というのが率直な感想です。

  • 難しすぎる。内容にまとまりがなさすぎて解釈に時間がかかる。そして疲れる。

    前半に関しては、ただただ苦痛だった。
    自分には刺さらない一冊。
    もしくは今読むべきではない本だった。
    また数年先なのか、1ヶ月後なのか明後日なのか、
    読み直すと全く見え方が違うのかもしれない。

    自殺についての解釈はおもしろい。なんとなく共感できる部分もあった。

    ハイティーン詩集も全く響かない。
    自分の空想力がないのかと落胆した。
    時代の違いはもちろんあれど、ここまで理解も共感もできないものかと、残念な気持ちになった。

    ただ一点豪華主義の思想は大好き。大いに共感できたし、自分もわりとそういう生き方をしたいと思っている。

  • 思ってたより寺山修司はぶっ飛んでいる。戦後を生きた人は生と死に対しての意識が高いのかなと思ったけどそういう話ばかりでもなく、一言ではまとめられない本。

    「書を捨てよ、町へ出よう」と寺山修司が思うに至った経緯が終盤に書かれている。とにかく若い人は冒険せよと言いたかったのだと思う。

    個人的には、実用的な本ばかり読んでいる傍らこの本を同時に読んでいくのが皮肉でなんとも言えなかった。

  • 寺山修司、という人物が、実際の所どのような立ち位置のかたなのか、あまりちゃんと知らないうえで、読みました。寺山修司。なんだか、名前だけは、2021年現在の日本でも、ガンガンに耳に入ってくる人物、なのですよね。自分だけ?なのかもしれないのですが。

    作家、というポジションではなくて、なんというか、総合文化人?みたいなポジションの人?というイメージをずーっと持ってます。サブカルチャー界隈の人。アンダーグラウンド文化の人。みたいな、ざっくりとした捉え方。

    で、この本読んで、思いました。若者文化的アジテーター、扇動者的な人だったんだろうなあ、と。で、ホンマに正味の所の、寺山修司、という人の立ち位置は、結局こう、自分の中ではまだフワッとしてるんですが、なるほど、こういう人か、というのは、ザックリとですが感じた次第です。

    すげえ若者向けの著書だと思うのですが、それを42歳の俺が人生で初めて読むのは、まあ、、、時期を逸したかな?という気は、しますね。ただ、どうなんだろう。自分が、例えば、この本を10代後半~20代半ば、までの、所謂青春期?みたいな時に読んだとして、すげえハマったのだろうか?というと、、、うーむ。わかりません。すみません。

    で、42歳のオッサンであるところの今現在の自分が、初めて寺山修司の著作を読んでその一発目がコレでした、という時点での感想では。「うーん、、、寺山さん、、、すみません。あまり、分かりませんでした」という感想になりました。すみません、これは俺が悪い。

    ただ単に、寺山修司の考えが、俺の肌に合わなかった、というだけだと思います。ですのでゴメンナサイ。私が悪い。ま、バンバンに名著である事は間違いないと思いますし。だってねえ、この本、1967年に刊行されたんでしょ?んで、2021年現在でも流通してるんでしょ?凄い事ですやんそれって。そんだけ長い間支持され続けている、ってことですもんね。それだけの魅力があるってことは、世の中が証明している訳ですよね。

    その本が、まあ、有体に言いますと、自分にとってはツマラナイ感じだった訳ですが、それはもうしゃあない。この本がツマラナイ訳ではなく、どっちかゆうたら俺がツマラナイ人間であって、この本とは単純に肌が合わないのだった。そう考えるのが、ま、筋が通ってるかなあ、とか思ったのでした。

    書を捨てよ。「町へ」出よう。っていう題名ですが、どっちかゆうたら、書を捨てよ。「競馬場」へ出よう。って題名の方がいいんちゃう?というくらいに、競馬ネタが多いなあ、と。そんなに面白いのだろうか。競馬は。自分が、全然競馬をしないものですので、あんまりそこらへんは分からない感じ。

    あの、なんかしらとりあえず競馬ネタになる感じの話は、読んでてあんまり面白くなかったです。だって俺、競馬、知らねえし、って感じでしたね。

    あと、「書を捨てよ、町へ出よう」という題名の書がある、という事自体が、自己矛盾を抱えていて面白いなあ、って思いました。

    この題名の意味するところは
    「部屋に閉じこもって本だけ読んでても世界は理解できないぜ!お前のその、ちっぽけな部屋を飛び出せよ。広い世界を体験しろよ!人生を楽しめよ!」
    って事だと思うのですが、
    「百聞は一見にしかず」やでマジで、って事だと思うのですが、
    B'Zでいうところの「おでかけしましょ」だと思うのですが(あの歌マジですげえ好き)、

    そこで「書を捨てよ」が最初に付いているのは、
    「(この本はとりあえずまずは読んで欲しいんだけど読んだ後は)書を捨てよ、町へ出よう」
    ってことですよね?それってなんか、ずっこくない?とか思った。

    「(この本だって読まなくていいんだよ!とりあえず題名だけ目にしてそれからそしたらお前が次に読もうとしている)書を捨てよ、町へ出よう」だったら、まあ、潔いってかカッコいいんだけど、それって単なるキャッチコピーじゃんか。

    そういう意味では、この矛盾したこの本の題名、うーむ。おもろい、とか。そんな事を思った次第ですね。

  • 博打の話はおもしろかったけど、競馬のくだりは冗長で興味をそそられなかった。
    『書を捨てよ、町へ出よう』は、もう少しわくわくさせられるような『深夜特急』らしいイメージがあったので、残念。

  • 小説だと思って表紙読みしたから(読んだときは文庫フェアの中心に据えられていた)予想と違いすぎて…。あまり好きになれなかった。

  • 申し訳ないが読み切れなかった。さすがに、あまりに内容が古臭い。「男性的」だとかそういう価値観は、彼が叱咤していた若者が老人と化してしまったこの40年の間に、一気に陳腐化してしまった。

    書を捨てよ町へ出ようという表題は正しいと思う。こんなノスタルジアに浸っているぐらいなら、とっとと街へ出て現代の現実を知った方がよっぽど良さそう。

    あくまで文学的になら楽しめるのかもしれないが、教訓にするには時代が変わりすぎた。

  • 真実から眼を背けるな、という帯のあおり文句で購入。確かに美しい真実の言葉はあったし、論は嘘くさいくらい本当のお話をもとに進められている。それでも、

  • タイトルは秀悦。
    書をもって、書を離れよと説く、その矛盾こそが、この作者の知性を感じさせる。
    書かれた年代が古く、感情移入しづらかったのが残念。

著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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